出会い

 僕が初めて韮崎文乃にらさきふみの先輩と出会ったのは、部活動の勧誘合戦が始まった入学2日目のことだ。

 誓って言う。おそらく、きっと、たぶん。先に先輩がからかいまくる人だと知っていたなら、いくら美少女だと言えコーヒーが美味しいと言え、写真部には入らなかった。


 ……はずだ。



 *****



「だからさ、ここからすぐのゲーセン見つけたのよ。せっかくだし今日一緒に行かね?」

「いいね。部活に入るつもりもないし」


 もうすっかり葉桜になってしまった窓の外を眺めながら、ソノとそんな会話をする。ここから直接向かえるゲーセンというのはありがたい。

 中庭では部活動の熾烈な勧誘合戦が繰り広げられているが、僕らには関係ない。運動部で汗を流すよりも、ゲーセンにコインを投げ入れてる方が僕らは楽しいし。それに、新入生歓迎会の部活動紹介でも惹かれる部活はなかったしね。半分寝てたけど。


「サッカー部どうですか!」

「弓道部体験募集中! かっこいいですよ!」

「ハンドボールに興味ある人いませんか!」


 看板と勧誘員の合間を縫うように進んでいく。と言っても途中で止まる人もいて進んでないけど。まあ、僕らにとっては勧誘が収まるまで、我慢するしかない。そう思っていた。


「部活どこか入る?」

「そんなわけねえだろ。第一、時間が減る。ま、美人の先輩がいるなら考えてもいいけどな」

「ソノらしいや。でも僕も……」

「ねえねえ、そこの君! そのチョーカー趣味いいね。名前は?」


 肩を叩かれて振り返る。


 目もくらむような美少女が、そこにいた。


 ぱっちりした二重の目つきに吸い寄せられる。白い肌に、ふわりと舞った明るめの短い髪。素敵な笑顔で、いつも元気そうなイメージだ。ちょっと男心をくすぐる仕草を思わず目で追ってしまう。

 目が離せなかった。


「あれ、おーい。起きてる?」

「あ、すいません。えっと、宮野拓海みやのたくみといいます」

「拓海君かあ! わたしは2年の韮崎文乃。文乃でいいよ。よろしくね、拓海君」

「あ、はい。よろしくお願いします」


 落ち着け、いくら美人の先輩に話しかけられたからって言って舞い上がるな。ただの部活の勧誘だろ。ほら、ソノも何か言ってやれ。


「タク、タク」

「なんだ、というか手を肩にかけるな」

「あの先輩、めっちゃ美人じゃないか?」


 ダメだこいつ。役に立たない。


「あ、俺は園田……」

「そのチョーカー、どこで買ったの?」

「俺、興味ないのね……」


 しかも、無視されてるし。


「え、あっとその。実はこれ、母のハンドメイドなんです」

「え、非売品なの?」

「いえ、オークションに出してるので手に入るとは思います。一応これも、宣伝もかねてなので」

「いいなあ、わたしシルバーアクセサリー結構好きなんだよね。サンプルとかない?」

「まあ、カタログみたいなのでしたら一応」


 先輩がにかっと笑う。その笑顔に吸い寄せられた。なんか、この人とっても楽しそうだなって。ちょっと、いいかもしれない。こんな先輩がいる所なら部活も楽しそうだ。

 ダメだ、惑わされるな。


「えっと、勧誘ですか?」

「まあ、一応ね。だけど、部員わたし以外にいないし、結構のんびりしてるよ。仮入部もできるし、よかったらどうかな? おいしいコーヒーもあるし、それに」


 そう言って、先輩は口元に手の甲を当てた。うわっ、すごくいろっぽい。


「わたし、ちょっと君に興味があるんだ」


 くらっと来た。なんか、背中がむずがゆい。え、マジで? ひょっとして、ひょっとするんじゃないか。そんなことを思う。ひょっとしたらここからラブコメが始まるんじゃないかって、そんな。


「でも、僕友達待たせてるんで……」


 落ち着け。こうなったら、ソノに引き留めて……、なんですか、その肩に置かれた手。あれ、ちょっと不穏な気配が。


「タク、俺たち友達だよな?」

「う、うん。そうだと思うけど」

「明日、いい報告を期待してるぜ」


 グッと、親指を立てて突き出す。そうしてもう一度ポンと肩を叩くと、手をひらひらと振って去っていった。

 それを僕はポカンと眺めていた。


 ……あいつ、僕を置いていきやがった!



 *****



「ここが部室だよ」

「へえ、写真部ですか」

「そそ。ほとんど写真部らしい活動はしてないけどね。ささ、入った入った」


 先輩が鍵を開ける。階段下のこじんまりした部室だけれど、中は居心地がよさそうにすっきり整理されていた。なんか、ちょっとした隠れ家みたいだ。


「そのカーテンの向こうが暗室だよ。元々倉庫だったところを改造して作ったみたい。あ、座って座って」


 差し出されたパイプ椅子に腰かける。何というか、流されるまま来ちゃったけどこれでよかったのかな。いや、でも、ゲーセンなんて別に行かなくてもいい所だし、少しぐらいは高校生らしいことをしてもいいか。そんな風に自分を正当化する。


「今コーヒー淹れるからね」


 そう言いながら、先輩はやかんを火にかける。コーヒー用の注ぎ口が細いやつだ。別名あるのかな?


