第14話 秘密
館内に戻ろうと自動ドアに前にまで行くと、ちょうど宮子姉さんと一緒に鈴ちゃんが出てくるところだった。
「またきてね!」
「うん。バイバイ」
そう言いおわると、僕のところに駆け寄ってくれた。
「宿題は終わったの?」
小さくうなずくと、慣れた風に手を取る。
お互いに、それが当たり前だといった風な自然にでた行動だ。
「帰ろう」
前を向いたまま、ゆっくりとした速度で歩き出した。
「「……」」
僕はおしゃべりではないので、何気ない仕草から感情を読み取ることが得意だと自負している。
鈴ちゃんが少し前に出ているので後ろ髪しか見えない。今、何を考えているのか、どんな表情を浮かべているのか分からないけど、機嫌は良さそうだ。
新米の保護者としては、今日も幸せな一日が送れたんだなと思って安堵する。もっと、こういった日を積み重ねていこう。
小さな手に引っ張られながら、そんなことを想い、歩く。
周囲は静かで夕日はもう少しで地平線に沈んでしまうだろう。
たしか黄昏時といったっけ?
夕方から夜に変わる僅かな時のことで、仕事をしているときはあっという間に終わってしまい、気づくことすらない。
子供の頃に経験して大人になってしまうと忘れてしまう。そんな寂しくもあり不思議な時間のことだ。
「止まって」
ふと、鈴ちゃんの足が止まる。
どうしたの? と、声をかけようとして言葉を失った。
空気が重い。
住宅が密集した細い路地にいるのに、人の気配が全くない。いくら過疎化している島だからといって、これは不自然だ。百歩譲って姿が見えないことは良いとしても、物音すらしないのはおかしい。
古びた石を積み重ねた壁に囲われているから、人気を感じられないのだろうか?
僕は次の瞬間に否定する。
人だけじゃない。動物の物音すら聞こえないからだ。
この島には二人しかいない、動物や昆虫すら死に絶えてしまったのではないかと、錯覚してしまうほど生き物の気配がない。
死に支配された世界に包まれてしまったようだ。
水分をたっぷり含んだ空気のように、肌にべっとりとまとわりつくような感覚。まるで水の中に入ったように、身体が動かしにくい。新鮮な空気を求めるように呼吸が浅くなる。
「ハァ、ハァ……」
自分の息づかいがうるさい。つないだ手のぬくもりのおかげで、何とか理性を保てている。一人だったら、恐怖に負けて走り出していたと思う。
視線をやや下に向けると、鈴ちゃんは何もない空間をじっと見つめていた。
「逃げる」
「えっ?」
疑問に答える代わりに、手を引っ張られた。
足がもつれて倒れそうになるのを耐えながら導かれていく。
石のように固くなった体を引きずりながらも、右に、左と背後から迫る”嫌な気配”から逃げるようにして進む。
途中、何度も転けてしまいそうになるけど、何とか走り続けていた。
今どこにいるのか分からない。
家から離れているのか、近づいているのか。
助けを探しているのか、撃退する場所を探しているのか。
鈴ちゃんが何を考えて行動しているのか、僕にはさっぱり分からない。
「あッ……」
いつまでも続くと思っていた鬼ごっこだったけど、終わりは唐突だった。
目の前に壁がある。行き止まりだ。左右にもあり、乗り越えられないほど高い。
とっさに、戻ろうとして後ろを向く。
白装束の人型をした存在が、いた。
「!!」
下を向いていて、長い髪で顔を隠している。
性別の判断がしにくい。少し前に出会ったときと変わらない姿に、背筋が凍る。
空気がさらに重くなり、磯臭くなってきた。
異変に気づいた僕は、せめて鈴ちゃんだけでも逃げてもらわなきゃと思っているけど、金縛りなったように動けない。
大人とか、男とか、そんなは関係がない。大好きだった兄さんの忘れ形見で、幸せになって欲しいと思って保護者になった大切な人が目の前にいるのに、動けない。
なんと、惨めなのだろう。
僕の覚悟はその程度だったのかと、全てを忘れて絶望が心を押しつぶそうとしてくる。けど、状況が感傷に浸ることすら許さない。
最後まで残っていた日常――ぬくもりがなくなった。
鈴ちゃんが僕をかばうように前に出たのだ。
「危ないから後ろに下がるんだッ!」と、声を出すことは叶わない。
小さい背中を見て少しだけ安堵を感じてしまう自分を殺したくなった。
なぁ、これがあるべき姿か!? 雪久として正しい行いだと言えるのか?
