先輩、それはズルいです!

蒼原凉

先輩、それはズルいです!

 キーンコーンカーンコーン


 午後の眠気を吹き飛ばすベルが鳴った。ようやく6時間目が終わって放課後だ。HRホームルームさえ終われば、自由の身。そう思えば大きく伸びがしたくなる。


「タク、さっきのノート貸してくれよ」

「また? まあ、いいけど」


 園田宏紀そのだひろき(ソノ)がいつものようにノートを借りに来る。こいつとは中学時代によくゲーセンを巡った仲だ。高校に上がってからは俺が部活に入ったせいであまり行けてないが、ソノは毎日のようにゲーセンに通い詰めている。

 何でも、同じゲーセンにいる格ゲーの対戦相手に一目惚れしたんだとか。なので腕を上げるべく、夜遅くまで練習に励んでいるらしい。まあ一晩でノート返してくれるからいいんだけど。


「サンキュ。恩に着る。ところで、タクは今日も部活か?」

「まあね。あそこは結構居心地いいし。音ゲー撤去されたからやることないし」

「いいよなあ、韮崎にらさき先輩。美人だし、コーヒー美味いんだろ?」

「まあね」


 正直なところ、コーヒーを飲む以外特に何かしてるわけでもない。一応部活だけど、あんまり部活らしいことはしてない。


「羨ましいならソノも写真部入ればいいのに」

「俺はやめとくわ。確かに美人だけど、性格アレだし。エリの方がいい」

「名前教えてもらったんだね」

「ああ、ついでにこっちの名前も覚えてもらった」

「よかったじゃん」


 こいつはそのエリさんにぞっこんらしいから来ないとは思ったけど。


「夏休み中には紹介してやるよ」

「わかった。楽しみにしてる」


 そんなことを話しているうちに担任がやってきた。



 *****



「暑い」


 教室の中は冷房が効いてるけど、廊下に出たとたん恐ろしい暑さが襲ってきた。7月の上旬と言えば夏真っ盛りだ。これからさらに暑くなるけど。

 何より憂鬱ゆううつなことはと言えば、これから僕がいく写真部の部室には冷房がないんだよね。元々が、階段下の小さなスペースを改造して作った部室だから仕方ないんだけど。


「こんにちは。先輩早いですね」

「2年生の教室の方が近いからね。ところで何度も言ってるけど文乃ふみのって呼んでくれていいのに」

「いえ、けじめをつける意味でも韮崎先輩と呼ばせてもらいます」


 まあ、本当のことを言うと下の名前で読んだらそのままずるずる行きつくところまで行っちゃいそうだからなんだけど。


「そうだ、今日はコールドブリュー試してみたんだけど飲んでみる?」

「それじゃあ、是非」

「はいこれ。君のために一晩かけて抽出したんだからね」

「あ、ありがとうございます」


 照れるな、自分。照れたら負けだ。照れたら容赦なくそこを先輩に突っ込まれるのは経験則としてわかってる。だから必死に笑顔を引きつらせる。

 ……だからと言ってつまらなさそうな顔をされるのも嫌だけど。


「美味しい。ほのかに甘みがある気がします」

「でしょでしょ」


 得意げに先輩が笑った。やっぱり、先輩のれるコーヒーは絶品だな。半分以上このために来てると言っていい。おかげで魔剤をパタッとやめられたし。


 しかし、こうして見てると先輩って結構かわいいよな。そんなことが頭に浮かぶ。目はパッチリしていて二重だし、まつげ長いし、鼻筋整ってるし、唇薄いし。輪郭シュッとしてるし、肌白いし、髪がくせ毛で明るいのも似合ってる。身長高いし、足長いし、胸は……僕は気にしない人だし、顔も小顔だ。だてに学校一の美少女の座を争ってるわけじゃない。

 それに、話をしていて楽しいし、コーヒー淹れるの上手だし、自己中心的だっていうわけでもない。ちょっとした仕草もとっても映える。加点方式で見れば、とっても魅力的なんじゃないんだろうか。


「どうかした? じっと見つめちゃって」


 まあ、それを全部マイナスにする致命的な欠点があるのだが。


「何でもないです」

「あ、分かった。わたしのこと見惚みとれてたんでしょ?」


 そんなことをほざきながら、手の甲を口に当てて煽情的せんじょうてきなポーズをとる。


 先輩は、人をからかうのが好きなのだ。大好きという言葉では足りないほど、それを生きがいにしているのだ。からかってからかって上げ足を取ってからかいたおして。それで、精神を摩耗するので、2年生の間では問題児扱いされているらしい。しかも、その対象が年頃の男子で、恋心をくすぐるような内容だからなおたちが悪い。誤解させた挙句に捨てられた人間が何人いるか。

 そんな先輩に入学早々目をつけられた。まったく、どうしてだか。


「違います!」

「またまた~。否定しなくていいんだよ? ほっぺにチュー位ならここでしてあげようか?」

「け、結構です!」


 だから、そうやって動揺を誘うようなことを! そういうの聞くたび先輩が僕に気があるんじゃないかって悶々もんもんとするんだから! 抱き着かないでくれ!


