第19話 主従関係の距離

 一日の執務が終わるとクリスは自室で夕食を済ませた。


「ザシャも一緒に食べたらいいのに。おいしいよ?」


「だから、そういう問題じゃないだろ。俺は護衛なんだ。ご、え、い。毎日言ってるだろ」


「旅してたときみたいに、二人で食べた方が絶対おいしいのに」


「その気持ちはわかるんだけどな、さすがに最低限の線引きはしておくべきだ」


「あーあ、いつになったら一緒に食べられるんだろう」


 クリスは食後の酒を舐めつつ口を尖らせる。しかし、ザシャとしても職務上の問題として断固拒否した。


「ただでさえ、口調は魔王討伐の旅のときと同じようにしているんだぞ。これ以上、態度までなし崩しにしてしまうと主従関係という感覚がなくなっちまうじゃないか」


「えー、ボクは別にいいけどなー」


「あんまりわがままばっかり言ってると、口調も護衛騎士らしくするぞ? 『クリストフ殿下、お戯れはおやめください』って」


「それはダメ、絶対!」


「だったら無茶ばっかり言うな。こっちだって譲歩しているんだから」


 ザシャが口調の一例を挙げると、クリスが真剣に反対した。


 その様子を見たザシャが肩をすくめ、クリスがため息をつく。


「後は体を拭いて寝るだけか。ねぇ、ザシャ、お願いがあるんだけど」


「体は侍女に拭いてもらうんだぞ。それは護衛の仕事じゃないからな?」


「王子様の命令だよ?」


「護衛の職務にそんなもんは入ってねぇって言ってんだろ。何でも命令って言えば通じると思うなよ。っていうか、さっき無茶ばっかり言うなって言ったばかりだろ」


「おかしいなぁ。普通は命令すれば通じるんだけどなぁ」


 次第にクリスの目が細くなっていくがザシャは無視する。理不尽なことには断固たる対応をとるという態度だ。


「仕方ないね。ザシャのわがままを許してあげよう」


「お前このやりとりを毎日するのはいい加減しんどいぞ。もうやめないか?」


「ふふふ、ザシャが言うことを聞いてくれたらやめるよ?」


 大きなため息をついてザシャは立ち上がり、クリスの元を離れる。


「隣で飯食ってくる」


「うん、いつでも覗いていいからね。むしろ覗け。ボクのお肌はきれいだぞ」


 挑発的な笑顔で返すクリスに、もはや反応する気力もないザシャであった。


 衝立の裏側に回ると、ザシャは用意されていた食事に手を付ける。柔らかいパン、温かく具だくさんのスープ、よく煮込まれた柔らかい肉、そして葡萄酒。いずれも平均的な騎士の食事よりも質が良い。この点に関してはクリスの配慮に感謝するザシャだった。


