第8話 暗い糸で紡がれるもの

 朱い日差しが差し込む中、メルヒオールは母親であるダニエラの元を訪れた。


「母上、ご機嫌麗しゅう存じ上げます」


 上機嫌に席を勧めるダニエラに従って、メルヒオールは聖剣を腰から外して装飾の施された椅子に座る。


「地方の直轄領から届けられる報告書の精査を一部任されるようになりました。最近、国を動かしていることをようやく実感できるようになってきたところです」


「良いことです。そのまま順調に、いずれ王位を継ぐときに備えなければなりませぬ」


 侍女が二人の間にある丸テーブルにお茶の用意をしている間にも会話は続く。


「王位といえば、先ほど庭園で兄上を見かけました。父上がご政務でお忙しいときに散歩をしていたのです」


「この大変な時期こそ身を粉にしてお仕えせねばならぬというのに、なんと自分勝手な!」


「兄上がこの体たらくでは国の行く末が案じられてしまいます」


「陛下もいつ目を覚ましてくださるのやら」


「それも時間の問題でしょう。あの時少し話をしたのですが、こちらが兄上の問題点を冷静に指摘しているだけにもかかわらず、兄上は感情的に反論するばかりでまったく受け入れてもらえませんでした」


「なんと愚かな。今は魔王討伐という功績が皆の目を眩ませていますが、それも長くは続かないはず。周囲に真実が知れ渡れば、あの取り繕った体面も失うでしょう」


 機嫌が悪くなったり良くなったりとダニエラの表情がよく変わる。


「その兆候は既に現れております。先日、トラレス家がこちらの傘下に加わったのですが、その長女ベティーナは、アードラー子爵家の三男坊と婚約しておりました。しかし、トラレス家から解消を申しつけたそうです」


「なんと! まだ目が覚めぬアードラー家は、真の忠義に目覚めたトラレス家に袖にされたのか! しかも男爵家が子爵家を! これはまた愉快な!」


 一瞬の間を置いてダニエラが笑う。


「ただ、トラレス家以外はまだこちらの陣営に引き込めていないのは残念です。思った以上にカロリーネ王妃の影響力が強いのです」


「あの女か! わかってはいるが忌々しい!」


「ただ、女になった兄上に不安を抱く者は確実にいます。その方面から兄上の派閥の切り崩しをしていきます」


「そうですね。しかし、意外と早く好機が巡ってくるかもしれません」


「どういうことですか?」


「カロリーネ王妃がクリストフ殿下を出産してから病弱になったことはお前も知っているでしょう? 最近は更にお体の調子が良くないご様子なのです」


「それはつまり、もう長くないということですか!?」


 カロリーネ王妃の体調がそこまで悪いと思っていなかったメルヒオールは目を見開く。


「具体的にどの程度かはわかりません。しかし、悪化していることは間違いないようです」


「そうなると、こちらとしては時を待てば良いのですね」


「待つだけではなく、時が来たときにすぐ事を運べる様に準備しておくのです」


「さすが母上! 確かにその通りです!」


「心配しないで、この母に任せておきなさい。玉座はあなたのものです」


 ダニエラは悠然と息子に宣言をした。その言葉を聞いたメルヒオールの表情は笑みが一層深くなった。


---


 すっかり日が暮れた後、母親のダニエラと別れたメルヒオールは、オリヴァーと合流すると自室に戻った。


 室内で待機していた侍女数人が一礼する。もちろん皆が貴族の子女だ。その中にベティーナの姿もあった。


「酒を持ってこい」


 部屋に入るなり侍女に命じると、メルヒオールは腰から聖剣を外して椅子に立てかける。自分自身はその隣にあるいつもの椅子に深々と腰掛けた。


 メルヒオールは用意されたグラスに注がれたお気に入りの酒を一気に呷る。そして、機嫌良く大きな息を吐いた。ベティーナは、テーブルに置かれた空のグラスにすかさず酒を注ぐ。