ダメだ! そうじゃない! 違うだろ?
小さい子供に守られるほど矮小な人間だったのか!?
違うッ、違わなければいけないッ!!!!
僕は保護者なんだ。鈴ちゃんを守らなければいけない!
そうしなければ後悔する……なにより自分が許せない!
強烈な嫌悪感と保護者としての義務感、そして最後に残った自尊心。この三つがそろったことで、ようやく体が思うとおりに動かせそうだった。
先ずは僕が前に出ようと足を踏み出して、
「どういう、こと?」
そのまま止まってしまった。
僕の前身を襲ったのは驚きだ。
これ以上、新しいことは何も起こらないと思っていたけど、どうやら考えが浅かったみたい。
鈴ちゃんの頭の上に、狐のようなピンと天に伸びた耳が頭から生えていた。
髪と同じ黒色の毛に覆われていて、先端だけ茶色になっている。周囲を警戒するように小刻みに動いていた。
白いワンピースの下からは、柔らかそうな毛に覆われた尻尾の先が見えている。
寒い日に首に巻いたら暖かそうだ。そんな感想を抱いてしまうほど、思考が追いつかない。混乱している。
「夢……を見ているのかな?」
「雪久おじさん、しっかりして。私たちは起きている。現実だよ」
「でも、耳と尻尾が……」
「詳しいことは後で説ッ――」
白装束の存在が声なき叫びを上げた。
すると、周囲の景色を侵すようにスライムのような青黒く不定形の塊が空中に出てきた。一つ、二つといったレベルではない。数えるのを諦めてしまうほどだ。
サッカーボールほどの大きさで、重力に従って落ちると、ベチャっと不快な音を立てながらモゾモゾとうごめいている。見るだけで生理的嫌悪感を抱いてしまう存在に、地面は埋め尽くされてしまった。
空気がさらに濁ったように感じ、赤子のように叫んで逃げたくなる衝動を必死に抑えつけていると、周囲が明るくなると同時に全てが軽くなった。
「もう、大丈夫だから」
鈴ちゃんの手のひらに小さな火の玉があった。
いや、それだけじゃない。この場所を覆い尽くすほどの数があり、いつの間にか暗くなっていた周囲を明るく照らしていた。
火の玉を口元にもっていき、フーッと息を吹きかける。
「――――!!!!」
黒いスライム状の存在に向かい、衝突。
小さな爆発とともに消え去った。
「すごい……」
爆風でゆれる髪を抑えながら、思わずつぶやいた。
理解しようとする気持ちは、すでに放棄している。ありのままを受け入れ、そして生き延びる。それが全てだ。
「鈴ちゃん! 他の火の玉も操れるの!?」
「うん。ちょっと大きな音が出るけど、我慢してね」
手を上げて下げる。
たったそれだけの動作で、火の玉が一斉に動き出した。
白装束の存在も巻き込んだ連続した爆発に、とっさに腕で目をかばう。耳がキーンとしてしまい、五感の内、二つも一時的に麻痺してしまった。
爆風が通り過ぎ、目と耳の感覚が元に戻ったので周囲を見渡す。
「消えた?」
「逃げられたかも。でもしばらくは、大丈夫」
「そっか……」
目の前に迫った危機が去ったことで気持ちが落ち着いてきた。すると人間とは勝手なもので、色々と疑問がわきあがってくる。今すぐにでも質問攻めしたいけど、そんなことをしても、戸惑うだけで喜ぶはずはない。
「……」
鈴ちゃんがじっと見つめてくる。
もう獣耳と尻尾は消えていた。先ほどまでの光景が嘘だったかのようだ。
「…………帰ろっか」
「うん」
日常に帰ろう。僕の選択はそれだった。
手をつないで道を戻る。陽は沈み夜が支配する道で、二人仲良く帰路につくことにした。
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