第27話 魔剣解放

 最初は互角に戦えていたザシャだったが、左脚の後遺症はいつまでも我慢できるものではなかった。痛みは激痛となり、更には脚の感覚が消えてゆく。


「くそっ!」


 ついに耐えられなくなったザシャは後退した。痛みで顔をゆがませたままオリヴァーを睨む。その際に体がほとんどふらつかなかったのは今までの経験によるものだが、オリヴァーにとっては充分な隙だった。


「だろうな! そんな脚でいつまでも踏ん張れるわけがねぇ!」


 後退するザシャに応じてオリヴァーが前進する。彼我の距離はほぼ変わらず、剣撃が止んだのは一瞬だけだ。オリヴァーの乱打が再び始まる。今度はよりザシャが追い詰められる形で。


「痛っ!」


 そのとき、ザシャの耳にクリスの短い叫びが入る。余裕のない中でかろうじて視線を向けると、メルヒオールがクリスの左腕を切り裂いたのが見えた。


「あるじ! いつまで意地張ってんだ! もういいだろ、無理だって!」


 オゥタドンナーの声が耳を打つ。


 己の体に問題があってはどうにもならないことはザシャにも理解できた。事前に予想していたことだが、オリヴァーは後遺症を抱えて勝てるような甘い相手ではない。


 そのとき、振るうオゥタドンナーの剣身中央に走る薄く赤黒い線に刻まれた文字が、ザシャの視界に入る。こんなときだというのに、やたらと印象に残った。


「ははっ、随分とおしゃべりな剣だな! まとめてへし折ってやる!」


 オリヴァーの渾身の一撃がザシャに打ち付けられた。何とかオゥタドンナーで受けたものの、踏ん張りがきかずに後ろへ弾かれる。既に左脚の感覚がないため、地面を転がってから片膝立ちするしかなかった。


「いいザマだなぁ! 魔王討伐の英雄様も、所詮はこの程度ってわけか!」


 近づいてくるオリヴァーに気を配りつつも、ザシャはオゥタドンナーの剣身をずらして刻まれた文字を見る。もう、迷っている余裕はなかった。


「我は命ず、血潮の赴くままに。汝、鮮血と共に道を開き、紅き雷鳴を轟かせよ!」


 剣の柄を握りしめながらザシャが言葉を口にすると、剣身にある薄く赤黒い線が紅に光る。それは、かつてオゥタドンナーが復活したときの比ではなかった。あまりのまばゆさにザシャは目を細める。同時に剣身は赤黒く放電し、思わずオリヴァーも足を止めた。


「チッ、また何かやりやがったか」


 以前オゥタドンナー復活のときに居合わせたオリヴァーが、鬱陶しそうに吐き捨てた。そして、まだ輝きと放電が完全に収まらないオゥタドンナーを持ったザシャに、オリヴァーは近づこうとする。


「はーっはっはっ! やったぜ! これだよ、これを待ってたんだよ、儂は! 最高の気分だぜ!」


 剣身の線が紅く輝いている様子は、喜びを我慢できないオゥタドンナーを表しているかのようだ。


 オゥタドンナーの解放後、ザシャは体に熱が湧き起こるのを強く感じた。それは怒りではなく、高揚感だ。破壊的衝動を伴った、子供の頃の全能感が全身を支配する。残る理性の欠片で、これがオゥタドンナーの本能なのだと理解した。


「なんだお前? 目の色が変わったのか?」


 オリヴァーは自分を見据えるザシャの瞳の色が変わっていることに気付いた。少し前まで茶色だったものが深紅に輝いている。そして、その顔に今までに見なかった攻撃的な笑みが浮かんだのを見て、舌打ちする。


