第22話 選択のとき
ザシャは自分にあてがわれた待機部屋に戻る。滅多に使わないので愛着はないが、一人になりたいときに個室があるのは便利だと初めて実感した。
「即答できなかったな」
先ほどのクリスとのやりとりを思い出して、ザシャはため息をついた。
クリスの護衛騎士を引き受けたのは確かに親友としてだ。個人的な信頼と信用については己が一番という自負がザシャにはある。だからこそ、護衛騎士の任務を引き受けた。
しかし、アードラー家が取り潰される可能性が高いとなると、自分だけの問題ではなくなる。アードラー家が独立した三男とは無関係といくら主張しても、国王になったメルヒオールが有罪と判断すればそれまでなのだ。
ただ困ったことに、政治的な情勢は非常に微妙だった。どちらが王太子になるかはまったくわからない情勢だ。
「ダメだ、わかんねぇ」
もとより政治的な判断が自分にできるとは思っていないザシャは、別の面から考えてみることにした。
自分はどうしたいのか。親友としてどうなのか。顔を歪めながら考えていると、ふとクリスの説明を思い出す。
『魔王討伐の旅のときからの延長でずるずると引き受けてくれているのだとしたら、いい機会だからよく考えてほしい』
その後に貴族として考えてほしいと言われたザシャは、貴族の子弟としてばかり考えていた。しかし、これは本当にそれだけの意味しかなかったのか?
ここで、今までのクリスの行動を思い起こす。今まで無茶な、それこそ体を張った近づき方を散々された。最近はすっかり慣れてしまったが、それは結論を先延ばしにしているにすぎないと前々からわかっていた。
最初はいきなり女になった親友に戸惑っていた。ベティーナとの婚約が解消となってそれどころではなかったということもある。しかし、いつまでも言い訳にはできない。
「結局、俺はあいつのことをどう思っているんだ?」
今ではクリスが女であることを受け入れている。しかし、それはクリスの性別が女であるという意味でしかない。今している問いかけは、クリスそのものをどう思っているのかということだ。
「そうだ。忘れてた」
もうひとつ、かつて想像したことをザシャは思い出した。
クリスが国王になれば、誰かと結婚して世継ぎを産まなければならない。自分以外の誰かとクリスが結婚することに、自分は耐えられるのか?
胸の奥が痛くなった。ザシャは自覚した。答えはずっと前に出ていたのだ。単にやっと目を逸らさず向けられただけである。
その姿はいつも通りだ。もう迷いは見えない。
勢いよく立ち上がると、ザシャは部屋を出た。
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朝方にベティーナと庭園で会ったとき、去り際に夕方まで返事を待つと伝えられた。少し早いと理解しつつも、ザシャは西日が差しかかろうというときに庭園へやって来た。
「思ったよりも早いのね。待つつもりで来たのに」
「それだけ決心が早くついたってことだ」
落ち着いた様子のベティーナが声をかけてきた。
「メルヒオール殿下のところに寝返る気にはなった?」
「俺は行かない。これからもクリスの護衛騎士を続ける」
「顔を見て結論はすぐにわかったけど、理由まではわからないわ。聞いてもいいかしら?」
「クリスのことが好きだってことがわかったからだ。女になったからどう受け止めたらいいのかわからなかったけど、その心の整理もついた」
「だったらはっきりと愛しているって言いなさい。最後の最後でそんな照れ隠しを見せたら、せっかくの決意が台無しよ?」
ベティーナに呆れられたザシャは呆然とする。その表情を見たベティーナは笑った。
「あなた、そんなだから私に振られるのよ」
「どういうことだよ? 婚約解消は家の事情だったんだろ?」
「その通りよ。でも、そう決まる直前にお父様から本当にそれでいいのか訊かれたの。そのとき気付いたのよ。あなたに一度も愛しているって言われたことがないって。だから、婚約を解消することに従ったの」
ザシャは絶句した。同時にあんな伝えにくいことをベティーナが自分に告げられた理由も理解する。
「俺、最初からダメだったんだ」
「そうよ。そして、これは私がしてあげられる最後の忠告」
