第26話 表の指輪、裏の手(後編)

 ザシャは追い込まれつつあった。大した反撃をしない相手と判断したオリヴァーが攻勢を強めたのだ。ザシャがたまに繰り出す反撃もあっさりと退けると、更に剣撃を強める。


「あるじ! いつまで我慢してんだよ! 線画トレーサー追いかけるのも限度があるだろう!」


 見かねたオゥタドンナーが声を上げる。


 最初は己の力だけで対処していたザシャだったが、途中から反撃は線画トレーサーをなぞるようにしていた。しかし、いずれも踏み込みが甘かったり左脚の痛みで動きが鈍ったりと、最後までなぞりきれたことがない。有効な一撃は依然皆無だ。


「ははっ、これで魔王が討伐できたってんだから楽なもんだよな! 実は魔王って奴も弱かったんじゃねぇのか!?」


 一方的になりつつある戦況に機嫌を良くしたオリヴァーが、ザシャをあざ笑う。


「親父に行くなって命令されたから行かなかったけどよ、俺が参加してりゃもっと早くに討伐できてたな! お前らがちんたら旅をしてたから、無駄な犠牲が出たんだろ! こんなことなら俺が参加しときゃよかったぜ!」


「てめぇ!」


 怒りで顔を歪めたザシャは歯を食いしばって攻勢に転じる。一撃の重さと速さがそれまでとは段違いとなり、オリヴァーの目が大きく開いた。


「はっ、やるじゃねぇか! そうこなくっちゃ、な!」


 顔をこわばらせながらオリヴァーがザシャの反撃を受けて立つ。突き、躱し、斬り、流す。互いがそれまで見せていた以上の技量と膂力をもって激突した。


 しかし、互角の状態は長く続かない。ザシャの顔が徐々に苦痛でゆがんでいく。対照的にオリヴァーの顔には喜色が浮かんだ。


 その様子を尻目にしたクリスは眉をひそめた。ザシャが往時の強さを取り戻したかのように激しい戦いを繰り広げているが、無理をしているのがわかるからだ。


 だからといって、クリスは今すぐどうこうできる状態ではなかった。メルヒオールとの戦いが完全に互角であるため、助けに行く余裕がまるでない。


「かなり身体能力が向上してる。その指輪の副作用って、かなりきついんじゃないの?」


「母上が授けてくださった指輪が、危険なわけがない!」


「そんな都合のいい魔法の道具なんてあるわけないでしょ。絶対何か代償を支払わされているよ」


「自分が不利だからといって難癖をつけるとは見苦しい!」


 己の優位を確信しているメルヒオールが勢いに乗って攻勢を強める。


 対して、クリスには余裕があまりないものの、それでも相手の剣撃は防げていた。


「貴様など、この俺の引き立て役にすぎんのだ! 殺す、絶対に!」


「なんか変に興奮してな、えっ!?」


 突然、足の位置を変えようとしたクリスが大きく体の均衡を崩した。本人はもちろん、目の前のメルヒオールも何が起きたのかわからず目を見開く。だが、驚いたのはどちらも一瞬だった。両者はすぐに次の行動へと移る。


 クリスは体勢を立て直すことを諦めて、メルヒオールの剣撃を躱すことのみに集中する。


「好機!」


 一方、降って湧いた機会にメルヒオールはトゥーゼンダーヴィントを振るう。


 クリスはそのまま地面に転がって剣先から逃れた。一回転してメルヒオールから離れ、そのまま流れるように立ち上がると剣を構える。


「なに今の?」


「ふん、あんな何でもないところで体勢を崩すとは、既に体力は限界か?」


 小馬鹿にするメルヒオールには反応せずに、クリスは構えたまま考える。足の位置を変えようとしたときに一瞬足首を掴まれた感触がした。足下に目を向けても今はどこにもおかしなところはない。


 更に、メルヒオールが何かしたとも思えなかった。トゥーゼンダーヴィントにそんな能力はないことをクリスは知っている。指輪についてはさすがに知らないが、メルヒオールの様子からこれも違うように思えた。