「面倒なことになる前に片付けるか」


「もう遅ぇよ」


 片膝立ちしていた状態から、ザシャは飛び上がるようにオリヴァーへと一気に飛び込む。


 オリヴァーは反射的に打ち込まれたオゥタドンナーを受け止めるも、あまりの勢いに一歩後退した。驚きと怒りで顔を歪める。


「最後に燃えさかる蝋燭のカスみたいなもんか! 踏み消してやる!」


「そのカスってのは、てめぇの命のことだけどな!」


「んだと! さっきまで死にかけてたくせに! さっさと死ねぇ!」


 鍔迫り合いの最中、ザシャとオリヴァーが歯をむき出しにして言い争う。


 そして同時に相手を弾き飛ばすように押し込みながら、一歩後退した。


「あるじ、どうだ体の調子はよ?」


「嘘みたいにいいな。一番冴えてるときの状態みたいだ」


「そりゃ良かった! なら、これからやることはひとつだけだよな?」


「もちろん。目の前の敵を殺す!」


 オゥタドンナーの声に答えると、ザシャは上段の構えのままオリヴァーへと向かって大きく踏み込み、一気に振り切る。更に、オリヴァーがとっさに下がって繰り出してきた反撃の突きに対して、刃先を上に向け、その腕めがけて切り上げる。


 そのあまりに速い剣撃に対して、オリヴァーは腕を引き下げた。その表情に先ほどまでの余裕はない。


「てめぇ! 左脚が痛むんじゃなかったのかよ!?」


「さぁな。そんなもん忘れたよ」


 実際、今のザシャは左脚の痛みをまったく感じていない。感覚も完全に戻っており、右脚同様に使うことができている。


「ふん、剣の能力で多少力が上がったからっていい気になってんじゃねぇぞ」


「それは自分のご主人様への諫言のつもりか? トゥーゼントを使ってもクリスと互角がやっとじゃ、たかが知れているが」


 ザシャの言葉でオリヴァーのこめかみに青筋が立つ。そして猛然と斬りかかってきた。


「さっさとてめぇを殺して、あのひょろっちい奴もまとめて始末してやる!」


 オリヴァーの剣撃は先ほどよりも速く重い。しかし、どの剣撃もザシャに躱され、受け流されてゆく。攻めているのにまるで追い詰められているかのようだ。先ほどまでの優越感がまったくないことにオリヴァーは苛立った。


「ああそうだった。前は体をこんなふうに使っていたんだったっけ」


 一方のザシャは、左脚の後遺症から解放されて、かつてのように体を十全に動かしていた。無意識に左脚を庇う必要もなくなり、必要なときに望むように体を使うことができる。久しくなかったこの感覚にザシャは喜びを感じていた。


「オゥタ、これ、俺の身体能力も上がっているのか?」


「いいや、今は左脚の痛みを消したのと闘争本能をかき立ててるだけだな」


「闘争本能? お前、それ説明してなかったよな?」


「別に能力が変化するわけじゃねぇんだから、大したことじゃねぇだろ。単にやる気が出るってだけで」


「随分と簡単に言ってくれるよな」


 相手の剣撃を防ぎながらザシャは顔をしかめる。この様子だと他にも聞いていないことがあるかもしれないと不安になった。


「てめぇ、余裕こいてんじゃねぇぞ! 剣なんぞとしゃべりやがって!」


「時間がない。さっさと終わらせるぞ」


 今になってクリスが危機的なことをザシャは思い出し、更に剣速を上げた。


 オリヴァーは顔を凍り付かせた。剣速が自分を上回るとは思わなかったからだ。徐々にザシャの剣撃についてゆけなくなり、一歩一歩後退していく。


「ふざけんな! てめぇなんぞに!」

「負けるんだよ!」


 ザシャが更に剣速を上げると、オリヴァーは完全に防戦一方となる。しかしそれも、剣を絡め取られてしまうと終わった。無防備となったその喉元にオゥタドンナーが吸い込まれるように入る。


「がはっ!?」


 目を見開いたオリヴァーの口から吐血する。全身を硬直させしばらく痙攣していたが、オゥタドンナーの剣先が下がると滑るように離れて地面に倒れた。


「これこれ! いいねぇ! 実にうまい! やっぱこうでなきゃよぉ!」


 はしゃぐオゥタドンナーの声がザシャの耳に入った。しばらくはオリヴァーを倒した高揚感が支配していたが、徐々に冷めてくると本来の目的を思い出す。もうひとつの戦い、クリスとメルヒオールへと顔を向けた。

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