第4話 こぼれ落ちる幸せ
魔王との戦いが終わって二ヵ月も過ぎると、次第に王国各地の状況も判明してきた。今回、真正面から魔王軍と戦っていた国のひとつだったので、その惨禍もひどい。
国内の復興は何から手をつけていいのかわからないくらいやることは多いが、とりあえずはできることから片付ける必要があった。ザシャへの論功行賞はそのひとつである。
「やっと終わったぁ」
王宮内の静かな廊下をザシャは一人で歩いていた。謁見の間からの帰りである。
つい先ほど国王から直々に魔王討伐の褒美を下賜されたのだ。下級貴族の身としては望外の栄誉だった。
左足の負傷も王族お抱えの治癒士に治してもらった。持つべきものは親友である。おかげで日常生活に問題はなくなった。
「これからどうしよっかなぁ」
帰還後の親友は本来の身分に戻ったので、早速多忙な日々を送っているようだ。一介の下級貴族であるザシャではそうそう会いに行くわけにもいかない。
しかし、ザシャにもやらなければならないことがあった。もはや独り立ちする年齢に達しているので、身の振り方を考えなければならないのだ。大人になった三男坊にはもはや実家に居場所はないのである。
「仕官先を見つけられたらいいんだけどな」
ザシャのような貴族の子弟にとって、他家の騎士となるのは人気の就職先だ。不安定な仕事が多い世の中で珍しく安定しているからである。もちろんザシャも狙っているのだが、ある事情があってなかなか思うようにいっていない。
将来のことについて悩みながら廊下を歩いていると、ザシャは一人の貴族の子女に呼び止められた。ちょうど王族自慢の庭園に差しかかったところだ。
「ベティ!」
その姿を見たザシャは満面の笑みを浮かべて歩み寄った。
ザシャの婚約者であるベティーナである。トラレス男爵家から実家のアードラー子爵家へ婚約の申し入れがあったのだ。以来、王国へ戻る度に足繁くザシャは彼女の元へ通っていた。
「よかった、会えて」
「王宮に来ているなんて珍しいな。父上の付き添い?」
「ええ、そんなところ」
かわいらしい顔で微笑まれたザシャは思わず頬を崩す。魔王討伐の旅のつらさに耐える心の支えだったので、こうして当たり前のように会えるのは何よりの喜びだ。
「聞いてくれ、ベティ。ついさっき、ランドルフ陛下から直々に褒美を賜ったんだ!」
「おめでとう。とても名誉なことね」
得意満面のザシャに対してベティーナは落ち着いた様子で祝う。
「その褒美ってのが、王宮の宝物庫から望む物をひとついただけることなんだ」
「何をいただくのかしら?」
「それがさ、なんと宝物庫に入って俺が決めていいっておっしゃったんだ!」
「まぁ、そうなの」
「でも、どんなものをもらったらいいかわからないんだ。ベティ、相談に乗ってくれないかな?」
興奮冷めやらぬ様子で説明するザシャだったが、ベティーナの様子に首を傾げる。今までならベティーナはもっと感情豊かに反応してくれていたが、今日は様子がおかしい。
「ベティ、今日は具合でも悪いのか?」
「そんなことないわ。私からもお話したいことがあるの。ついて来てくださる?」
ベティーナが背を向けて歩き出す。戸惑いながらもザシャは後に続いた。
茜色に染まり始めた庭園内をしばらく歩くと、ベティーナはザシャに振り向いた。朱くなりつつある日差しが陰影を濃くする。そのせいか、相変わらず笑顔だというのにどこか冷たく見えた。
「話ってなんだろう?」
「最初に結論から伝えておくわ。私とあなたの婚約を解消することになったの」
「え? なんだって?」
嬉しくも悲しくもない声色で、ベティーナはザシャに告げる。ザシャは呆然とした。
「お父様が、メルヒオール殿下のお力添えを得られるようになったの。そうなると、あなたと婚約している状態は都合が悪いでしょう?」
「どうして俺との婚約が邪魔になるんだ?」
「知らないの? 王太子の座を巡って、メルヒオール殿下とクリストフ殿下が対立したの」
「いつ?」
「今日のお昼にあった会議で明確に対立したとお父様から聞いたわ」
「ついさっきじゃないか」
「それ以前からメルヒオール殿下がクリストフ殿下に含むところがあったのは公然の秘密だったけれど、旅に出ていたザシャは知らなくても仕方ないわね」
「でも、魔王討伐の旅から戻ってこの方、俺はクリスとはろくに会ってないぜ?」
「そんなのは理由にならないわよ。あなた自身がクリストフ殿下の直臣と見なされているのですもの」
ベティーナの言い分は正しい。ザシャは王国内で最もクリスに近い存在だ。ある意味両親以上にである。そんな人物が中立を主張したところで誰も信じない。
「トラレス家って、いつからメルヒオール殿下の力添えを得られるようになったんだ?」
「私がお父様から聞いたのは昨日よ」
「それはまた、随分と急な話だな」
魔王討伐から帰還してから、ザシャはまだ数えるほどしかベティーナと会っていない。魔王討伐の事後処理や負傷の治療のせいでだが、一体いつからメルヒオール殿下はトラレス家と接触していたのだろうかとザシャはぼんやり考える。
しかしザシャは、すぐに他にも気になることを思いついた。
「今の話だと、直接メルヒオール殿下に力添えをしてもらえるように聞こえたけど、まさか」
「ええ、そうよ」
自信に満ちた笑みを浮かべるベティーナをザシャは驚きのまなざしで見つめた。
貴族の序列で下から数えた方が早い男爵家を王族が直接支援することは通常ない。大抵は配下の伯爵家や子爵家に支援させる。
「本気でクリスと事を構える気なんだ、殿下は」
本人が取り込めないのならばその周囲を根こそぎ刈り取るという行為に、ザシャは震えた。王位継承争いに参加する気がなくても、周りはそのように見てはくれないことを改めて思い知る。
「私のお父様からあなたのお父様へは、明日正式に使者が向かうことになっているわ」
一家の家長が既に方針を決定しているのならば、ここでベティーナを説得しても意味がない。今から面会して説得しようにも、王子の支援以上のものをザシャが用意できるはずもなかった。
「魔王討伐のときに色々と苦労したけど、そのときはいつもベティのことを思い出して頑張ったんだ」
「私も何かしらの役に立っていたのね」
「もちろんだよ。帰ったら、今度こそずっと一緒にいられると思ってたから、最後までやり通せたんだ。結局ダメだったみたいだけど」
「お父様によると、婚約を申し込んだのは、ザシャがクリストフ殿下と共に魔王討伐の旅に赴くからだったの。首尾良く魔王を討ち取れたら次期国王の側近夫人になれるし、途中であなたが戦死しても悲劇の婚約者として売り込むつもりだったらしいわ。まさか殿下が女性になるなんて予想外もいいところだったけど」
「最後については、俺も同じだよ」
どちらも力なく笑った後に、しばらく静寂が辺りを覆う。
「お家繁栄のためには、より良い嫁ぎ先を選ばないといけないの。ごめんなさいね」
そう言われると、ザシャは何も言えない。家のために尽くすのは貴族の子弟子女にとって義務だからだ。
ザシャは一人去って行くベティーナの後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。
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