第3話 母子のひととき

 王宮の会議室からカロリーネの部屋まではそこまで遠くない。ただし、健常者の感覚ではという条件が付く。クリスを産んでから病弱になったカロリーネにとってこの距離は、人手なしでは移動できなかった。


 侍女に支えてもらいながら歩くカロリーネに合わせて、クリスもゆっくり歩く。


「母上、浮遊の指輪をお使いになれば、往来ももっと楽になりますよ」


「使えば楽になるのは確かですが、それだけ体が更に弱ってしまいます」


 一歩ずつ歩くカロリーネは笑って返した。


 カロリーネの部屋は王妃に相応しく清潔で美しくあったが、華美ではなかった。品の良さを漂わせる調度品が部屋を彩っており、部屋の主の趣味を窺わせている。


「何度も言ってますけど、必要な道具は使ってください。むやみに使えと言っているわけではないんですから」


「わかってはいるんですけどね。どうしても好きになれないの」


 室内に入ってからは二人とも外よりも砕けた調子で話す。呆れたクリスが再びもの申すが、座ったカロリーネは笑って流した。


「それにしても、メルヒが王太子の座を要求してくるとは思いませんでした」


「聖剣を手に入れて舞い上がってしまったのでしょうね」


 侍女がお茶の準備をする傍らで、くつろいだ様子の二人が先ほどの話し合いを振り返る。


「途中からは強引に王太子の問題へとメルヒは持ち込もうとしましたよね。最初からこれが狙いだったと思いますか?」


「メルヒオール殿はどうかしらね。ダニエラ殿は機会あるごとに狙っていましたから、あの方は最初からそのつもりだったのでしょう」


「それじゃメルヒはそれに乗りかかっただけですか」


「恐らく。ただし、相手の思惑がきちんとわかることなど滅多にないですから、あまり考えすぎないことね」


 お茶を勧めてきたカロリーネに促されて、クリスはティーカップを手に取った。入れたての香りが鼻腔をくすぐると、その表情が和らいだ。


「でも母上、トゥーゼントと契約したことって王位継承の順位に影響あるんですか?」


「余程他に比べる材料がない限りは影響ありませんよ。契約をして何を成したかということの方が重要です。ですから、聖剣と契約したというだけでは、魔王討伐の功績には及びません。諸侯の方々も同じ考えでしょう」


「それなら、私が女になったというのは?」


「立場上は影響ありません。クリスはクリスですから。でも、心情的にはどうかしら」


 首を傾げるカロリーネを見てクリスは考える。王家の歴史の中で女王はいるが大半は王だ。男子がいるなら男子に即位させるべきという意見が出てきてもおかしくはない。


「それより、女王と結婚した殿方の実家が、国政に影響を及ぼすことを考えておきなさい」


「あ、それは考えていなかったなぁ」


「王族の子女として考えておかないと、と言いたいところですが、あなたは最近子女になったばかりですものね」


「うわぁ、面倒なことになりそう」


 嫌そうな顔のままクリスはティーカップを傾ける。


「でも、あなたは心配しなくてもいいのかしらね。ザシャがいるでしょう?」


「けほっ!」


 目を細めて問いかけてきたカロリーネの言葉に、クリスが盛大にむせた。更に若干顔が赤くなっている。


「意外と悪くない選択よ? 子爵家くらいなら大きな影響力を発揮できないでしょうし、一緒に旅をした仲ですから信頼も出来るじゃない」


「いきなり何を言うんです! 子爵家程度じゃ結婚相手の候補にならないですよ!」


「そんなことないわよ。何しろザシャには魔王を討伐したという比類なき功績があるもの」


「あれ?」


「あらいやだわ。この子ったら本当に全然考えていなかったみたいね」


「いやだって、母上。私まだ女の子になって二ヵ月ですよ?」


「そう簡単に意識は変わらないみたいね。でも、これからは子女としても考えておきなさい。あなたはもう男ではないのですからね」


「でも母上、やっぱりダメですよ。いきなり変なことをおっしゃるから忘れてましたけど、ザシャには婚約者がいますから」


 赤かった顔が一転してしょげかえる。しかし、カロリーネは笑顔を崩さない。


 ここでカロリーネはティーカップを持ち上げて一旦区切りを入れる。


「それで本当のところを聞きたいのですけれど、あなたは国王になる気がありますか? 第一王子だからという理由ではなく、あなた自身がなりたいのかという問いかけです」


 クリスは即答できなかった。視線がティーカップに注がれる。


「今まで王太子や国王になることが当然だと思っていたので、考えたこともなかったです。メルヒが昂然と王太子の地位を求めて、そのことに初めて気付きました」


「物心ついたときから国王になるよう教育されていれば、そうなるでしょうね」


「ですから、私自身がどうなのかと問われると、メルヒほどの決心はないでしょう」


「国王になって何かを成したいという想いはないの?」


「王家や臣民のためというのは漠然とありますが、具体的には」


 まだ回答を持ち得ていないクリスは、泣き笑いのような表情をカロリーネへ向ける。


「本来ですと、ゆっくりと見つけても良いのですが、地位争いをしているとなると悠長には言っていられませんね」


「しかし、いきなり持てと言われても」


「そうよねぇ、困ったわねぇ」


 すぐに用意できるものではないだけに、どちらもため息をついた。


「メルヒは一体、国王になって何を成したいんでしょうね?」


「胸の内まではわからないわね。けれど、前々から燻るものがあったからこそ、今回聖剣を前にして燃え上がってしまったのでしょう」


「以前から強い不満を抱えていた?」


「ええ。けれど、具体的に何を成したいかというよりも、単に国王になりたいという想いが先走っているだけにも見えます」


「生きて帰ってきてみれば、またすぐに別の問題に悩まされるなんて思わなかったなぁ」


「皆がそんなものですよ」


 微笑みながらカロリーネはクリスを励ます。


「まぁ当面は、ザシャのために頑張ればいいわね」


「けほっ!?」


 楽しそうに笑うカロリーネの前で、再びクリスが盛大にむせる。やはり顔が赤くなった。


「あなたわかりやすいわねぇ」


「なんでそこでいきなりザシャが出てくるんですか!?」


「そんなわかりやすい態度をされては、誰だって言いたくなりますよ」


 更に顔を赤くしたクリスは視線を外す。


「ザシャが相手なら何の心配もしておりません。何しろ、わたくしの亡くなった親友の子なんですもの」


「アードラー子爵家夫人は母上の幼なじみでしたね」


 カロリーネの言葉でクリスは目を見開いた。一介の子爵家子弟と知り合ったのは偶然ではない。それを思い出す。


「わたくし自慢の親友でしたのよ」


「ですからさっきも言いましたように、ザシャには婚約者がいるんですってば」


 再度念を押して母親に告げるクリスだったが、意に介さないその姿にげんなりする。


「ともかく、困ったときは身近にいる殿方に頼りなさい。少し潤んだ瞳で見つめると、皆さん奮起してくれますよ?」


「ザシャに通じるかなぁ」


「通じますとも。通じないのならば、通じるようにすれば良いのです。女だからといって、じっと待っているだけではいけませんよ。積極的にいきなさい。あの人はそれで落ちましたから」


「何をさらっと告白しているんですか、母上」


 顔を引きつらせたクリスからの視線を気にすることなく、カロリーネは笑顔でティーカップを傾ける。そこには圧倒的な経験を有する者の余裕があった。

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