「コーヒーケトルとか、ドリップポットとか呼ばれてるね」

「へえ、そうなんですね」


というか、写真部と言いながら、コーヒー用のグッズがかなり多いな。あれはたぶんエスプレッソマシーンだし、あっちにあるのはひょっとしてサイフォンじゃあ。漫画で見たことがある。コーヒーが好きな人はサイフォンで飲むイメージがあるんだよね。


「それは、気分によって変えてる。今日は、普通のドリップコーヒーの気分だったからさ」

「というか先輩、僕声に出てました?」

「出てないよ、心を読んだだけ」



 ……は?


 えっと、心を読んだってどういうことでしょう?

 じっと、先輩を見つめても、微笑み返すだけで、何も返してくれない。


 よし、気にしないことにしよう。


「先輩ってコーヒー好きなんですか? すごく設備充実してるなあって思うんですけど」

「そだよ。結構こだわり持っててね。バリスタでも目指してみようかなって思ってる」

「へえ、いいですね」

「ところで、別に文乃って下の名前で呼んでくれていいのに。写真部は2人だけだし、そういうの気にしないから」

「いえ、遠慮しておきます」


 固辞する。だって、入るつもりないし。

 ポットからお湯を注ぐ。あれ、コーヒー豆まだ入れてなかったような。


「焦らない焦らない。先に器を温めておくの。何でも一緒だよ?」

「そうなんですか」

「せっかちな男は嫌われるぞっ」


 ウインク。あざとい。やけにあざとい。でもかわいい悔しい。


 ……っていつの間にか先輩に心惹かれてるじゃん。ただの勧誘のリップサービスかもしれないのに。


「こうやって、のの字を書いて、ちょっと待つの。で、そこから少しずつ時間をかけて注いでいく。こんな風に」

「結構時間が掛かるんですね」

「わかってないなあ、拓海くんは。こうやって香りを楽しみながら待つのもいいじゃないか。それに、過程は大事にするべきだぞっ」


 向かいに座って手を組みながら、指を振る。


「まあ、せっかちな拓海君も嫌いじゃないけどね。はい、できたよ」


 笑顔で先輩はフィルターを捨てると、コーヒーを温めたマグカップにいで渡してくれた。

 あれ? 結構好意を持たれてる? 初対面のはずだけど。


 いやいや、そんなわけない。まさか、どこかの悪徳商法みたくコーヒー飲んだら帰らせないつもりなんじゃあ。

 ……いや、十分あり得る。むしろ考えれば考えるほど、このコーヒーが妖しく見えてきた。


「どうかした? あ、ひょっとしてコーヒーに何か入れてないか心配になったんでしょ」


 またまた、なんて手を振りながらこっちに近づいてくる。先輩の言う通り睡眠薬っていうのもあるのかな?


「そんなことしないって、それとも……」


 そう言って、先輩は僕の耳元で囁く。ピチャピチャと、やけに妖艶に音を立てながら。


「いたずら、されたかった?」


 ガタン


「先輩!? あ、い、今のはどういうことですか!」


 いたずら!? いたずらっていったい何よ!?

 マグカップ持ってなくてよかった。こぼすところだった。


「冗談だって、もう。そんなことしないって」


 からからと笑う。びっくりした。ほっとした。あと、ほんの少しだけ、ほんのちょびっとだけ残念だった。そんな僕を見て笑ったまま、先輩は僕の頬をぷにぷにと突く。そして、自分のコーヒーに口をつけた。


「まあ、君がしたいっていうなら、やぶさかでもないよ?」

「ちょっと、先輩! そういうこと言わないで、もっと自分を大事にしてください!」

「あはは、ごめんごめん。まあ、コーヒーには何も入ってないからさ。それに、飲んだからって、別に何か頼んだりしないよ」


 そう言って笑う。なんか、してやられた気分だ。とりあえず、口元を隠すべくコーヒーを手に取った。


「あ、美味しい」

「でしょでしょ」


 得意げに笑うその顔がちょっとズルい。



 *****



「あ、もう下校時間だ」

「そうみたいだね」


 校歌が鳴り出す。いつの間にか、時間があっという間に過ぎ去っていた。まあ、元々コーヒーは好きな方だし、シルバーアクセサリーの話もしてたし。


「でも、拓海君って面白いね。結構気に入ったよ」

「それは、ありがとうございます」

「面白い人って、やっぱり素敵だと思うんだ」


 そんなことを言いながら、僕の瞳を真っすぐのぞき込んでくる。惑わされないぞ。こうやって、気をもませて勧誘するつもりなんだろう。

 まあ、僕もひたすらからかわれたとはいえ、美人の先輩と話すのは楽しくないわけじゃないし。まあ、これ一回こっきりだと思えば。

 そんなことを考えながら帰り支度をして、扉に手を掛けた。


「それじゃあ、僕はこの辺で失礼します」

「バイバーイ。明日も美味しいコーヒー淹れたげるから」

「はい、ではこれで」


 写真部の部室を後にしてから気が付いた。


 入部しませんっていうの忘れた。明日にでも辞退すること、伝えに行かなきゃ。

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