第三章

第三章

「このあと、杉ちゃんたちはどこかへいくの?」

不意に咲さんが、そういうことを言い出した。

「なんでだ?」

「ええ、会わせてもらえないかなあと、思って。」

「誰に?」

「水穂さん。」

咲がそう答えると、杉三はちょっとかんがえこんで、

「うーん、さっきもいった通り、ちょっと難しいのではないかなあ。もう、かったるくて仕方ないというかそういうかおしてるよ。」

と、答えを出した。

「もう、つかれちゃったんじゃないのかなあ。」

ところが、蘭は彼女の話を聞いて、こう反応した。

「ぜひ来てやってくれますか。あいつもそうすれば喜ぶとおもいます。」

「喜ぶかなあ。蘭はちょっと自分の思いはなんでも通じると、考えすぎなんじゃないのか?」

「いや、喜ぶさ。僕はきっと、そうなってくれると信じてる。」

「いい迷惑なだけじゃないの?蘭の過剰な期待を背負わされてさ。」

そういう杉ちゃんだが、蘭は疑わなかった。

「ぜひ、会ってやってください。僕も、咲さんを利用して、あいつに悪いことしてしまったのは、後悔しているんです。でも、哀しいかな、僕は、製鉄所に出入りができなくなってしまっていて。だから是非、咲さんが会いに行ってやって下さればと思います。」

改めて、蘭は頭を下げ、一生懸命お願いする。

「わかりました。蘭さんひとつだけ訂正させてもらうけど、蘭さんが、私を利用したとは、思ってないから。」

咲さんにこういわれて、思わず、蘭はぽかんとした。

「よかったな。お前さんは。本当に、ラッキーだったよ。」

杉ちゃんにそう言われても、蘭はピンと来ない。代わりにこう返答する蘭である。

「ぜひ、会ってやってください!」

「わかったわよ。」

咲は、にこやかに蘭に言葉をかけた。

ラーメンフェスタが終了して、杉三たちは、タクシーに乗って、製鉄所へ向かった。本当は蘭も一緒にいきたかったけど、また、青柳先生にしかられるような気がして、今回は、あきらめた。いったのは杉ちゃんと、咲さん、そしてなぜかあの下村苑子先生だった。

「今日は、咳き込まなくて調子がよさそうね。」

枕元で、水穂を観察していた天童先生は、そう呟いた。隣には、ノロが座っていた。多分、広上さんに追っかけ回されて、にげてきたんだろう。

「まあちょっと前まで、天童先生に、ヒーリングしてもらってましたから。」

水穂がポツリとそう答えると、

「いやいや、東洋医学では、自身の体が、小康状態を保てるというのが、大切なんですよ。誰かが何かをしたのではなくてね。天童先生は、そうするように促しただけ。あとは本人の問題なんです。」

ノロは、にこやかにいった。

「そうですよ。あれだけ咳き込んでいた水穂さんが、今日は、平気でいられたんなら、それはよかったなと思わなきゃ。そういえば、もうすぐご飯よね。この調子だと、食べられるかな。」

にこやかに笑う天童先生。

どうやら天童先生、これを狙っていたようである。

水穂は、少し苦笑いした。

と、そのとき。

玄関の戸がガラッとあく。

「水穂さんいる?ちょっとお客さんだぜ。」

誰かとおもったら、杉ちゃんの声がした。

「おい、水穂さん、久しぶりのお客さんだよ。浜島咲さんがおいでだよ。」

天童先生に支えてもらって、水穂は、よいしょと布団の上に座った。

「ノロが来てたのか。天童先生も一緒か。」

杉三はカラカラと笑う。

「あら、あたしはお邪魔だったかしら?」

と、天童先生がいうと、

「そんなことはないよ。天童先生の、シャクティパットのおかげで、こいつが安定しているのは、周知のとおりだもん。」

と、杉三はそう返した。杉三が、そう間違えるのは、咲も知っていたので、敢えて訂正はしない。

ところが、苑子さんは、ノロをみてこういった。

「嫌ですわ。名誉会長が、どうしてこんな所にいるんですか?」

「名誉会長?誰のこと?」

杉三がきくと、

「野村先生よ。山田流箏曲協会の、名誉会長。」

咲がそう答えた。

「じゃあ、つまり、苑子さんを破門したのは?」

咲は、黙って頷いた。

「ちょっと待ってくれ。何でまた、破門なんて。」

「下村さん、決してこの事を、敵に回したと、思わないでくださいよ。」

不意にノロが謎めいた発言をする。

「わたくし自身はあなたの活動を高く評価していますが、周りのものがゆるさないのです。もちろん、下村さんの、邦楽を愛する限り、洋楽をやりつづけるという主張もわかります。」

