第11話 恐怖を感じる夜
その日の夜、湯船につかって一日を振り返っていた。
午前中で授業が終わった鈴ちゃんと一緒に帰宅すると、一旦、全てを忘れて仕事にとりかかった。
初めてのリモート作業だったけど、想像していたよりかはやりやすく、順調に進んでいた、と思う。もちろん、それは僕が優秀だからというつもりはない。先輩方の気遣いがあってこそだというのは理解している。
もちろん例外――天才、秀才はいるけど、僕みたいな一般的な新卒エンジニアはチームの助けがなければ、一人で仕事を完結させることなんてできない。これは謙遜ではなく事実だ。
だからこそ、この離島で仕事をすることを許してくれた会社には感謝の気持ちしかないし、恩返しするためにもバリバリ仕事をこなさなければいけないとは思っている。
けど、現実は思うようにいかないみたいだ。
鈴ちゃんのご飯を作ったり、宿題を見たりと、家庭でのやることが多くて、理想とはほど遠い状況だ。まだ一日しか経過していないけど、慣れたら劇的に変わるなんてことは難しい。そんなことぐらいは分かる。
子供を持つということは、自分のためだけに時間を使うことができないという事実に今更ながら気づいたのだった。
仕事と家庭の両立? ライフワークバランス?
そんなの家政婦さんを雇う余裕のある家庭じゃないと無理だ。幻想だ。
それに業界も決して良いという訳ではない。
生存競争が激しく、移り変わりやすい業界において、子育てなんてハンディキャップを背負うものだ。
24時間全てを自分のためだけに使える人と比べたら、ちょっとした才能の差ななんてないようなもの。
と、仕事初めて早々から愚痴っちゃったけど、鈴ちゃんの保護者になったことは後悔していない。
同期に比べて成長スピードは遅くなるだろうし、一人だけおいて行かれるかもしれないけど「引き取らなければ良かった」とは絶対に思わない。
そういった自信があった。だから鈴ちゃんのことは大丈夫。
今は他に気がかりなことがある。
「あの白装束を着た存在は、なんだったんだろう?」
思い出すだけで身の毛がよだつし、恐怖と同じぐらいの嫌悪感がフツフツと湧き出てくる。
守り神様に挨拶してから感じていた視線はヤツのものだったのだろうか?
そのときから狙われていた?
そんな想像をしただけで、血の気が引くのがわかる。湯船につかっているというのにガチガチと歯が鳴ってしまうほどの寒気を感じてしまうのだ。
だけど、守るべき者があるのだから、そこで思考を停止してしまうわけにはいかない。
もう一度、僕の前に現れてくるのは、ほぼ間違いないだろう。根拠はないけど、確信していた。だからこそ、対処する方法を考える必要がある。
白装束の存在を抜いて、気になる点は二つだ。
ヤツを足止めした見えない壁と消えた理由。
この原因を調べることで、防衛策に思い浮かぶと思う。
一つ目の見えない壁についてだけど、これはまったく分からない。
超能力に目覚めたなんてあり得ないだろう。なぜならあの後、家に帰ってから使えないか何度か試したからだ。
この年で黒歴史を積み重ねてしまうなんて思わなかった……。
幸いなのは、鈴ちゃんが特に何も言わなかったところからかな。でもあの目は――。いやいや、思い出すのは止めよう。傷口をえぐるような行為だ。
湯船に張ったお湯で顔を洗って気持ちを切り替える。
もう一つの消えた理由については、一応仮説は考えた。
それは、ターゲット以外の存在が居る場合は存在が維持できないということ。
遭遇したときには周りに誰も居なかった。石を積んだ塀に挟まれた細い通路に、僕だけしかいなかった。だからこそ、好機だと思って現れたのではないだろうか?
想像力がたくましい?
科学的にあり得ない?
そもそも幻覚を見ていただけだろうって?
