第16話 語り継がれない歴史
数分後、片手に本を持って、帰ってきた。
「ただいま」
「おかえりなさい。これがさっき言ってた本なの?」
「うん。はい、どうぞ」
布団の上で、あぐらをかいて座っていた僕に向けて差し出された。
受け取って表紙をじっくり見る。色あせていて、文字や模様もかすれている。
古紙特有の少しカビっぽいけど嫌ではない匂いを感じた。
本を開いてページをめくる。文字はそこまで小さくない。でも表現が古いから時間がかかりそうだ。古典に出てくるような文字じゃなくて良かった。
一通り確認が終わったので、顔を上げようとしたら、鈴ちゃんが膝の上にトンと座る。
僕の顎に狐耳があたって少しくすぐったい。尻尾は彼女のお腹をぐるっと一周するような形で丸まっていた。
「どうしたの?」
「一緒に見たい」
小学生では読めないから無理だよ、と言いかけたけど、すぐに考えを改めた。
子供は大人を試すように急に甘えだす。そんな行動の一端なんだろうと納得すると、小さくうなずいた。
開いた本を鈴ちゃんの前に持っていき、僕の顔を頭の上にのせる。少女特有の甘い香りが脳を刺激する。伝わってくる体温とあわさることで、なぜだか心が満たさせる。
戸惑いながらも、ゆっくりと読み進めていく。
日記のように日付ごとに何があったのか簡単にまとめられていて、ボリュームは多くなかったので二時間ほどで読み終えた。
「何が書いてあった?」
覚醒しきっていない甘い声で質問をする。
パタンと本を閉じたことで、ウトウトしていた鈴ちゃんの目が覚めたみたいだ。
「江戸の中期あたりだったっけな。無人だったこの島に移住したのが、歴史の始まりだったのは覚えてる?」
「うん。今日、宿題で学んだ」
「当時は本当に何もない場所だったらしいよ。畑を耕し、本島から家畜を持ってくることで、数年かけてなんとか住める場所を作ったみたい。問題はそこから。漁師の一人が、浜辺に人が倒れたのを見つけたところから始まる」
「遭難した人、ではないよね?」
「うん。女性のように髪が長く、白装束姿だった」
「……同じだね」
「あまりの不気味さに近寄ることが出来なかったみたい。遠巻きに見ていたら急に立ち上がって、漁師に向かって歩いてくる。その時は恐怖のあまり逃げ出したところで、何事もなく終わったみたいなんだけど……この日を境にして、似たような目撃証言が島中で頻発したんだって」
逃げ出した理由は良く分かる。アレは関わってはいけない存在だ。DNAに刻み込まれた忘れ去られた生物としての本能が、警告を発しているような感覚だ。
島中の人々が遭遇したのであれば、集団ヒステリーになっていても不思議ではない。
幸いなことに、この時はまだ犠牲は出てなかったみたいだけど、恐怖、興奮、混乱といった状況が小さな村を支配していただろう。いろんな噂が飛び交ったに違いない。
「その不気味さから同じ人だとは到底思えなかったみたいで、
「討伐は、上手くいったの?」
「惨敗だった。返り討ちにあってしまって、ついに死者が出たと記録されている」
「そうだったんだ……」
血気盛んな農民の若い衆が恐怖を押し殺して戦いにいって一人は殺され、二人は行方不明になる結果だった。
まだ生活が安定しているとは言えない状況で若者を失うのは痛手だったのだろう。村長を中心に再び会合が開かれた。
もちろん、すんなりと結論が出るわけでもなく紛糾して、夜が明ける頃になってようやく「化け物の退治は化け物」にやらせればいいと結論がでた。
「そこで今度は、鈴ちゃんのご先祖様の力に頼ることにしたいみたい」
はらわたが煮えくり返るような思いを押し込める。
本には、ひどい言葉が羅列されていたけど、伝えるつもりはなかった。
世の中には知らないほうが良いこともある。
「具体的なことは何も書いてなかったんだけど、黒い大きな岩のところまで追い詰めたみたい。すごいよね。でも、何かがあって完全に消滅させることは出来ずに、戻ってきたみたい」
文章の表現から逃げ帰ったに近かったのかもしれない。
これも不要なことだから口に出すつもりはなかった。
「何があったの……?」
「書いてなかったんだ。でも、ただ単に戻っただけではない。黒い大きな岩から出れないようにしたみたいだから、一時的だけど平穏が再び訪れたって」
火の玉を出す技――妖術の中に封印みたいな技術があったのだろうか? だとすると血を引いている鈴ちゃんも使える可能性は高い。
過去に効果があったのは間違いないし、是非とも習得したいけど、どうやったらできるのだろうか。
この本みたいに、妖術をまとめた書物がどこかに残っている可能性は捨てきれない。時間をかけてでも探し回ろう。
「ご先祖様って、すごかったんだ」
「そうだね」
すごい人たちでも殺しきれなかったことに、軽い絶望感を覚える。
さらに話はここで終わりではない。続きがあった。
「……でも、1900年頃に再び事件が起きるんだ」
「神隠し」
「そう。この本によると、どうやら幽鬼が犯人だったらしい。鈴ちゃんみたいな能力を持った人たちが全員――十人ぐらいで退治しに行ったらしいんだけど、帰ってきたのは一人だけ。それ以外は、全員死んでしまったみたい」
生き延びた人こそが、鈴ちゃんの曽祖父か祖父にあたる人だろう。
親戚はいないし、直系の子孫もほとんど生き残ってなさそうだ。他の人と協力して倒すといったことは、期待できないだろう。
束になっても倒しきれず、今もなお存在し続ける幽鬼を僕と鈴ちゃんだけで倒せるはずはない。読むまでは、攻めにいく選択肢もあるかなと思っていたけど、安易な考えだった。
先ずは黒い大きな岩に押し止めていたという妖術を身に着けるべきだろう。
百年以上は存在し続けている怪異。人を害し、
ようやく相手の輪郭と対応策が見えてきた。
「みんな、死んじゃった……。悲しいね」
狐耳が力なく折れた。
まだ少女だというのに人の死を理解してしまい、不幸にも他の子供より早く大人に近づいている。
僕のエゴだとは理解しつつも、やりきれない想いが胸の奥にふくれあがった。
「そうだね。誰かが死ぬのは悲しいことだね。だから僕たちは精一杯、生きていこう」
「……私、一人はイヤ」
「そうだね。そんなことには、ならないよ」
「雪久おじさん、ずっと一緒だから」
安心したのか鈴ちゃんの身体から力が抜けていった。よく見るとスー、スー、と静かな寝息を立てていた。
起こさないようにゆっくりと抱くと、一緒に布団の中へと入る。
この島の表と裏の歴史、幽鬼、それに鈴ちゃんの秘密。今日一日で知ったことが多すぎて、頭がパンクしそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます