第二章

第二章

「本当にお久しぶりねえ、二人とも元気だった?」

そう言いながら近づいてくる咲さんは、ある意味、杉三たちより元気そうで、はつらつとしていた。服装もフルート奏者らしく、明るいピンクのワンピースを身にまとっている。

「まあな、元気だよ。咲さんこそどうしたの?そんな綺麗な格好して、フルート吹いたりして。」

杉三はすぐにそれに応じたが、蘭はどうしても恥ずかしくて、話をする気になれなかったのだった。ただ、小さくなっているしかできないのだった。

「ねえ、時間があるんだったら、一寸こっちへ来てもらえないかしらね。どうしても、会わせたい人がいるのよ。」

咲はそう言って、杉三たちを控室と書いてあるテントの中へ連れて行った。それでは、と、二人もついていくと、控室には、ひとつのテーブルが置いてあって、そこに高齢の女性がすわっていた。テーブルの隣には、箏一面と、古筝が一台置かれていて、男性が、それを調弦しなおしていた。

「あれれ。下村、下村苑子先生ではありませんか?」

と、思わず蘭は言った。そういえばこの女性、テレビで何度か見たことがある。男性は、背が低くやせっぽっちで、一寸頼りなさそうなところもあったが、下村苑子によく似たところがあるので、息子さんだと何となくわかった。

「はあ、お箏教室でもされているんか?」

杉三がそう聞くと、

「何を言っているんだ、下村苑子と言えば、テレビにもよく出ている、箏の奏者だぞ。息子さんがいたとは、知らなかったな。」

と、蘭は杉三にそう説明した。それでも杉三は、ふうんとしか口にしないで、まだ口笛を吹いていた。

「先生。紹介しますね。私の大事な親友なんです。影山杉三さん。この人です。」

咲さんに言われて、杉三は、頭をかじりながら、

「初めまして、よろしくお願いします。でも、影山杉三とは言わないで、杉ちゃんって呼んでくださいませ。」

とあいさつした。

「どうぞ、こちらにいらしてください。咲さんのお友達なら、大歓迎です。」

どうぞ、と言われて、杉三と、蘭は、苑子さんの隣に車いすを動かした。例の男性が、二人の前に、ペットボトルのお茶ですけど、どうぞ、なんて言いながら、紙コップでお茶を出してくれた。

「先生、私、この人たちのおかげで、人生が明るくなった様にみえたんですよ。ほら、先生にも話していましたでしょう?とても不思議な人だけど、明るい顔して、いつでもにこやかで、呑気な人です。」

咲も隣に座って、苑子さんに言った。

「しかし咲さん、どうしていま、フルート吹いているんだ?だって、奥多摩に戻ったはずでは?」

と、杉三が言うと、

「そう言えば、今でも太田咲の姓を名乗っているのですか?」

蘭もそのまま聞いた。

「いいえ、もう、旧姓に戻りました。今は浜島咲です。あの後暫く奥多摩で生活したんですけど、やっぱりなじめなくて、どうしても、自分の人生をあるきたかったから、奥多摩の公民館などで、演奏させてもらっていたんです。まあ、たいしてパートナーもいないので、フルート一本の大道芸みたいなものだけど。そうしたら、下村先生が、偶然私の演奏を聴いてくださって。是非、うちのお箏教室で、一緒にやってもらえないかって言い出して。お箏と一緒にやるフルーティストは、まだまだ少ないし、私と一緒にやれたらいいなって、言ってくださったものですから、それで、私も勇気を出して、このユニットに参加させてもらうことにしたんですよ。」

「へえ、そうかあ。いい人に拾ってもらったねエ。」

咲が身の上話を語ると、杉三もにこやかに答えた。蘭は、そんな言い方はしちゃダメだと注意するが、

「いいんですよ、人生は、セレンディピティです。思わぬ拾い物をする才能。咲さんもセレンディピティの一部として、私が拾い上げたと考えればそれでいいんです。」

と、苑子さんはにこやかに言った。

「で、でもですよ。先生のような大物がなぜこんな田舎のイベントに顔を出しているのでしょうか?だって、テレビにもさんざん顔を出しているような感じの先生が、こんな田舎で演奏するなんて、どうもおかしな話だと思うのですが。」

蘭は、思わずその疑問を口に出して言うと、

「ええ、そのようなことからは、もう外れちゃったのよ。そういう路線から、私は、弾き飛ばされて。」

と、苑子さんは言った。

「へ?どういう事ですか?」

蘭が聞くと、

「あのね。下村先生、余りに洋楽に手を付けすぎてしまって、山田流箏曲協会から、除名処分になったのよ。」

咲さんが、そう答える。除名処分だって?それでは、永久に戻れない重い処分であるということになる。

「はああ、あれだけテレビに出ていたりしていたのに、なんでまたそんなこと?」

「ええ。邦楽の世界ではそうなってしまうんでしょうね。あたしは、邦楽がつぶれてしまうのはいけないからこそ、洋楽をやりたいと思っているんですよ。息子だって、お箏だけではやっていけないだろうと思って。」