「まいったね。やりにくいな」


「ようやく化けの皮が剥がれてきたようだな。俺がここから華麗な逆転をしてやろう」


「肩で息をしてても格好付かないよ」


「やかましいわ!」


 いきり立ったメルヒオールは攻撃を再開した。クリスが反撃しないことを良いことにトゥーゼンダーヴィントを縦横に振るう。


「はははっ! どうだ、俺が本気になれば手も足も出まい!」


「一回だけ? やっぱりメルヒじゃない?」


 メルヒオールの剣撃を躱し受け流しながらクリスは呟く。仕掛けたのがメルヒオールならば、頻繁に仕掛けてくるとクリスは考えたがその様子はない。


 考察しながら戦っているクリスの反応はどうしても鈍くなる。それにつけ込んでメルヒオールが激しく攻め立てた。


「ふはははっ! この俺に逆らうとどうなるか思い知れ!」


「うわっと!」


 足の位置を変えようとしたときに、再びあの感触が足首に蘇った。思い通りに足を動かせずにクリスが体の均衡を失う。


「そこだ!」


 先ほどと同じように地面を転がって、トゥーゼンダーヴィントの切っ先からクリスは逃れた。素早く起き上がって剣を構える。


「こっちの意識が足下にないときに一瞬だけ掴むんだ。そうか、大っぴらにはできないもんね。うまく邪魔してくれる」


 からくりは以前不明だが、どんなときに足首を掴まれるのかクリスはある程度理解する。ただし、対処方法はまだ思いつかない。


 そのとき、メルヒオールの奥にダニエラの姿を認めた。なんとなく気になったその顔には、笑みとも侮蔑ともとれる表情を浮かべている。


「なるほど、あっちか。いかにも性悪女らしい」


 直感ではあるが、間違っていないとクリスは確信して苦笑する。相手は目の前だけではなかったことを今更になって思い出した。


「はぁはぁ、さぁ、今度こそケリをつけてくれる!」


「だからそういうのは、もっと余裕がないと格好が付かないんだってば」


「うるさい! 勝てばいいのだ!」


 若干の呆れも入ったクリスの忠告を無視して、メルヒオールが猛攻を仕掛けた。先ほど以上にトゥーゼンダーヴィントを縦横に振るうが、まだクリスには届かない。


 今まで二回の経験上、クリスは足首を掴まれるのは一瞬だけだと予想した。それならば、当面は互角のまま勝負はつかないと考える。少なくともメルヒオールに大きな動きがない限りは何とかなると判断した。


「えっ!?」


 しかし、クリスの予想はあっさりと外れる。


 メルヒオールの突きを避けるため体を微妙に動かそうとしたときに、足首を掴まれる。しかも今回に限っていつまでも掴まれたままだ。そのせいで体を動かせない。とっさにトゥーゼンダーヴィントの軌道を手にしている剣で逸らせたものの、均衡を失いよろける。


 その機会をメルヒオールは逃さなかった。更なる剣撃をクリスに叩き付ける。


「まずっ!」


 体勢を変えられないクリスは剣だけでメルヒオールの剣撃を防ぐが、いつまでもできることではない。躱すにしても限度がある。ついにトゥーゼンダーヴィントの刃先がクリスに届いた。左の二の腕を防具ごと切り裂く。傷口から鮮血が流れ出た。


「痛っ!」


「はははっ! やったぞ! ついに追い詰めた! 貴様が俺に勝てるはずがないのだ!」


「ああもう。かすめたくらいではしゃいじゃって」


 実際の傷は皮一枚どころではないのだが、この程度の傷ならば経験があるクリスに動揺はない。ただ、文字通り足下を脅かす存在をどうにかしなければ、じり貧なのは間違いなかった。


「兄上ぇ、そろそろ決着をつけましょうか」


「ちょっとまずいかな」


「ククク、このときをどんなに待ちわびたことか!」


 息を切らせながらもメルヒオールの瞳に希望がわき上がる。戦いはクリスが圧倒的に不利となっていた。

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