勘違いでした

「おーい、タク。しっかりしろー」


 ソノが俺の目の前で手をひらひらと振った。それでようやく、正気に戻った。


「昨日のノート、ありがとな」

「テストの時は貸せなくなるかもしれないからね。ちゃんとノートくらい取っときなよ」

「マジか。だが、寝る」


 写真部に入らされてから早2週間。なんだかんだ言いつつも、僕は高校生活になじんできていた。授業にもついていけてるし、クラスメイトともいさかいは起きてない。


 部活動の方もすぐに抜けたくなるんじゃないかと思って心配してたけど、そうでもなかった。むしろ、居心地がいいくらい。

 先輩の淹れるコーヒーは美味しいし、きつい筋トレもない。学校外で何かやって来いとか、そういうノルマもない。ただコーヒーを飲んで宿題やって本を読んで会話するだけ。毎日出席しないといけないわけじゃないし、ゲーセンに行っても誰も咎めない。

 実は写真部の部室に入り浸るようになってから、ちょっとだけ健康になったような気がするんだよね。先輩のコーヒー美味しいから、魔剤のカフェインをカフェインと思えなくなった。そのせいで、睡眠の質も大分改善したし、規則正しい生活に戻りつつある。


「今日も、格ゲー練習するのか?」

「ああ。そっちこそ、写真部だろ? 飽きないもんか?」

「まあね」


 気づけば毎日のように、部室に足が向かうようになっていた。アットホームな雰囲気があって、落ち着くんだ。毎日変わるコーヒーの味を楽しみにしている自分がいるんだ。それに。


「韮崎先輩だっけ? お前も物好きだなあ」

「それは、ソノもじゃないか」


 先輩の笑顔を見たい、もう少し触れていたい。そんな風に思うんだ。


 ひょっとしたら、先輩は僕に惚れてるんじゃないか。先輩が僕をからかってくるのは、愛情表現の裏返しなんじゃないか。そんなことを思う。もしそうなら、告白したら念願の彼女ができる。中学の時はいなかったけど、彼女とあんなことやこんなことをしたいっていう願望はあるし。

 しかも、同じ部活で2人きりだ。放課後の学校で勉強を教えてもらったり、下校デートをしたり。あるいは、もっといろんなことも。夢が膨らむ。


 でも、どうして先輩は僕を写真部に誘ったんだろう。ひょっとして、一目惚れとか? ペタペタと顔を触る。ひょっとして僕ってイケメンだった?

 顔にはあんまり自信がなかったんだよね。整ってる方だとは思ってるんだけど、突き抜けてイケメンかというと自分の主観では判断できない。中学の時は一度も告白なんてされなかったし。身内からはイケメンだという評価はもらってるけど、ひいき目が入ってるんじゃないかってあんまり信用できなかったんだよね。

 そうか、僕はイケメンだったか。


「おーい、何にやけてんだ。気持ち悪いぞ」


 ソノの言葉も耳に入らない。美男美女カップルか。そういうのもいいよね。それに、僕をからかってるとき先輩楽しそうだから、惹かれたのは顔でもちゃんと中身を見てくれてそうだし。


 告白はやっぱり僕からの方がいいのかな。こういうのは、男子としてきっぱり決めたいよね。いつくらいがいいだろう。あんまり早すぎるとえって感じだし、でも夏休みまでには恋人関係になりたいよなあ。でも、梅雨時のデートもいいかもしれない。先輩が僕のことが好きだって確証が取れたら5月中にでも告白しようか。


「にやついてるとこ悪いが、韮崎先輩あんだけかわいいなら彼氏いてもおかしくないぞ」

「そんなわけない!」


 彼氏はいないはずだ。だって、そしたらあんな風にからかってきたり、スキンシップを取ってきたりしない。下着姿を見られてもいいとか、エッチな妄想されてもいいとかそんなことはないはずだ。新入部員が僕一人で十分なんてことも言わないはず。だから、彼氏はいない。


 ……直接先輩から聞いたわけじゃないけど。


「あんなスキンシップ、惚れてる人にしかしないと思う、普通」

「だけどさ、ひょっとして、韮崎先輩それが当たり前だって思ってないか? ほら、外国だったら普通にハグとかするだろ? その延長線でタクが勘違いしてるとかだと悲惨だぞ」

