第20話 新月の刃

 日が沈んでからもなお動き回っていた者も、やるべき事に区切りを付けると眠りにつく。真夜中になると、宮中で起きている者は歩哨や警護兵くらいしかいない。


 そのはずだった。


 クリスの部屋の角に黒い塊がひとつ浮かび上がる。それが物陰から音もなくゆっくりと移動すると、同じ黒い塊がふたつ続く。


 家具や置物という障害物を避け、夜尚暗い陰の部分を進む黒い塊は寝台へと向かう。


 しかし突然、先頭を進む黒い塊が止まった。同時に部屋全体が明るくなる。


「腕は良いんだろうが、おつむはもうひとつ足りないようだな。王子の部屋が暗殺者対策をしていないと思ったのか?」


「メルヒ寄りの貴族が放った暗殺者ならこれを無効にする道具を持っているんだろうけど、残念だったね。こっちだって色々細工してるんだ」


 寝台の横、部屋のほぼ中央に、オゥタドンナーを鞘から抜いたザシャと寝間着姿で剣を構えるクリスが立っていた。また、出入り口の扉が開いて不寝番の護衛騎士が二人入ってくる。黒い塊は完全に挟み撃ちとなった。


「いいねぇ! 儂はこういうのを待ってたんだよ! さっさと殺っちまおうぜ、あるじ!」


 オゥタドンナーの喜ぶ声を合図に、黒い塊三つが一斉に動いた。ザシャへは一番大きな塊、護衛騎士二人には一番小さな塊、そしてクリスへは残りの塊が向かう。


 素手のまま向かってきた黒装束の大男に対して、ザシャは向けていた剣先をそのまま突き出す。左腕を狙ったものだが、それは手甲で巧みに受け流された。


 そのままの勢いで自分に踏み込んでくる黒装束の大男を見たザシャは、突き出された右腕を避けるために流される剣の勢いそのままに右側へと避けた。だが、若干体がふらつく。


 交差し、向き直った両者は構えて一旦立ち止まった。剣撃の音が室内に響く中、ザシャは微妙に顔をしかめる。


「こいつ、力が強い?」


 全身黒一色の衣服に頭も頭巾を被っているために表情もわからない。しかし、体の大きさと衣服の上からでもわかる筋肉、そして今の交差でわずかな情報が拾えた。


 奇襲での暗殺に失敗しても戦いを仕掛けてきたところに、どうしてもクリスを殺したいという決意が伝わってくる。しかし、時間の経過は暗殺者側にとって不利だ。


 黒装束の大男が再び踏み込んできた。


 ザシャは構えた切っ先を右下に下げ、手首を返して一気に跳ね上げる。オゥタドンナーの切っ先は相手の右腕めがけて空を裂いた。


 この動きは黒装束の大男も気づき、突き出した腕を引き戻す。そして、前のめり気味だった体を少しのけぞらしつつも元の位置に戻った。


 剣先を跳ね上げた体勢のままのザシャと動く前と同じ構えに戻った黒装束の大男。


 その大男の右手は縦半分に裂け、床に大量の血を落としていた。


「ひははは! これだ! これだよ! こういうのを求めてたんだよ! 儂は!」


 喜びに打ち震えるオゥタドンナーが切っ先を赤く濡らしながら叫んだ。


 ザシャは若干眉をひそめながら構え直す。


 黒装束の大男は腰に備え付けてあった短剣を左手で取り出して順手に構える。その剣身は何らかの液体で濡れていた。そして、裂けた右手をそのままに三度踏み込んでくる。


 今までよりも大きく踏み込んできた相手に対して、ザシャは左に寄りつつその右腕に剣を打ち込んだ。相手の短剣を空振りさせつつ、その右腕を肘下から切り落とす。


「ぐっ」


 初めて黒装束の大男が声を漏らした。しかし、その動きは鈍らず、更に踏み込んで短剣を振るう。


 短剣の間合いで距離が近すぎるため、ザシャは長剣のオゥタドンナーを短剣の軌道にねじ込むのが精一杯だった。そして、どうにか後退して距離を稼ぐと、今度は逆に踏み込んで剣先を相手の短剣に向けて突き出す。