「してほしいならいつでも言ってくれたらいいからね」


 そう言い残して先輩は離れていく。だけど知ってる。先輩は別に僕をからかうのに飽きたわけじゃない。次の機会を待っているだけだ。エスプレッソマシーンに手を掛けながらも、その目は次のからかい材料を探している。


「あれ、ちょっと雑味が入ってる。あんまり使ってなかったからかな?」


 スチームミルクでカフェラテを作った先輩がそんなことを言う。コーヒーにこだわりがある先輩のことだ、たぶん何か違うのだろう。まあ


「僕は別に、それくらい気にしませんけど」

「そう思うんなら飲んでみてよ。わたしは分解して掃除した方がいいと思うけど」


 取っ手を右にしてマグカップを渡される。先輩がそういうならそうなんだろう。それくらいのことを考えて口をつける。

 うん、やっぱりわからな……


「間接キス」

「ブフォッ! ゲホッ、ゴホッ、コホッ!」


 ちょっと! そんな変に意識させること言わないでくださいよ! 鼻の穴まで入った!


「あれ、意識しちゃった?」

「しますよ! 普通します! というか先輩のせいですからね!」


 からからと笑う。絶対狙ってやがった。普通に油断してたし。

 これだから、精神が摩耗するんだ。ずっと警戒し続けるなんて無理。


「ごめんごめん。でも、飛び散っちゃったな」

「あ、すいません」


 よく見たら、吹き出したせいでミルクの泡が先輩の制服についてしまってる。しみになる前に拭き取ら……


「大丈夫大丈夫」

「って舐めないでください!」


 こいつ、飛び散った泡を指で拭って舐めやがった。


「どうして? きれいにしてるし大丈夫だよ? それとも何か問題があるの?」

「それは……」


 言えるわけがない。そこはかとなくいかがわしい雰囲気になるからなんて言えるわけがない。美少女が制服に飛び散った白い液体を拭って舐めている絵面が危ないなんて言えるわけがない。

 ……だって、絶対からかってくるから。


「あれ、ひょっとして何かいかがわしいことでも考えてるの?」

「と、とにかく! ウェットティッシュ持ってきますからそのままでいてください」


 だから、拭って舐めないで! 目に毒だから!


 そういうわけで、僕は一路保健室を目指した。



 *****



「はあ」

「どうかした?」

「いえ、何でもないです」


 疲れた。やっぱり疲れた。ともかく疲れた。

 かといって、弱みを見せたらそこをさらにからかわれて余計に疲れるだけだ。そんなことを考えながら分解したエスプレッソマシーンを掃除していく。


 こぼれたミルクは既に処理したが、それでも大分疲れた。肉体的な意味じゃなくて、精神的な意味で。先輩といるとほとほと疲れる。


 それでもまあ、僕が写真部をやめないのは、ただ先輩の淹れるコーヒーがおいしいからだけじゃないのだ。そんなことを考えながら先輩を盗み見る。

 相変わらずきれいで、そして相変わらず何を企んでいるかよくわからない。そんな顔だ。からかう材料を探しているようなそんな顔だ。

 だけど、たぶん僕はそんな先輩のことが好きなのだ。


 ……先輩に絶対に知られるわけにはいかないけど。だってからかわれるし。

 だけど、そうやってからからと笑う笑顔が素敵で、つい部室へ向かってしまうんだと思う。


 告白なんてできるわけがない。だって、からかわれるし。それに、先輩が僕を好きだなんて保証、どこにもない。


 あんな風に、からかわれたら、ひょっとして、先輩は僕のことが好きなんじゃないか。そんなことを考えてしまう。僕のことが好きだから、そんな気を持たせて悶々とさせてるんじゃないかって。

 だけど、たぶん違う。先輩は、誰だって同じようにからかう。それでいて、たぶん僕が先輩に好意を持ってるのにも気づいていて、僕を弄んでるんだ。だから、先輩の気持ちなんて全く想像がつかない。


 本当に、ズルい。そうやって、僕の心を乱すなんて。


「先輩、こっちばっかり見てないで手を動かしてくださいよ」


 気がついたら、先輩は手を止めて僕の顔をじっとのぞき込んでいた。


「ごめん、拓海たくみ君の一生懸命なところかっこいいなって思って見惚みとれてたよ」


 落ち着くんだ。ただ、からかおうとしてるだけだ。そうやって気を持たせようとするだけだ。

 そう心に念じて手を動かす。もうすぐ、この部品は終わりだ。


「わたし、そういう人好きだよ」


 ガタッ


「ちょっと、先輩! いきなり変なこと言わないでください! 落としそうになったじゃないですか!」

「ごめんごめん。でも……」


 そう言って、先輩は手の甲を口元に当てる。


「ううん、やっぱり何でもない」


 だから一体何なんだ! 先輩、それはズルいです!

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