「今日もなんもなかったなぁ」


「そのセリフ、すっかりお馴染みになったな。オゥタがそう言っている間は平和だってことの証だ。俺としては嬉しいね」


「つまんねぇ。なんでもいいから起きてくんねぇかなぁ」


 パンをちぎってスープに浸しながらザシャがオゥタドンナーの相手をする。そして、パンを口に入れるとスープの味と共に口内へ広がった。


「けど、ただ立ってるだけじゃ、さすがに体がなまってくるな」


「そうだろ。体ってのは、適度に血を浴びつつ動かしてなんぼのものだぜ、あるじ」


「血はいらないだろう。動かすだけで充分だよ」


「そう固いこと言うなよ。スープに浸したパンみたいにもっと柔らかくなろうぜ」


「血を浴びたって俺はパンみたいに柔らかくならないよ」


 オゥタドンナーがいるおかげで、食事中の話し相手には困らない。話す内容についてはうんざりすることも多いが、黙々と食べるよりかはましと言えた。


 食事が終わり、ザシャが葡萄酒をちびちびと飲んでいると、クリスも体を拭き終わる。わずかな話し声と服を着る衣擦れの音がザシャの耳を打った。


 侍女が去って行くのを見送ると、ザシャはグラスの中身を飲み干して立ち上がった。


「今日も覗いてくれなかったね」


「飯食うのに忙しかったからな」


「ボクの体ってそんなに魅力ないのかな? 結構いいと思うんだけどなぁ」


 衝立の裏側から出てきたザシャはいつものやりとりを受け流す。寝間着姿のクリスは不満顔だったが、ため息ひとつで元に戻った。


「ザシャは体拭かなくていいの?」


「今日はもういいや。立ってるだけだったから汗もかいてないし。明日拭くよ」


「だったら寝酒に付き合ってよ。まだ平気なんでしょ」


 クリスは返事を待たずに侍女にグラスを二つ用意させた。視線で促されたザシャは腰を下ろす。これもいつもの光景だ。


「そう言えばさ、ザシャは政務みたいなことってしてなかったの? 実家が領地経営してるなら、規模は違っても税収の資料ってあったでしょ」


「そういうのは全部一番上の兄貴の仕事だよ。二番目の兄貴も手伝っていたみたいだけど、三男坊の俺くらいになるともうそんな仕事は回ってこなかったな。いずれ家を出ることになるのはわかってたし、剣ばっかり振ってたよ」


「それで真っ先にボクの募集に応じてくれたんだ。けど、死ぬ確率が高かったのに、よく来てくれたね」


「どうせそのまま家を出ても鳴かず飛ばずだったろうし、それなら博打を打ってみようって思ったんだ。負けても失うものは自分の命だけだったからな」


「うわ、刹那的な考え方だったんだなぁ」


 投げやりな考え方にクリスは呆れた。ザシャは苦笑している。


「それにしても、思った以上に何もないな。俺はもっとメルヒオール殿下達とつばぜり合いをすると思ってたんだが」


「政治の世界で流血沙汰なんて滅多にないよ。表立ってはね」


「嫌な話だなぁ。一回喧嘩や決闘してそれで終わりじゃ駄目なのか」


「ダメなんだよねぇ。みんなとことんしないと気が済まないみたい」


 グラスに口を付けつつ、クリスが政治の実情を説明する。


「でも、母上が病に伏せたから、何があってもおかしくないよ。こっちはしばらく身動きがとれないから」


「お前がいるじゃないか。それじゃ駄目なのか?」


「王都に戻ってきて半年も経っていない子供が一派をきちんと束ねられるほど、派閥は甘くないよ。ボクが今までのんきにしていられたのは、母上がきちんとまとめてくださっていたからさ。今のボクはまだ旗印でしかないんだ」


「それならメルヒオール殿下も同じなのか? ああそうか、あっちはダニエラ様がまとめているのか」


「あっちも基本的には同じなんだろうけど、ずっと王宮にいたからボクよりましなんじゃないかな。評判は良くないみたいだけど」


 ザシャがわかったかどうか怪しい顔をした。一瞬間が空いたが、ザシャから口を開く。


「そのカロリーネ王妃だが、倒れて二日で保養地に出発されたじゃないか。あれってあんなものなのか? 俺は出発するのにもっと時間がかかると思ったんだが」


「普通は容態を診て問題がないことを確認してからだから、最低一週間くらいはかかるよ。保養先の準備だってあるんだから」


「それじゃ前々から準備していたってことか」


「元々母上は病弱だったから、保養先の準備はいつでも受け入れられるようになっていたと思う。けど、二日で出発はいくら何でも早すぎるね」


「よくランドルフ陛下が許したな」


「父上が何を考えて決断を下されたのかはわからないけど、ダニエラ殿が何かしたんじゃないかな」


「確証でもあるのか?」


「ボクじゃそんな尻尾を捕まえられないよ。王宮の作法はあっちの方がよく知ってるし。母上は何か感づいていたのかもしれないけど、結局何も教えてくれなかったってことは、はっきりとしたことがわからなかったんだろうね」


「厄介な話だなぁ」


「ホント。早く終わらせたいね。さて、そろそろ寝よっか」


 残りの酒を飲み干すと、クリスは立ち上がって寝台へと向かう。ザシャも手にしたグラスを空にして立ち上がった。


 その様子を見ていた侍女が部屋の明かりを消してゆく。


 二人は最後に挨拶を交わすとそれぞれ寝台とソファで横になった。クリスは寝台の横に剣を立てかけて眠り、ザシャはオゥタドンナーを手にしたまま眠る。どちらも目を閉じるとすぐに寝息を立てた。


 月明かりのない室内は暗い。また、誰も動いていないので物音もない。その様子は、いつもの静かな夜だった。

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