第15話 左脚の後遺症

 オゥタドンナーが復活した修練場は、昼下がりとあって利用している騎士の数が多い。訓練用の武具で模擬試合をする者達の発する音や声が場内に溢れる。


「ザシャ、それじゃ始めようか」


「俺達だけやたらと気合いが入ってんなぁ」


 周囲に視線を巡らしたザシャが呟いた。二人だけ実戦で使う鎧を着込んでいたからだ。


 クリスは使い込まれた銀色に輝く金属製の鎧を、ザシャは加工された金属板を取り付けた革の鎧を身につけている。いずれも魔王討伐の旅で使っていたものだった。


 二人とも近くにいた騎士達から注目を集めるが、クリスは気にした様子はなかった。


「いきなり模擬試合からする?」


「そんなわけないだろ。いくらなんでも甘く見すぎだぞ。まずは素振りからだ」


「ザシャってそういうところは真面目だよね」


「そりゃそうだ。試合中に剣が手からすっぽ抜けたら困るだろ」


 ザシャはオゥタドンナーを鞘から抜いて構えた。黒濡れの剣身に日差しが当たる。


 呆れていたクリスも仕方なしに、譲ってもらった剣を鞘から抜いて構えた。


「あるじ、さっさと振ってくれよ」


 オゥタドンナーに急かされたザシャがまず動く。剣を頭上に振り上げ、踏み込んで一気に下ろす。空気を切るかすかな音が聞こえた。そして構え直す。


 それを合図に、クリスも素振りを始めた。さすがにトゥーゼンダーヴィントの元使い手だけあってきれいな身のこなしだ。


 二人は横並びになってひたすら剣を振るう。どちらも真剣な表情だ。


 しばらくすると、クリスが動きを止めて構えを解く。その顔は上気して少し赤い。


「ザシャ、どんな感じ?」


 ザシャがオゥタドンナーを振り切ったところでクリスは声をかけた。


 しばらくじっとしていたザシャだったが、構えを解いてクリスへと向き直る。


「回を重ねるごとに気持ち悪いくらいに馴染んできた。使い込めば、自分の腕みたいに使えるんじゃないか」


「そうだろ、儂も調整してやってるんだぜ」


「そこはトゥーゼントと同じなんだ」


 手にした剣に視線を落として、オゥタドンナーの言葉にクリスが独りごちた。若干寂しそうな顔だ。


「クリスの方はどうだ?」


「悪くないよ。ザシャが目利きした剣だけあって安心して使えるのはいいよね。あとは使っていればそのうち慣れるんじゃないかな」


 いろいろな角度から剣身を見ながらクリスが答えた。すぐに笑顔となる。


「よし、それなら模擬試合をしようか。体も温まってきたしな」


「やったぜ!」


「どうしてオゥタが喜ぶの」


 クリスが呆れたまなざしをオゥタドンナーへと向けたが、そんな視線など気にした様子もない。ザシャが苦笑いした。


「オゥタ、クリスの鎧にぶつかったときに、斬らないようにできるか?」


「斬らないように? なんでまた?」


「なんか色々できそうだから、斬らないようにもできるんじゃないかって思ったんだ」


「完全には無理だぞ。儂は鈍器じゃないからな。でもなんでそんなことするんだ?」


「お前の刃は鋭すぎるだろ。触れただけで斬れそうだから、クリスが怪我をしそうで怖いんだよ。護衛騎士の俺が主人を斬ったらダメだろう」


「そりゃ確かに。まぁ、訓練だから我慢してやるよ」


 オゥタドンナーと話をつけたザシャがクリスと対峙する位置について構えた。


「オゥタが手加減するなら安心して打ち合えるね。それじゃ、始めよっか!」


「あの性悪女みたいに、あんまし調子に乗るんじゃねぇぞー」


 のんびりとした声に気の抜けた声が続いた後、クリスもザシャに対して構える。


 最初に動いたのはザシャだった。左腕に向かってオゥタドンナーを打ち込む。


 クリスは顔色を変えずにそれを弾き、続いてザシャの左腕を狙う。


 避けきれないと判断したザシャは、左の腕当ての金属部分で刃を受け流す。そして、一旦間を開けた。


