第21話 示される選択肢

 暗殺者を退けた後、ザシャは王宮の警護兵に随伴していた治癒士にクリスを任せた。王侯貴族ともなるとお抱えの治癒士がいるので、大抵の傷や毒はすぐに治せる。もちろん暗殺する側もそれを知っているので、即効性の高い毒を使うのが一般的だった。


 クリスの場合も同様だった。しかし、王宮に務める治癒士がすぐに駆けつけてくれたこと、倒した暗殺者の武器に使われていた毒を解明できたことから、一命を取り留めることができた。


 一夜明けた朝、ザシャは王族自慢の庭園に一人佇んでいた。


「てっきりクリストフ殿下につきっきりだと思っていたんだけれど」


「クリスの警護は近衛騎士がしている。守れなかった俺はお払い箱だよ」


 自嘲の笑みで迎えるザシャに、柔らかい笑みを浮かべるベティーナが声をかけた。


「メルヒオール殿下が快哉を叫んでいらしたわ。ついにこのときが来たって」


「そりゃ暗殺が成功しかけたんだから嬉しいだろう。カロリーネ王妃に続いてクリスまで倒れたんだからな」


「クリストフ殿下派の切り崩しが、これから活発になるでしょうね」


 無言のザシャが眉をひそめて返す。ザシャ自身にとっては派閥に興味はないが、クリスが不利になることは不快だった。


「そこまでして国王になって、何がしたいんだろうな。俺にはさっぱりわからない」


「自分が即位して当然という考えのようだから、何かしたいことがあるわけじゃないわよ」


「バカみたいな話だな。そんなのに巻き込まれる周りはいい面の皮じゃないか」


「本当にそう思うわ」


 以前とは違い、ザシャはベティーナと会ってもときめかなくなっていた。それだけ心の整理ができたということだとザシャは納得している。


「それで、何しに来たんだ? 世間話をしに来たわけじゃないんだろ?」


「メルヒオール殿下のところへ来ない? 今なら私も口添えしてあげられるわよ」


「いきなりだな。本気で言ってんのか?」


「メルヒオール殿下はクリストフ殿下だけじゃなくて、あなたのことも殺そうとしているわ。魔剣と契約したあなたも邪魔者なのよ」


「そりゃそうだろう」


 以前参加した王侯貴族の会議のことをザシャは思い出す。あのときは、オゥタドンナーだけでなくザシャも議題に上った。


「冷たい言い方になるけど、今のあなたならまだ利用価値があるわ。このままクリストフ殿下の元にいたら必ず殺されるのだから、多少扱いが悪くなっても乗り換えるべきよ。家族が連座するのは嫌でしょう?」


 ベティーナの提案に対してザシャは無言のままだった。ベティーナは更に言葉を続ける。


「夕方、またここに来るわ。そのときに答えを聞かせて」


 返事を待たずにベティーナが去る。ザシャはそれを黙って見送った。


 ザシャはベティーナの言葉について改めて考える。


 クリスの暗殺が現実となった今、メルヒオールが王位に就いた場合、実家は何らかの理由を付けてお取り潰しとなるだろう。


 また、クリスにはこれからも刺客が送り込まれてくることは明白だ。ベティーナは今のザシャに利用価値があると話したが、それを利用してクリスの助命ができないかとザシャは真剣に考える。


「ダメだ、全然考えがまとまんねぇ」


 頭が悪いわけではないものの、ザシャは政治的駆け引きについてはさっぱりだった。これという案が浮かんでこない。


 そうやって一人悩んでいると、再び近づいてくる人物がいた。今度はクリスの侍女だ。


「クリストフ殿下がお呼びです」


「気が付いたのか」


 侍女はその呟きにうなずく。ザシャは思考を中断して侍女に続いた。


---


 クリスの部屋は、近衛の意匠をあしらった鎧を着込んだ騎士が数人警護していた。クリスの侍女が入室の許可を求めると、ザシャも含めて中に通される。


 見慣れた寝台には、見慣れた人物が横になっていた。ザシャは近づくと声をかける。


「クリス」


「来てくれたんだ」


 クリスとしてはいつものように笑いかけているのかもしれないが、ザシャにはその笑顔が随分と頼りなく思えた。魔王討伐の旅のときも死を覚悟したことは何度かあったが、クリスがこんな風に見えたのはザシャにとって初めてだ。


「一命は取り留めたって聞いているが、体はまだ動かせないのか」


「毒素は全部消えたらしいんだけど、弱った体を元に戻すのにしばらく時間がかかるんだ」


「消耗した体力まではどうにもならないもんな」


「当面は養生するべきだって医師から言われたよ。まるで母上みたいだね」


 難しい顔をしたままザシャは黙った。さすがに今の時期だと返答に困る言葉だ。


「ごめんね。昨晩、トゥーゼントを使っていたときの感覚で戦っていたから、多少の毒なら平気だって思い違いをしてたんだ」


「そう言えば、旅のときもたまに大胆な戦い方をしてたよな」


 以前のことをザシャは思い出した。毒などの特殊な能力を持った魔物に対して、クリスは差し違えるのかと見間違えるくらい思い切りの良い攻撃をすることがあったのだ。それは聖剣であるトゥーゼンダーヴィントの加護あっての戦い方だった。


「それでね、キミを呼んだ理由なんだけど、今後どうしたいのか聞くためなんだ。ボクとしてはこれからも護衛をしてほしいんだけど」


「俺が望んだとしても無理なんじゃないか? 護衛に失敗しているんだし。こういうときは、縁起担ぎもあって総入れ替えするだろう」


「ボクが望めば大丈夫だと思う。ザシャは暗殺者二人を倒しているし、ボクは自分から暗殺者と戦って負傷したから、キミに落ち度はないでしょ」


 どことなく居心地が悪く感じてザシャは顔をしかめた。最優先目的を果たせなかったせいで、どれだけ褒められても喜べない。


「だったら、今まで通りでいいんじゃないのか?」


「ボクからしたらね。でも、キミはどうなんだろうって、今朝目覚めてからずっと考えてたんだ。魔王討伐の旅のときからの延長でずるずると引き受けてくれているのだとしたら、いい機会だからよく考えてほしい」


「いや、引き受けてくれって頼まれたときにそれは考えたから」


「親友としてでしょ? でも今回は、貴族としても考えてほしい。このままボクと一緒にいてメルヒオールに負けると、アードラー家もお取り潰しになるよ」


 先ほど自分が考えていたことを口にされて、ザシャは目を見開いた。


「それにね、今回のことでボクは改めて気付いたんだ。ボクのそばにいたらザシャは殺される。それは何より嫌だってことに。ボクはキミには生きていてほしい」


「それは、メルヒオール殿下につけってことなのか?」


 ザシャがオゥタドンナーの所有者である以上、メルヒオールが放っておくことはない。最悪魔剣さえ手に入れば良いと考えていることは充分に察せられる。


「うん、いいよ」


「お前な!」


「今すぐ結論は出さなくてもいいから。一人で考える時間は必要だしね」


 クリスの笑顔が無理をしているように見えたザシャは言葉を続けられなかった。何か言い返さなければならないとは頭でわかっていても口が開かない。


「今はここまで。それじゃ、また後でね」


 そう言われてしまうと、ザシャはこの場にいられなくなる。

 苦渋の表情を浮かべながらも、ザシャは黙って立ち去るしかなかった。

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