第1話 聖剣を我が手に

 ブランケンハイム家が支配するヤーレスツァイト王国の中心地、フリューリング城の謁見の間で盛大なクリストフ王子の生還記念式典が行われた。このとき、クリストフが聖剣をランドルフ国王へ返還すると、万雷の拍手が湧き起こった。


 その後のパーティーで、クリストフ王子に挨拶をしようと貴族達が入れ替わり立ち替わりやって来る。さすがに魔王討伐の名声は相当なもので、これを機に近づきたいと願う貴族達の数は相当なものだった。


 しかし、全員がクリスを祝福しているわけではなかった。


「何が並ぶ者なき英雄だ、王国の生ける至宝だ! 俺が討伐の旅に出ていれば、あの功績と名声は俺のものだったのに!」


 あかい日差しが差す中、王族のみに許される衣装を身にまとう男が、筋骨隆々な体格を怒らせて誰もいない王宮の廊下を護衛騎士一人と共に歩く。


「あんな女男な兄上と下級貴族ごときで倒せるなら、俺とお前でも倒せるよなぁ!」


「その通りです」


 背後に付き従っている巨漢の護衛騎士が短く返答した。その粗暴な顔つきは無表情だ。


「しかし本当に女になってしまうとはな。魔王の呪いなんて言っていたが、実は元々女だったんじゃないのか? オリヴァー、貴様はどう思う?」


「クリストフ殿下は以前より一回り小さくなっているように見えました。魔王の呪いというのは、本当のことではないかと思います」


 オリヴァーと呼ばれた巨漢は無表情のまま答える。護衛騎士を従える王子はつまらなさそうに鼻を鳴らした。


「このままだと、兄上、いや、姉上? あぁもうややこしい! 兄上が王太子になってしまう。男だったらまだ諦めもつくが、女の風下につくというのは我慢ならん」


 不満を垂れ流しながら王子は廊下を乱暴に踏みつけて歩く。


 そんな二人の前を、何かを恭しく持つ臣下の一団が横切ろうとした。


「おい待て。そこの貴様等、何を持っている?」


「これはメルヒオール殿下。我等は今、聖剣を宝物庫ほうもつこに運んでいるところです」


 メルヒオールが説明した男の奥を見ると、一人が上質の布に包まれた棒状の物を丁重に抱えているのが目に入った。


「ちっ、何もそんなに急がなくてもいいだろうに」


「至宝はなるべく早く安全な場所に安置するようにとの、国王陛下のご命令なれば」


「わかったもういい。さっさと行け!」


 更に不機嫌となったメルヒオールが追い払うように促すと、臣下達は一礼して足早に去って行く。メルヒオールはそれを面白くなさそうにじっと見ていた。


「メルヒオール様、行かせて良かったのですか?」


「良いも悪いもないだろう。王命ならば止められるわけがない」


「あの聖剣には、今契約者がいないと聞いておりましたが」


「兄上が返上したのだ。当然だろう」


「ならば、メルヒオール様が次の契約者になっても良いのではないですか?」


「オリヴァー?」


「クリストフ殿下に魔王討伐という功績があるのならば、メルヒオール様は聖剣と契約すれば良いのです。聖剣が王家の至宝というのならば、それの所有者こそが王太子にふさわしいでしょう」