「母上から聞いた話だが、あのカロリーネ王妃はもう長くないそうだ」


「俺に政治の話はわかりません。それに、王妃の寿命にも興味はありません」


「そういう奴だったよなぁ、お前は。だがしかし、俺の話くらいは聞けよ」


 寄せた眉を戻したオリヴァーがうなずくと、笑顔のメルヒオールはグラスを再度傾けて一気に飲んだ。


「今のところ俺の派閥は劣勢だが、それはカロリーネ王妃の影響が大きい。だが、もしその王妃が亡くなったらどうなると思う? 女になんぞなった兄上と男の俺を比べたら、どちらにつくべきかは一目瞭然だろう!」


「軟弱な者についてもその末路は知れているということですか」


「そのとおり! さすがは俺の護衛騎士! よくわかっているじゃないか!」


 メルヒオールは空になったグラスをテーブルに叩き付けるように置く。すぐさまベティーナが酒を注いだ。


「大体、トゥーゼントとの契約だって、長幼の序とかなんとか言って兄上が先に契約したんだぞ。俺が最初に契約していれば魔王討伐の功績も俺のものだったんだから、そんなことででかい面をされてたまるかってんだ!」


「魔王討伐には興味があります」


「お前らしいな! 結局兄上が魔王討伐の旅に出てしまったが、むしろ俺とお前で行くべきだったんだ。知っているか? 兄上についていったあの三男坊は、脚を怪我して兄上の足手まといになったんだぞ。お前ならそんな無様はさらさないだろう?」


「無論です」


「まぁ、三男坊のことはいい」


 手にしたままのグラスをテーブルから離すと、メルヒオールは中身を口の中へ放り込む。


「それよりも兄上だ! 今のところ第一王子という地位、魔王討伐の功績、そしてカロリーネ王妃の後ろ盾の三つで支えられているが、ここから王妃の後ろ盾がなくなると支えは残り二つになる。問題はこれをどう切り崩すかだ」


「剣で解決できれば、話は早いのですが」


「そうなんだよなぁ。俺とお前にかなう奴なんていないから、全部剣で片付けられたら悩む必要なんてないんだよなぁ」


「いっそのこと、本当に剣で解決してはどうですか?」


「ははは! 実にお前らしいな! できればそうさせてやりたいが、理由もなしに斬りかかるわけにもいかんだろう」


「それは、理由さえあれば斬ってもいいということですか?」


 ずっと無表情のオリヴァーにメルヒオールがにやりと笑う。


「何かあるのか? 言ってみろ」


「もしその三男坊の手に入れた褒美が武具ならば、どの程度使い物になるのか試すはずです。その機会を利用して、例えば俺が試合に見せかけて殺してはどうですか?」


「それで首尾良く三男坊を殺せても、所詮はクリスのおまけだぞ。そんな奴を一人殺してどうするんだ?」


「今の俺は無名です。そんな俺に三男坊が殺されたら、本当にそれほどご大層な旅だったのかと誰もが疑問に思うでしょう」


「そもそも試合の申し入れを奴が受けなければどうする?」


「そのときは、俺から三男坊が逃げたと周囲に言いふらせばいいでしょう」


 オリヴァーの説明を聞いたメルヒオールが意外そうな顔をした。


「なるほどな。魔王討伐の功績の価値を下げるのか。試合を受けて勝てば白黒がはっきりするし、受けなければ臆病者と吹聴するわけか」


「剣を使う理由にはなりませんか?」


「良い案だ。できれば試合に勝って白黒はっきりさせたいよな」


「俺もそう思います」


「よし、それでやってみるか」


「ありがとうございます」


 今まで表情のなかったオリヴァーが初めて危険な笑みを浮かべる。


 メルヒオールが空になったグラスをテーブルに置くと、酒が注がれる。それを一息で飲み干した。

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