「そんなことはない。……とおもう、たぶん」


 先輩が帰国子女だなんていう話は聞いたことがないし。まあ、あくまでも聞いたことがないだけなんだけど。でも、先輩はたぶん僕に惚れてると思う。まあ、その確証もないんだけど、信じたくないなあ。


「でもよ、これは聞いた話なんだけどな」


 そう思っていると、ソノが耳打ちしてくる。あまり知られたくない話らしい。


「韮崎先輩って美人で有名だけど、あんまり評判って良くないらしいぞ。眉唾物だけど、蛇蝎のごとく嫌われてるとか」

「は? そんなわけないでしょ」


 だって、あの明るくて愛想もよくてコーヒー淹れるのも上手い韮崎文乃先輩だよ? そんなわけないじゃん。


「いや、俺もそう思うんだがな。聞いた話だと、クラスでも男子をよくからかってるんだとよ。そのせいで、勘違いしてるやつが多くて、女子が恨んでるとか」

「そんな……」


 え、ひょっとして僕も勘違いしてるだけの痛いやつ?


「いや、あくまでも噂だからな。俺としては、そんな噂信じてないけど」

「そっか、ありがとう」


 そんなことは信じない。信じないけれども。

 早急にしっかり確認しないといけないみたいだ。



 *****



 昼休み、急いで弁当を掻き込むと、お茶で流し込んですぐ教室を出た。目指すのは食堂。先輩はいつも食堂を使っているらしい。なら食堂で食べてもよかったんだけど、見張るということを考えるとばれない方がいいかなって。


 食堂はかなり混雑していた。ここで昼ご飯を買う人だけじゃなく、一緒に弁当を食べる人も結構いるみたいだ。セルフサービスのお茶を飲んでカモフラージュしながら辺りを窺う。


 さてと、先輩はどこにいるだろうか。ひょこひょこ動いてそうなセーラー服を探す。あと、先輩はすごくかわいい。遠目に見ても美少女だとわかるはずだ。そんなことを考えながら目を滑らせる。


 いた、先輩だ。男子の中に紛れ込んでいたからよくわからなかった。でも、他の男子生徒とも仲いいのかな。一緒にご飯食べるくらいだし。ちょっと嫉妬する。

 向かいに座っていた男子の弁当から卵焼きをひょいと取り上げる。なんか羨ましい。僕も先輩に手料理食べてもらいたい。って、作ったのは母親だよね。僕も料理できないし。

 卵焼きを取られた男子生徒が拗ねているようだ。それを見かねたのか、唐揚げ定食の唐揚げを一つ目の前に差し出した。まさか間接キス!?

 ああ、よかった。びっくりしたのか、男子生徒は断ったみたいだ。先輩が唐揚げを口に入れる。艶めかしい。それを見て、周りを取り囲んでいる男子生徒が笑っている。


 あ、お茶無くなった。もう一杯飲もう。


 羨ましい。悔しい。地団太踏みたい。僕は数いる男友達の一人だったのか。あんなノリで僕のことをからかってたのか。なんか一目惚れされたのかと思って舞い上がってた自分がバカみたいだ。

 いや、違う。そんなことはないと信じたい。だって、あの人たちは先輩の淹れたコーヒーを飲んだことがないはずだ。だって、写真部の部員は先輩と僕だけだから。そう、信じよう。


 お茶をさらに呷る。だけど、自分をごまかせたのもそこまでだった。


 何かを見つけたのか目ざとく先輩が立ち上がると、勉強しながらお昼を食べていた男子に後ろから飛びついたのだ。その薄い胸を押し当てて、耳元で何事か囁いているのが遠くからでも分かった。


 やっぱり、先輩にとってあれはごく普通のスキンシップの一部だったんだ。別に僕に一目惚れしてたとかじゃなくて、特別扱いしてたとかじゃなくてただ友達として接してただけなんだ。

 それを舞い上がって、僕がイケメンだの、下着姿を見られても構わないのは惚れられてるからだの、夏休みまでには恋人関係になりたいだの。恥ずかしすぎる。しかもそれが、僕の勘違いでしたなんて。先輩は一切そんなこと関係ないのに。


 そう思うといたたまれなくなってきて。僕は飲みかけのお茶もそのままに食堂から逃げ出した。誰にも止められることなく、先輩が僕に気づくこともなく。


 あ、お茶飲み過ぎたから、トイレに行かないと。ははっ。



 その日、僕は初めて写真部の部活を休んだ。

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