 黒装束の大男は左腕をとっさに引いた。


 ザシャは顔をしかめつつ更に剣を突き込んで首を狙う。オゥタドンナーの剣先は身を引いて躱そうとした大男の首に吸い込まれた。


「がはっ」


 絶命し、体を支えきれなくなった大男が膝から崩れ落ちる。何かに耐えるように顔をこわばらせながら、ザシャは倒れゆく大男から剣を引き抜いた。


「はぁ、たまんねぇ! やっぱいいねぇ、斬り合いってのはよ! こうでなきゃ!」


 興奮するオゥタドンナーをよそに、目の前の戦いが終わるとザシャは視線を周囲に走らせた。立っているのは四人、倒れているのは大男を除いて一人、護衛騎士だ。


 そのとき、クリスの悲鳴が耳に入る。


 一対一で戦っている一組はクリスと黒装束の男だ。左腕の袖が切り裂かれている。


 ザシャは急いでクリスの元へ向かう。二人の戦いに横合いから加勢した。


「こいつを片付けるぞ!」


「うん!」


 顔に喜色を浮かべてうなずくクリスと共に黒装束の男に剣先を向けた。


 しかし、黒装束の男は何かを呟きながら後ずさる。それに合わせて、次第に室内に霧が立ちこめてきた。


「くそ、見えねぇ!」


 見失う前にとザシャが近づこうとしたときには、既に白い霧が視界を覆いつつあった。


「あるじ、儂の能力を使えよ!」


 指摘されたザシャは、オゥタドンナーの特殊な能力を思い出す。同時に線画トレーサーが見えるようになった。線画トレーサーは逃げつつある黒装束の男まで続いている。


「何も見えないが、本当にこの線画トレーサーに沿えばいいのか?」


「そうだぜ。障害物のことも考えなくていい。早く追いかけようぜ、あるじ!」


 一瞬躊躇ったザシャだったが、他に手段がないためオゥタドンナーの提案どおり線画トレーサーに沿って進む。


「躊躇うんじゃねぇぞ!」


 視界のない場所を線画トレーサー頼りに進むザシャに、オゥタドンナーへ言葉を返す余裕はない。今は線画トレーサーに沿うことだけに集中していた。


 線画トレーサーによると、黒装束の男は扉から廊下へ出ようとしたところで立ち止まった。ザシャが進むほどに距離が縮まる。


 相変わらず何も見えない中、ザシャはそのまま勢いよく進む。そして、最後の後少しというところで腰を落として床の上を滑った。線画トレーサーとは大きく異なる動きだが、刃先の部分だけは最終目的の部分に合わせて斜め上に構える。


 次の瞬間、ザシャの持つオゥタドンナーに衝撃が走る。そして更に固い物にぶつかって止まった。ザシャが顔をしかめる。


 しばらくして霧が晴れてくると、オゥタドンナーに串刺しにされた黒装束の男の体が、ザシャの目の前にあった。


「ばかな、あの霧の中、目が見えていたのか?」


 黒装束の男は呟いた後に動かなくなる。


 覆い被さってきそうな死体を脇にどけて剣を抜く。ザシャの目の前には扉があった。


「なぁ、あるじ。なんで最後線画トレーサーどおりに動かなかったんだ?」


「この霧はこいつが出したものだろう? だったらこの霧の中でも周囲が見えているはずだと思ったんだ。それに、最後に姿を見たときに武器を持っていたからな。だからあのまま線画トレーサーどおりに動いたら、反撃されると思ったんだよ」


「へぇ、いい勘してるじゃないか。大したもんだ」


 珍しくオゥタドンナーがザシャの言葉に感心していた。


 それを聞き流しながらザシャはクリスの元へ戻ろうとする。途中、護衛騎士の一人は完全に倒れて事切れていた。もう一人は別の場所で倒れている人物の脇で跪いて叫んでいる。


「おい、クリス、どうした」


 言葉を続けようとしてザシャは絶句する。跪いた護衛騎士の横でクリスが倒れていた。


 慌てて近づいたザシャも跪き、護衛騎士に詰め寄る。


「これは一体どういうことだ!?」


「わかりません。霧が晴れたときにはもう、クリストフ殿下は倒れていらして」


 倒れているクリスは苦しそうに喘いでいる。そして右手で、左腕の負傷した部分を押さえていた。通常の切り傷で、こんな症状にはならないことをザシャは知っている。


 そのとき、最初に相手をした黒装束の大男が手にしていた短剣の剣身に、何かが塗られていたことを思い出す。


「しまった、毒か!」


 廊下から多数の足音が聞こえてきた。この騒ぎを聞きつけた王宮の警護兵が室内へ駆けつけて来たのは、この後すぐだった。

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