第6話 新しい関係
宝物庫で褒美を選んでから二日後、ザシャはクリスから呼び出しを受けた。ザシャがクリスと会うときは必ずこの形となる。魔王討伐の旅では四六時中共にいた二人だったが、帰還後は王子と下級貴族の身分が二人を大きく隔てているからだ。
「来てくれたんだ! さ、座って!」
迎えてくれたクリスはいつになく機嫌が良い。花が咲いたかのような笑顔だ。
「そりゃ呼ばれたからな。褒美でもらった黒い剣は、手入れしている最中でまだ試してないぞ。手に入れたばかりだから、いつもより念入りにしてるんだ」
「剣については気にしてないよ。ザシャの好きにしてくれたらいい」
「だったら、何の用なんだ? 剣の稽古くらいならいくらでも付き合うが」
思い当たる節がないザシャが理由になりそうなことを口にしてみるが、クリスは首を横に振るばかりだ。
「ねぇ、この服どうかな? 新調したんだ」
「は? 服?」
ザシャが戸惑いの表情を浮かべながらクリスの姿を見直した。白を基調とした私服のズボン姿は凜としてきれいだが、それは今に始まったことではない。武具のことならすぐに感想を言えるザシャだが、衣装のことになると簡単には言葉が出てこなかった。
「何も感想はないの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが、きれいにはなったと思うよ」
「どうきれいになったの?」
より具体的な感想を求められたザシャの顔が引きつった。クリスが表情を曇らせる。
次の回答がクリスの機嫌の分水嶺になると感じたザシャは必死になって観察し、考える。すると、ようやく見えてきたものがあった。
「もしかして、女の体になったのに合わせて服を替えたのか? 例えば、胸のあたりとか」
「やっぱりそこを見るんだね」
ザシャとしては感想を求められたから答えたのだが、しゃべりながら顔を赤くしていた。
同じように顔を赤くしたクリスが身じろぎする。視線には非難の色が混じっていたが、本気で糾弾するようなものではない。
「それじゃ新調する前はどうしてたんだ?」
「胸を布で押さえていたんだよ。さすがにきついから新しくしたんだ」
謎の解けたザシャの顔が一瞬晴れたが、再び眉を寄せる。
「そう言えば、お前もう女になったのに、なんで呼称は王子のままなんだ? 王女じゃないのか?」
「そのあたりは面倒なんだ。本当ならさっさと王女にするべきなんだろうけど、今それをすると厄介事が増えるから、公式にはまだ男のままなんだよ」
「メルヒオール殿下と王位を争っているんだよな」
第一王子と第二王子で王位継承争いをしていることは貴族なら全員が知っている。ザシャも先日その余波を受けたばかりだ。
「それで本題なんだけどね。ボクの身辺警護の任務を引き受けてくれないかな?」
「警護の騎士ならいくらでもいるだろう。王族の警護なんて名誉な役職なら、手を上げる奴は多いだろうに。大体、俺じゃ家格が足りない」
高貴な人物の護衛役に求められるのは腕っ節だけではない。教養や社交性はもちろん、何より絶対に裏切らないという信頼が求められる。そのため、王族の警護役には伯爵家以上から選出されるのが一般的だ。子爵家以下は突出した何かや推薦がないと難しい。
「欲しいのはボク個人の護衛騎士なんだ。王宮から派遣される騎士じゃない。家格なんて気にしなくてもいいんだよ。だからこそ、魔王討伐に四年も付き合ってくれたキミにお願いしているんだ。キミが信じられないなら、他の誰も信用なんてできないよ」
「そりゃお前からすればそうなんだろうけど、周りはどうなんだ?」
「意見できる貴族なんていないさ。旅に出るとき、一体何人がボクについて来てくれたかキミも知っているでしょ」
聖剣で魔王を倒せることが判明しても高い確率で死ぬことがわかっていたので、クリスに同行する者の数は少なかった。しかも身分の高い者は誰もいなかったのだ。
「俺とお前以外はみんな死んじまったもんな。誰か一人でも生きていてくれたら」
「お願いできたのにね」
クリスが寂しそうに笑う。本当に頼れる仲間はもうザシャ一人しかいない。
「わかったよ。その仕事、引き受けた」
「ありがとう! 今のボクがこんなことを頼めるのはキミしかいないんだ」
再びクリスの表情が大輪を咲かせた花のようになる。それを見たザシャは苦笑いした。
「どこまで力になれるんだか。剣一本で王位継承争いをどうにかできるとも思えないぞ」
「すごく頼りにしてるね。あ、警護は原則として昼も夜もずっとだよ。休みはたまにしかあげられないけど、そこは我慢してほしい」
「休んでも大体寝てるだけだろうしなぁ。たまに体を休められたらそれでいいや」
「あとは、どこへ行っても付きっきりで護衛してもらわないとね」
「身辺警護なんだからそうなるよな」
「お手洗いとかお風呂とか」
「連れションと裸の付き合いか。懐かしいなぁ。いや待て、お前、女になったんだろ」
「性別は関係ないでしょ、警護なんだから」
思わずあっさりと話を流しかけたザシャは、致命的な問題を発見して慌てる。
「関係あるだろ! 子女用の女護衛がいるのはなんのためだよ!」
「だから王宮から派遣される人は信用できないんだってば。自分の派閥から厳選したとしても、ザシャより信頼できる人っていると思う?」
「信頼という点では確かにそうなんだろうけど、手洗いと風呂はさすがに」
「ボクは気にしないよ?」
「俺と周りが気にするんだよ! お前弟と争っている最中にそんな隙を見せたらダメだろ」
あまりにも無邪気な発言にザシャは呆れる。クリスは頬を膨らませるが、意に介さない。
「いいじゃない、そのくらい。ザシャだって今は自由の身でしょ」
「自由の身?」
「三日前に婚約を解消されたんだってね」
「なんでお前が知ってるんだ?」
「自分の派閥から寝返った者がいたら、そりゃ調べるでしょ。今の時期、ボクとメルヒのどちらに付くかってことは、キミが思っている以上に重要なことなんだよ。特に貴族にとってはね」
「なるほど、そういうことか」
「事はトラレス家とアードラー家だけの問題じゃないんだ。ザシャはボクに隙を見せるなって言うけど、キミだって周りを気にしなさすぎだよ?」
クリスに指摘されてザシャは絶句する。
「政治に疎いことは自覚していたが、そのうちそれが致命的なことになりそうだなぁ」
「そうそう。だからボクの近くにいた方がいいと思ったのも、護衛を頼んだ理由だよ」
「俺の身を案じてくれているのはすごく嬉しいし、その点は礼を言う。でも、手洗いと風呂には付き合わないぞ」
「えーなんでー!?」
喜んでザシャの言葉を聞いていたクリスが抗議の声を上げる。
「なんでじゃないだろ!」
「ボクは女の子になったし、キミも婚約者がいなくなったから、もう何も問題ないよね?」
「倫理的にも政治的にも問題あるだろが! お前それ本気で言ってんのか!?」
「ふふん、いざとなったら、命令すればいいもんね。何しろボクは王子様だから!」
「あ、きたねーぞ、クリス!」
「ふふふ、今ほど王族に生まれたことを感謝したことはないなぁ」
邪悪な笑みを浮かべるクリスに抗議するザシャであったが、聞き入れられる様子はまったくない。尚も諦めずに説得を続けるザシャであったが、結局どこまで付き添って護衛するのかという話はうやむやになった。
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