「聖剣が、王位の証」


「聖剣があってこそ魔王討伐ができたのですから、その功績よりも聖剣の契約者の方が本来は上位のはず」


 徐々にメルヒオールの顔がにやけてくる。ついには声に出して笑うにまでなった。


「ははは! なるほど、確かにそうだ! 大体、聖剣といえども剣なのだから、宝物庫に眠らせておくより余程良い! しかも使うのが俺ならば尚のこと!」


「そうです。厄介なことはすべて剣で解決してしまえばいいのです」


 満面の笑みを浮かべたメルヒオールが臣下達の去った方へ足を向ける。オリヴァーも粗野な笑みを浮かべてその後をついていった。


---


 宝物庫の内部は真昼でも薄暗いため、中に入るためには明かりが必要になる。貴重な物が多いため、盗難防止や劣化対策のためだ。


 メルヒオールはオリヴァーに明かりを持たせて先導させる。広い場所だが、自分達以外の明かりを探せばすぐに臣下達は見つかった。


「メルヒオール殿下、いかがなされたのでしょうか?」


「貴様ら、聖剣はどうしたのだ?」


 臣下達は既に上質の布に包まれた棒状の物を持っていない。そして近くにはそれらしき物はなかった。


「聖剣ならば定められた場所に安置しましたが、何かご用があるのですか?」


「式典のときに近くで見て、実際にどのようなものか手に取ってみたくなったのだ。何しろ我が王家の至宝だからな、興味が湧くのは当然だろう」


 その言葉を聞いた臣下達は顔を見合わせた。どの顔も微妙な表情を浮かべている。


 しかし、王子の言葉を無碍にはできない。お互いの顔を窺っていた臣下達だったが、結局メルヒオールを聖剣の安置場所まで案内する。


「ご苦労。もう行っていいぞ。後は俺がやる」


「メルヒオール様のお言葉が聞こえなかったのか? 早く下がれ」


 臣下達は、オリヴァーの剣呑な雰囲気に気付くと一礼してすぐに去った。メルヒオールはその様子を小馬鹿にした表情に見送ると聖剣に目を向ける。


「これが聖剣、王家の至宝」


 緩む頬を気にもせず、メルヒオールは聖剣を手にする。鞘に収められたそれを満足そうに眺めた後、柄に手をかけて引き抜いた。


 それは、簡素ながらため息が出るほどの白銀の長剣で、剣身に中央にうっすらと薄く白い線が入っている。魔王討伐の旅で使われていたにもかかわらず、刃こぼれひとつない。


「おお、なんと美しい! さすがは王家の象徴!」


「メルヒオール様、聖剣との契約の仕方はご存じなのですか?」


「もちろん知っている。兄上が契約するときに俺も立ち会っていたからな。まさかこんな形で役に立とうとは。俺は聖剣の所有者になることを運命づけられているに違いない」


 メルヒオールは一度深呼吸すると、右手で剣を固定して刃に左指を添えた。そして、ゆっくりとその上を這わせる。その跡をなぞるように赤い血が現れた。


 次の瞬間、聖剣の剣身にある薄く白い線が白銀に光った。続いて同じ色の放電が始まる。


「よくぞ我を解放した! これからはそなたを主とし、共に、おや? そなたは確かクリスの弟ではなかったか?」


「そうだ! 俺はメルヒオール。貴様の次の主人だ!」


 口上の途中で違和感に気付いたトゥーゼンダーヴィントが疑問を口にすると、メルヒオールが叫ぶように返す。


「魔王は既に倒したはずだが、また何か脅威が現れたとでもいうのか?」


「魔王軍の残党が各地に残っている今、使える物を使って国を守るのは当然だろう」


「確かにその通りではある。しかし、クリスはそれを承知の上で我を眠りにつかせたのではないのか?」


「兄上は甘い! それもこれも女になってしまったからだ!」


「それは関係ないのでは?」


「大ありだ! そのおかげで国王以下臣民は大いに迷惑している! 俺はそれを救うために貴様と契約した」


 トゥーゼンダーヴィントの問いかけに対して、メルヒオールはいちいち熱弁を振るう。


「怪しいところがかなりあるが、しばらく様子を見るとしようか」


「やっと俺に力を貸す気になったか! これから貴様を使って王太子になってやる!」


「いや待て。国を守るのではなかったのか?」


「そのためには俺が王太子になる必要があるのだ。これでもう兄上に大きな顔はさせん!」


「こやつは本当に大丈夫なのか」


 意気軒昂になるメルヒオールに対して、話がかみ合わないトゥーゼンダーヴィントは不安を漏らす。


 しかしそれでも、契約は成った。これがこれから始まる波乱の幕開けであった。

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