「容赦ないなぁ。最初っから全力かよ」


「いくら何でも不用意に飛び込みすぎ。あんまり油断してると切っ先で額を小突いちゃうぞ」


「それ死ぬじゃないか」


 クリスの冗談にザシャが笑う。


 二人は再び向かい合って構える。ザシャがじっとしていると、クリスが動いた。頭に突くと見せかけて足下を攻める。しかし、ザシャが一歩下がりその刃は空を切った。


 こうして模擬試合が本格的に始まった。


 最初は交互に攻撃と防御を入れ替えて動いていた二人だが、次第にその動きが速くなる。たまに剣が交差して火花を散らし、まれに剣と鎧が交わる擦過音が聞こえた。


 しかし、ある段階に達すると、ザシャの表情が微妙にゆがみ、動きがわずかに乱れた。どちらからともなく体を止める。


「すまん」


 ザシャは渋い表情となる。クリスは悲しそうにその顔を、次いで左脚を見る。


「左脚がダメだったんだよね。ごめん、忘れてた」


「いいよ。どこまでできるか知っておきたかったからな」


「なんだ、あるじ。左脚が悪いのか?」


 模擬試合の間は無言だったオゥタドンナーが話しかけてきた。それを二人して見る。


「お前には言ってなかったか。魔王討伐の旅で負傷した後遺症だ。傷は完治しているはずなんだが、どうも違和感があってな。しかも本格的に戦うと痛むこともあるんだよ」


「それなら、俺の真の力を発揮すれば解決するぜ。前にも言ったが、傷の痛みを感じなくなるからな」


「後遺症の痛みもなのか?」


「後遺症かぁ。たぶんいけるんじゃねぇかなぁ。試してみようぜ」


「ばかやろう。そう簡単に寿命を縮められるかってんだ」


 オゥタドンナーのあまりに軽いノリにザシャはため息をついた。


「ザシャ、どうする? 続ける?」


「もう一回やろうか。もう少し深く踏み込めるのか確認したい」


 クリスはうなずくと少し離れて剣を構える。ザシャも同様にオゥタドンナーを構えた。


 三度目はザシャから動いた。クリスへ真正面から打ち込む。


 クリスはそれを躱しも流しもせずに真正面から受けた。金属音と共に二人の剣が交差する。そして、そのまま硬直した。


 眉をひそめつつザシャは更に強くオゥタドンナーを押しつける。


 クリスはそれに応じずに体を後退させた。


 後を追うべくザシャは前に進む。そして踏み込んで上段から一閃した。


 今度は弾くようにクリスが剣を振るう。


 先ほどとは違って今回は完全に乱打戦だ。そしてやはりある段階に達すると、ザシャの表情が微妙にゆがみ、動きがわずかに乱れた。ただし、今回はすぐに止めない。


「おー、やるじゃねぇか、あるじ」


 剣撃の激しさに似合わない間の抜けた声をオゥタドンナーが出す。しかし、二人とも無言で打ち合う。


 やがてわずかにであるが、天秤がクリスへと傾く。それに伴い、ザシャの顔が険しくなった。それは傾きが大きくなるほど色濃くなる。


 優勢だったクリスが突然後方に飛び退いた。ザシャは後を追わない。


 どちらも肩で息をしていた。


「ザシャ、どうかな?」


「大体のところはわかった。俺の方はもういい。その剣はどうだ? 馴染めそうか?」


「さっきよりは慣れてきたよ。後は毎日素振りすればいいかな。オゥタはどう?」


「こっちは問題ない。今ので慣れた。むしろ左脚の方が問題だな、やっぱり」


 苦笑いしつつ、ザシャは左脚を軽く叩いた。


「そっか。それじゃここまでにしよっか。ザシャ、汗かいたでしょ。お風呂に入ってきたら? ボクの侍女に案内させるよ」


「あー風呂かぁ。え、侍女?」


 騎士用の風呂場に行くつもりだったザシャは、なぜ侍女の案内が必要なのかわからず首を傾げる。その様子をクリスは満面の笑みで見つめていた。

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