「ほんならなんで、そのままのこしてやれなかったんかな。」

ノロの話に杉三が口を挟んだ。

「わたくしは、残っていただいてよいと思いましたよ。しかしですね。他のものが下村さんの活動をゆるさないでしょう。下村さんの活動が平気で行われるようになれば、山田流は、たんに、洋楽を打ち込みとかいう、つまらないアレンジに助けてもらって、やっているだけの流派になってしまう。それだけは、どうしても避けたかったのです。」

「まあねえ、確かに日本は、敗戦後にいっきに西洋化しすぎた歴史があるからねえ。」

と、また杉三が揚げ足をとった。

「でも、日本の伝統まで忘れるほど服従するなんて、徹底的に権力者には、弱いやつらなのねえ。」

「そうですね。野村先生はその中で、山田流を保持し続けた、自負があるから、それで洋楽を認めないんでしょう。それも、わからないわけではないですよ。」

水穂が、ノロを援護するようにいった。

「きっと先生に取って、僕たちみたいなのは、邦楽をつぶした悪人なんでしょうし。」

「いいえ、洋楽をやっている方には罪はありませんよ、水穂さん。そこは勘違いしないで下さいませ。邦楽と洋楽は、元々全く別の物で、それぞれが栄えていればいいのですからね。しかし、邦楽が洋楽の助けを借りて、それに全く依存しなければなりたたないというのがいけないのです。それでは、いけないんですよ。それぞれ、別のものとして、独立していなければ。」

「しかしですね。それでは、邦楽自体が消えてしまいそうな。だってやる人が、本当に少ないんですから。ほらだって、何年か前に、出版社がつぶれてしまいましたよね。それで、ほとんどの人が、古典を学べないとなって、大問題になったでしょう?そういうわけですから、誰かが邦楽に興味をもってもらえるように、私は、ポップをやったり、クラシックをやったりしているのですよ。それの何が悪いというのですか。もうお山の大将で俺一人の時代は終わったのではありませんか?あたしたちは、もはや誰かが来るのを待っているだけでは、やっていけないんですよ!」

ノロの話に、苑子さんは、そう反論した。それは、明らかに必死でやっている目で、決して怠けている様子は見えなかった。

「そうですが、邦楽が洋楽に依存しなければ聞くことができない音楽になっては困ります。邦楽は邦楽で、しっかり栄えて行くようにしなければ行けません。元々、箏という楽器は、西洋音楽をやれるようにできては居ませんから。無理矢理そうしても、変な音楽としか、みなされないでしょう。中国で、女性の民族楽器奏者によるロックバンドが結成されたそうですが、あれが長続きしなかったのは、中国の伝統楽器の本来の魅力が、丸つぶれになったという反発が強かったからではないでしょうかね。」

「確かにそれもわかる。だから、澤井の音楽はどこか気持ち悪い。宮城は、日本の古典的な所をまだ残していたが、澤井を聞くと、お箏の音楽が面目丸つぶれの様な気がする。」

また杉ちゃんは、揚げ足を取った。

「はい。ですから、そうならないようにするために、私達も、軌道修正しなければならないのです。澤井さんが、邦楽を普及させようとして、逆に気持ち悪い音楽に作り上げてしまったというのは、本当に大きな失敗だ。それを、本来の箏の音楽として、取り戻すのは非常に大変だと思いますけど、それを成し遂げないといけない。ですから、できる限り、洋楽の力を借りようとしている人は、方針に反するというわけです。邦楽が、ただの気持ち悪い音楽だとしか認識されない、そんな時代になりつつあるから。」

苑子さんは、黙りこくってしまう。杉三も、この問題は、本当にだめだなあと思いながら、うーんとため息を着いた。

「わかりました。」

と、苑子さんはいった。

「それでは、私も、考えがあります。私は、先生の様なお山の大将を演じている時代は終わりだと思っているのです。それを証明するため、私は、先生にも負けないくらい、大きな社中を作って見せます!」

「喧嘩するための音楽ではないと思うのですが。」

水穂は、そういって、二、三度軽く咳き込んだ。天童先生が、その背中を撫でてやった。

「いいえ、わかりました。先生の様な人がいるからこそ、そういう人たちとは戦わなければならないんだって、本当によくわかりましたわ。私は、四面楚歌となっても構わないから、新しい音楽を普及させて見せます!」

「そうだけど、喧嘩するのは無理なんじゃないかなあ。」

杉三はまたそういうが、苑子さんの決断は変わらない様であった。

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