第18話 宵闇の謀

 自室に戻ったメルヒオールは不機嫌だった。そのままいつもの席に腰を下ろす。オリヴァーが警護のため傍らに立った。ベティーナはすぐさまグラスを用意し、酒を注ぐ。


「なぜだ! どうして三年も政務に携わっているというのに、重要な仕事をさせてもらえんのだ! おかしいではないか!」


 ひったくるようにグラスを手に取って一気に傾け、酒を口に放り込む。大きな息を吐き出すと共に、脇のテーブルへグラスを叩き付けた。


「何も不手際など起こしてはおらん! 仕事ぶりを褒めていただいたこともあったのに! 一体何が足りんというのだ!」


 脇に立つオリヴァーは相変わらず無表情だが、ベティーナは若干眉をひそめている。


「大体、政務を始めて三ヵ月の兄上と俺が似たような仕事をしているのがおかしいだろ! 兄だから優遇されているのか! それとも俺よりそんなに優秀なのか! いや、あいつが俺より優秀なはずがない! たまたまトゥーゼントを手に入れて魔王を討っただけだ!」


 黙々とベティーナは空になったグラスに酒を注ぐ。


「ベティ! 兄上の評判はどうなんだ?」


「政務に関する噂はわかりません。なにぶん三ヵ月では結果がでていませんから」


「ちっ、使えん奴だな。女なぞ噂をするくらいしか能がないだろうに」


「申し訳ありません」


 いきなり話を振られたベティーナは慎重に言葉を選んだ。


「オリヴァー、貴様は何か知らんか?」


「政治には興味ありません。しかし、クリストフ殿下の護衛騎士を殺せば、活路を見いだすことができます」


「貴様、以前それに失敗しているではないか。あの魔剣が復活する前に殺し損ねたというのに、復活してからのあいつを殺せるのか?」


「実力に関しては既に把握しております。それに、あいつは左脚に問題があり、思うように動けませんでした。前回は魔剣復活のせいでうやむやになりましたが、最後まで戦えるのでしたら次は必ず殺せます」


 メルヒオールはオリヴァーの言葉を聞いて考え込む。そしてしゃべらなくなった。


「しかし、それでは単に護衛騎士を殺したことにしかなりません。それでクリストフ殿下がどうにかなるとは思えないですが」


「あの護衛騎士を殺した後、こちらが魔剣を回収すればいい。そうすれば、メルヒオール様がどちらも手にすることになる」


 ベティーナの疑問にオリヴァーが無表情なまま答えた。その会話を聞いていたメルヒオールの口元がつり上がる。


「そうか! 兄上を直接どうこうできないのなら、足下から崩せばいいのか! 魔剣は聖剣に並ぶ王家の至宝。この俺が手に入れることに何の問題もない!」


 今までの不機嫌さが一転して上機嫌になる。グラスに注がれた酒をメルヒオールはうまそうに飲み干した。顔に少し赤みが差してくる。


「ハーマン様、どうやってクリストフ殿下の護衛騎士と剣を交えるのですか?」


「方法はいくらでもある。メルヒオール様とクリストフ殿下が廊下ですれ違ったときに相手の護衛騎士が突然斬りかかってきた、メルヒオール様とクリストフ殿下が口論になって俺と相手の護衛騎士が殺し合いをした、などと理由をつければいい」


