第17話 調べること

 何時に寝たのか覚えていないけど、熟睡していたみたいだ。意識が戻ったときは朝だった。


 カーテンがうっすら光っているように見える。今日も晴天なんだろう。明るい、ただそれだけで心が安らぐなんて、大人になっても人の根本的な部分は変わらないと実感する。


 隣を見れば鈴ちゃんが僕の手をしっかりと握っていた。

 太ももが植物のツタのように、僕の体に絡みついているので身動きがとれない。


 一人にしないで欲しいと無言で主張しているようで、何気なく寝顔をじっくり見ると、目尻から涙の跡がくっきりと残っていた。鈍い僕は、それでようやく鈴ちゃんも怖かったんだと気づけた。


 僕はなんて馬鹿なんだろう。

 幽鬼の襲撃は、大人ですら恐怖を覚える出来事だった。


 当然、生まれて十年しか経過していない鈴ちゃんだって、同じ思いだっただろう。さらに戦う力があるからって、戦おうとしたんだ。心が年相応であれば、トラウマになってもおかしくないはずだった。


 一緒に出て抱きつくだけで耐えられるのか。彼女が年齢にそぐわないほど、内面が強いことに気づき、ふと、自分が子供だった時を思い出た。


 あれは家族全員で出かけて、デーパートで買い物をしていたときだった。

 多分、僕の不注意だと思うんだけど、人混みに流されて迷子になったんだっけ。


 背の高い大人が邪魔そうに僕を避けて歩いて行く。それがなんだか無性に怖くて涙があふれ出ていた。一言でも「大丈夫?」って、優しい言葉が欲しかったんだ。でも、現実は冷たくて、誰も声をかけてくれなかったこをと今でも覚えている。


 そのときは理不尽だなと思っていたけど、大人になってみると考え方は少し変わった。


 小さい子供が一人で泣いているなんて、面倒ごとしかないからね。関わりたくないと感じても仕方がない。当時の大人たちは「店員がなんとかするだろう」って、通り過ぎていったんだと思う。