そのベティーナの言葉にザシャは目を見開いた。
「クリストフ殿下は積極的だからまだ何とかなっているのかもしれないけれど、ちゃんと応えてあげないとそのうち愛想を尽かされるわよ、私みたいにね」
勝ち気に笑うベティーナに対して、ザシャは何も言えない。
「それでは失礼するわ」
「ベティーナ、ありがとう」
重要な助言をしてくれたベティーナの背中に、ザシャは礼の言葉を届ける。
ベティーナは振り向かずにその言葉を受け取って庭園から去った。
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茜色の日差しが強くなる頃に、ザシャはクリスの部屋へと足を向けた。扉前の近衛騎士に入室許可を求めるとあっさりと通される。
朝以来見るクリスは若干緊張しているようにも見えるが、それはザシャも同様だった。
「クリス、答えを出せたから伝えに来た」
「そっか。それで、結論は?」
「俺はお前の護衛騎士を続ける」
クリスの表情がザシャの決意を聞いて弛緩した。雰囲気も緩やかになる。
「うん、ボクとしては嬉しいかな」
「それと、できれば人払いをしてもらいたいんだが」
はにかみながら喜ぶクリスに対して、ザシャは尚も緊張したまま言葉を続ける。何事かと首を傾げるクリスだったが、その真剣なまなざしを見て周囲の騎士や侍女を下げた。
ザシャが短く礼を伝えるとしばらく無言が続いた。クリスは急かさずじっと待つ。
次第に表情が険しくなっていくザシャだったが、やがて意を決して口を開いた。
「魔王との決戦前夜、お前が俺に告白したときのことを憶えているか?」
「憶えているよ」
「あのときまでお前は俺のことを親友だと思っていたって信じて疑っていなかった。それ以前の行動を思い返しても、俺のことを愛しているっていうようなそぶりは何ひとつ思い当たらなかったからな」
「結構隠すのつらかったんだよ、精神的に」
「でも、魔王を討伐して帰国した後は違った。女に変わったということもあって積極的になったよな。こっちは婚約破棄された衝撃もあって素直に受け止められなかったけど」
一旦言葉を句切ったザシャに対して、クリスは口を挟まない。
「でも実は、王族専用の風呂場に一人で入っていたときに色々考えたんだ。俺と実家のことや当時の環境、そしてお前のことも」
「お風呂にそんな効果があったんだ」
「あったんだよ。そして今日、朝と夕方にベティーナと会って色々聞いた。俺が全然駄目だった事を。自分の気持ちから目を逸らし、はっきりと伝えないところが特にな」
「そうだね。ザシャって肝心なところに応えてくれないんだもん」
「そのとおり。俺は肝心なところに答えていなかったんだよな。お前の告白に対して。だからそれに答えなきゃいけない」
緩やかだったクリスの雰囲気が緊張する。そして、ザシャの次の言葉を待った。
「クリス、愛している。誰にもお前を渡したくない」
「やっと返事が聞けた!」
ザシャの言葉を聞いたクリスに満面の笑みが広がる。二人の雰囲気から完全に緊張が消え去った。
クリスが寝台の横に移って座ると手を広げる。ザシャはそれに応えてクリスをかき抱いた。お互いのぬくもりが伝わるほどに、どちらも抱く力をこめる。
「嬉しい! 愛してるよ! 私も!」
「俺もだよ」
想い溢れたクリスはザシャの胸に頬ずりする。それを愛おしそうに眺めながら、ザシャはクリスの頭を優しく撫でた。
「幸せだなぁ。んふふふ、生きてて良かったぁ」
「そうだな。そしてこれからも生きなきゃいけない」
ザシャの一言でクリスが胸から顔を離した。その瞳は喜びに溢れつつも強い意志が宿っている。
「そうだね。ここで終わりってわけにはいかない。何としても生き抜かなきゃ」
「問題はどうやって、っていうところがわからないままなんだが」
「どうにかするしかないよね。二人で」
嬉しそうにクリスがザシャを見つめる。その言葉にザシャはうなずいた。
そんな良い雰囲気の中、室内に侍女が国王の言葉を伝えに来た。それは、明日クリス襲撃事件についての会議を開くというものだった。
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