 ベティーナは絶句した。つまり、言いがかりをつけて殺してしまうというのである。


「おお、さすがはオリヴァー! 戦いに関しては知恵が良く回る! そうだ、どうせ俺とオリヴァーの方が強いんだから、剣で解決してしまえばいい!」


「はい、その通りです」


「そうか、そうだよなぁ。なんでこんな簡単なことを思いつかなかったんだろうか。あの腰巾着さえ殺してしまえば、すべて終わるんだよなぁ」


 心底不思議そうにメルヒオールは首を傾げた。


「主よ、クリスに勝ちたいという想いをもっとまっすぐにぶつけられないのか」


「あ?」


 ようやく上機嫌になったメルヒオールは、突然語りかけてきたトゥーゼンダーヴィントに目を向ける。


「どうしても力で解決したいのであれば、決闘するなどの手段があるだろう。人の上に立つ者としての誇りはないのか」


「ふん、王宮の中は面倒でな、やりたくてもできんことが山のようにあるのだ。貴様のような剣には理解できんだろうがな」


 吐き捨てるようにメルヒオールが答えると、トゥーゼンダーヴィントはそれきり黙る。


「おい、酒だ」


 テーブルへグラスを置いたメルヒオールが命じる。ベティーナは黙って酒を注いだ。


---


 メルヒオールがダニエラの元にやって来て、不満を漏らしたのは数刻前だった。あれだけ騒がしかった部屋が今は静まりかえっている。


「何の落ち度もないのに、あの子は不当な扱いを受けている。この三年間、誰よりも陛下に尽くしたというのに、なんと不憫な子なのでしょう」


 こなした仕事には目に余るような不備はないのに、望むことをさせてもらえないとメルヒオールは嘆いていた。その言葉を信じて疑っていないダニエラは、我が子のことを思い沈痛な表情を浮かべる。


「あの子にもっと重要な仕事を任せれば、陛下のご負担も減ることは間違いないのに、一体何がいけないというのか。軍の仕事くらい、あの子ならすぐにできるでしょうに」


 日が暮れてすっかり暗くなった室内で、ダニエラは思い詰めた表情で独りごちる。


「あの子がカロリーネの息子に劣るとは思えない。いえ、メルヒの方がはるかに勝っている。あんな男だか女だかわからない者よりもずっと国王にふさわしい」


 そこまで呟いて、ダニエラはわずかに目を見開いた。


「カロリーネは既に王宮を離れた。あの体では完治は見込めないし、近々快復することも期待できない。今なら何かあっても、クリストフ派の動きは鈍いはず」


 息を吐き出したダニエラは目を閉じる。


「お前達、出てきなさい」


 ダニエラが誰もいない場所に声をかける。すると、黒い塊が三つ現れた。


「ネベル、ドゥンケル、シャトゥン、ここに」


 それは、黒一色の衣服に頭巾をしている男達だった。どんな風貌をしているのかはわからない。中央でダニエラに答えた者を基準とすると、右に控えている者は一回り大きく逞しい体つきをしており、左に控えている者は一回り小さい。


 ダニエラは冷酷な視線をその三つに向ける。そこにメルヒオールへ向けていたような感情は皆無だった。


「仕事を与えます。第一王子を処分なさい」


「承知いたしました」


 中央の男が短く言葉を発すると、うずくまるように跪いていた黒い塊が消えた。


 元の静かな部屋に戻った中で、ダニエラは一人口元をゆがめる。


「クリストフは魔王を討伐した。その功績は認めましょう。しかし、それは武勇に優れる臣下が上げる手柄にすぎません。決して、王位に就くための根拠にはならない。させてはいけない!」


 最初は静かに呟くような言葉が次第に熱を帯びてくる。それに合わせて、細めていた目が少しずつ開いてきた。


「この王国に平穏をもたらすために魔王を討つ必要があったとして、そんなことは臣下の者にさせればよいではないですか。王位に就くため貴族の関心を買う目的で魔王を討つなど、匹夫の勇というもの! そんな浅はかな考えを許すわけにはいかない!」


 明らかに自分の言葉で興奮してきたダニエラは席を立つ。


「そんな蛮勇を奮う愚か者に王位を渡してはならない! 王位に就く者は、知勇と人徳に優れる者が就くべきです! メルヒオールのように!」


 ダニエラは、他に誰もいない部屋で一人叫ぶと言葉を切った。興奮したせいで顔が赤らんでいる。


「そもそも、王位の継承者が一人だけであれば問題は起きないのです。他に誰もいなければ、王位継承争いなど起きようがないのです。そう、王子は一人だけで充分」


 最後に呟いたダニエラは、暗い笑顔を浮かべて低く笑った。

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