 だから、兄さんが見つてくれたときは本当に安心した。


 ポンと頭に手をおいて撫でてくれる。

 たったそれだけの動作なのに、心が満たされて恐怖が消え去ったんだ。


 他人行儀に聞こえるかもしれないけど、兄さんから受けた恩は多い。いつか返そうと考えていたけど、それは叶わない願いになっちゃった。


 その代わりというわけではないけど、宝物として育てていた鈴ちゃんを大切にしようと決めたんだ。何度も思うことで僕の心と決心は強くなっていく。


 悪意をもって襲いかかってくるのであれば、幽鬼・海月といった人外だろうが関係ない。もう躊躇めらわない。絶対に守るという結論が変わることはないのだから。


「これからも、よろしくね」


「うん。ずっと、一緒」


「え、起きてたの?」


 返事が来ると思っていなかった僕は、鈴ちゃんの顔を見る。

 目を閉じたまま薄く笑っていた。


「ちょっと前に」


「教えてくれれば良かったのに」


「だって、このままがよかった」


 僕をはさんでいた太ももに力が入り、腕も背中に回ってギュッと抱きしめられた。

 少女特有の甘い匂いが気持ちを高ぶらせて、愛情があふれ出てくる。


「心臓の音が聞こえる。ドクン、ドクンって。不思議だね、安心する」


 君の体温を感じて、僕も同じことを思ったよ。


 口に出してしまえる素直な大人じゃないから、返事をする代わりに僕も鈴ちゃんを優しく抱きしめた。


「ずっと、このままが良い」


「うん……」


 心地よい朝とは、こういったことなのだろう。鈴ちゃんの言うとおりで、ずっと続いて欲しいとは思うけど、残念ながら休日は昨日で終了。今日は月曜日なんだ。


 そろそろ朝ご飯の準備をしないと――。


「クゥ」


 ほら、可愛らしいお腹の音がなった。

 恥ずかしいのか、僕の胸に顔をグリグリと押しつけてくる。


「離してくれないと、ご飯作れないよ?」


 少し待つと、絡みついていた腕と足の力が抜けた。

 優しく引き離して、ゆっくりと立ち上がる。


「朝ご飯作ってくるから、顔を洗って着替えてきてね」


「……うん」


 まだ恥ずかしいのか顔がほんとりと赤い鈴ちゃんを置いて、朝食の準備を始める。日常の再開だ。


◆◆◆


『おはようございます』


 鈴ちゃんを見送ってから一人、キーボードを叩く。カタカタカタとリズムカルな音が部屋に響き渡り、小早川先輩との個人チャットに文字が入力されていく。


『おはよう。離島の休日は楽しめたかしら?』


 昨夜からのことを思い出して、思わず先輩に相談しそうになってしまった。対面での会話だったら幽鬼といったキーワードをこぼしていたかもしれない。


 幽鬼や海月、鈴ちゃんの獣耳など一人で抱えるには重すぎて、誰かに頼りたくなる。


『色々とありましたが、なんとか』


『なんだか、含みがある言い方ね』


 そんな気持ちがテキストから漏れてしまったのだろう。気づかれてしまった。僕のガードが甘いのか、先輩の察する能力が高いのか。恐らく、その両方なんだろうな。


 キーボードから手を離して、少し悩むことにした。


 宮子姉さんでさえ、神隠しは人が関わる事件だと思っているぐらいだから、島の裏の歴史を話しても信じてはくれないだろう。狐耳と尻尾がある鈴ちゃんの写真を送ってもコスプレだと思われそうだし、見世物にしているようでやりたくない。もちろん火の玉を使った映像だって撮影する気ははない。


 でも、第三者からのアドバイスは欲しい。

 わがままなのは分かっているけど、次に何をするべきか悩んでいるからだ。


 そんなことを考えながら、藁にもすがる思いで再びキーボードを叩く。


『小学校から家の歴史を調べるって宿題が出たんですが、どうやって調べようか悩んでいるんです』


 公開されている表の歴史ではなく、裏側ですけどね。と、心の中で付け足した。


『聞く相手がいないってことね』


 リモートで働く際に、両親だけではなく、母方の祖父母もいないことも伝えていたので当然の反応だった。こういったとき、事情を知っている人の存在はありがたい。話がスムーズに進む。


『そうなんです。両親が持っていた書物を見せてもらったんですが、情報が足りなくて少し悩んでいたんです』


 その書物とは、昨晩、鈴ちゃんと一緒に読んだ本のことだ。

 大まかな流れは把握できたけど、具体的なことは何一つ書いていなかった。他に補助となる書物がある前提でかかれたんだと思う。


『欲しい情報ってなに?』


 それは、色々とある。幽鬼といった怪異の具体的な生態や鈴ちゃんが覚えられる妖術の種類や覚え方、他にも何で獣耳や尻尾が生えているのかといったものだ。


 その中でも優先度の高いものは一つに絞られる。


『伝統の技術みたいなものがあったらしく、そのことについて詳しく調べています』


 怪異どもを封印した妖術だ。

 鈴ちゃんは火の玉しか使えないので、早急に取得したい。守るべき少女頼みなのは情けない限りだけど、まだまだ幼い身体を守るためには必要なことだと、割り切らなければいけないだろう。


『それは、確かに今の状況だと調べるの大変そうね。図書館みたいなところにはなかったの?』


『調べてみましたが、詳しいことまでは書かれてなく』


『たしか親族も亡くなっていたのよね? それなら、家系図をたどって調べてみたらどう?』


 僕の家はたいした歴史もなかったので、その存在を忘れていた!


 直系でなくとも、分家に相当する家が別の書物を所有している可能性は高い。それこそ、倉庫の中に眠っていたといったケースも考えられる。


 家の中を探しても出てこないのであれば、分家を探す方法も試そうと決めた。この島から他の場所に移り住んだ人は少ない。調べれば住んでいる場所にすぐに行けそうだ。


『そうですね。もしかしたら、あるかもしれません。仕事が終わったら探してみます! ありがとうございました!』


『いえいえ、どういたしまして。悩みも解決したことだし、今日も一日、仕事をがんばりましょうか』


 朝から始まったプライベートの会話は終了。

 メンバーが続々と出社していく中、な僕は仕様書と格闘しながらプログラムを書いていき、ようやく形になってきたところで定時が過ぎる。「ただいまー」と可愛らしい声で、鈴ちゃんが帰ってきた。

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