「はあ、なるほど。それで息子さんに古筝を習わせたわけか。」

と、杉三が口を挟んだ。

「ええ、頼りにならない息子ですが、そうした方がいいと思いまして。これからの時代、何でも弾かせたほうが、そのほうがいいと思ったんですよね。」

と、苑子さんが言うと、隣に座っていた、男性が、申し訳なさそうにペコンとあたまを下げた。

「息子の、下村薫です。よろしくドウゾ。」

そういって、男性は杉三と蘭にそれぞれ握手した。杉三は、何も感じないようであったが、蘭は、その手が極端なほど冷たいのに気が付く。

あれれ、水穂の手にそっくりだ。水穂の手は、いつも冷たかった。

「で、古筝の腕前はどうなの?何が得意なの?」

杉三が改めてそう聞くと、

「杉三さんこそ何が得意なんですか?」

と、薫のほうが聞き返した。その顔はとても嬉しそうだった。たしかに古筝なんて習っている人はそうはいないもんな、と、蘭は考え直す。

「僕は、そうだな。特に得意という曲はないな。出来そうな奴はなんでもやってるよ。クラシックでも、ポップでも。だから、特定の曲を挙げるというのは難しいなあ。」

杉三がそう返答すると、

「そうですか。僕は高山流水みたいな、古典的な曲ばかりやっていましたが、最近は母の演奏活動に付き合わされることが多くて、古筝のために書かれた作品はほとんど今は弾いていないんですよ。でも、其れでいいと思っています。母が、何よりも音楽活動を大事にしているみたいなんで。」

と、薫はにこやかに答えた。

「それにしても、ぬさってどういう意味なんですか?」

蘭がそう聞いてみると、

「わからないです。適当につけてしまった名前で。私たちは、名前なんてどうでもいいと思っているんですよ。其れよりも、一緒に楽しい時間を過ごしたいと言うか、楽しんでもらいたいというだけの事なので。」

と、苑子さんが答えた。

「そうですかあ。たしかにそれは、気にしないな。楽しんでやってた方がいいからな。まあ、ぬさとしてしっかりやってくれよ。お箏に古筝にフルートに。今までにない斬新なユニットで、新しい音楽を作ってくれ。僕も応援しているよ。」

「そうね。」

苑子さんは、杉三にそういう事をいったけれど、なんだかとても悲しそうだった。

「本当は、除名処分なんて、なりたくなかった。それは、本当にそうなんでしょ?」

杉三が口を挟むと、

「本当にそうですね。」

と、苑子さんは答えた。

「いいえ、あれは、先生を破門に追い込んだ、協会のほうが悪いんです。先生のやり方は、間違いじゃありません。だって、古典をいくらやったって、人は来ないと言うのは本当ではありませんか。そこから脱出しようと、洋楽をやるのに、間違い何てありません。」

「そうですよ。破門されることは悪いことじゃありません。それを忘れるなと言っていたのは、お母さんのほうじゃありませんか。今更、弱気にはならないでくださいよ。」

苑子さんが言うと、咲も薫もそういって彼女を擁護する。でも、彼女の口調から見て取れるのは、周りのすべての人を敵に回してしまって、味方が一人もいないという事であった。

「大丈夫ですよ、お母さん。きっとそのうち、味方になってくれる人は出てきますから。だって、これだけ洋楽が流行っている現在、お母さんのような取り組みをしている人は、少なからずいるんじゃないんですか?」

「いい息子さんもって、幸せだな。」

薫の話を聞きながら、杉三はぼそっと言った。

「ところで蘭さん。」

咲は、蘭にそんなことを聞く。

「水穂さん、その後、具合はどう?」

蘭は、それを聞かされて、思わず涙が出てしまうのだった。

「どうしたの?」

「その節は、、、本当にすみません。あいつは、あのあと。」

蘭は、どうしてもその先が言えない。

「水穂さんなら相当進んだよ。もうご飯も碌なもんを食べず、薬で眠ってばかりいる。そして、口から咳き込んで血を出す。これが答え。」

蘭に代わって杉三が答えを出した。

「そうなの、、、。一回会ってみたかったな。もう、無理かしらね。」

「そうだねえ。ちょっとショックが大きすぎるかもしれないねエ。」

「なあに、咲さん。その水穂さんという人は。」

不意に、苑子さんが、そう聞いてくる。

「いや。私の同級生で、すごいピアノがうまかったピアニストです。ゴドフスキーの大家と言われた位すごかったんですよ。でも、悲しいことに、今はどこの音楽事務所にも所属してなくて、ずっと寝込んでしまっているんです。」

咲がそう答えると、

「もし、可能なら、あってみたいですね。その人にも、演奏を手伝っていただきたいわ。勿論、よくなったらの話だけど。」

と、にこやかに笑う苑子さん。蘭は思わずぎょっとするが、もしかしたら、彼女を使えば、という気持ちがないわけでも無かった。それを杉三が、おい、蘭、よせ、と言いながら軽くごついた。

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