否定する言葉が脳裏によぎるけど、でも、あれが幻だとは思えないし、僕が創り出した妄想の産物というわけでもない。生々しい現実感がそこにあったからだ。
「一人の時にしか現れない怪異。可能性としてはあり得る。鈴ちゃんがきたから逃げ去ったと考えられる。でも、決めつけは危険だ。他にも可能性を考えないと――」
また考え込もうとしたところで、鈴ちゃんの声が聞こえた。
「雪久おじさん。ご飯食べないの?」
磨りガラス越しに鈴ちゃんの影が見える。
実は食事をする気分になれずに、先に食べてもらっていたんだ。
正体不明の存在は気になるけど、頼られる存在でいたいのだから、心配をかけてはいけない。
「もう上がるよ。先に戻ってて!」
そう言うと、鈴ちゃんの影がスーッとなくなった。
そこから数秒たってようやく浴槽から立ち上がる。ざばっと水音を立てながら出ると、タオルで体を拭いてパジャマに着替えた。
居間に移動して冷えてしまった食事をとる。
今日は麻婆豆腐とご飯、それに味噌汁だ。食べ合わせなんて考えるほど慣れていないから、他の人からみたらちょっと変な食事かもしれない。
チラリと鈴ちゃんを盗み見る。テレビに夢中でこちらには気づいていない。すらりと長い手足に、膨らみかけ胸。二次成長期を迎えているのだろう。
今の食生活が体に大きく作用する時期だと思うと、もう少し栄養バランスには気をつけた方が良いかもしれない。やっぱり野菜はあったほうが良いよね……?
幸いなことに好き嫌いは少ないみたいだから、作りさえすれば食べてくれる。良いわけはできない。保護者としての能力が問われているように感じた。
「ごちそうさま」
来月はもっとまともな食事を作ろうと心に決めると、食器を片付けて、ついでに歯を磨もする。
歯磨き粉をつけてゴシゴシと動かす。「おじさん臭い」って言われないように、一人暮らししていたときより念入りにやっている。最後に舌を磨いてからうがいをして居間に戻る。
鈴ちゃんはまだテレビを見ていた。
真顔のままバラエティ番組を視聴しているのに少し驚いたけど、実はいつも通りだ。兄さんたちが亡くなってから、ほとんど笑顔を浮かべることはない。
寂しく悲しいことだけど、普段と変わらない行動から、ヤツを見てはなかったと判断した。
大人の僕ですら思い悩んでしまうほどなんだし、見ていたらもっと違う行動をとっているはずだ。
鈴ちゃんにこれ以上負担はかけたくない。知らないままの方が幸せなのだから、この件は僕だけで解決しよう。そう、心に決めた。
「寝よっか」
決意は内に秘めたまま鈴ちゃんに声をかけた。
「うん」
まだ見たい! と、愚図ることなくテレビを消す。なんて素直な子なんだろう。
僕が子供の時はこんな感じじゃなかったと思う。
兄さんと一緒に「まだ寝る時間じゃない!」とかいって困らせていたな、とふと記憶が蘇る。
そんなことを考えながら一緒に薄暗い廊下を歩くことにした。
足を踏み出す度にギシ、ギシと音が鳴るほど古くさい建物だ。周囲の静けさと相まって恐怖心をかき立てる。
「それじゃ、また明日。お休み」
振り向くと、鈴ちゃんが立ち止まっていた。
襖の奥は彼女の部屋だ。今日から別々で寝ようって話をしていたから、ここで分かれるのは自然な流れ。普段であれば「お休み」と返して終わりだった。
――今日は、一人になりたくない。
そんな想いが心を占めていた。
子供の頃、いつか死んでしまうのではないかと怖がって、寝られなかった夜を思い出す。
「鈴ちゃん……」
気がついたら名前を呼んでいた。
「どうしたの?」
首をかしげて見つめている。可愛らしい姿に心が少し和らいだ。それと同時に離れたくないという気持ちが強まる。ここまで弱い人間だったのだろうかと、疑いたくなるほどだ。
どうしよう。そんな風にウジウジと悩んでいると、襖に小さな手をかけてドアが半開きになる。
「一緒に、寝ない?」
また考えるより先に言葉が出た。明確な理由がない唐突なお願いだ。たとえ家族といった親しい仲でも疑問に思うはずだ。
「うん。一人で寝るのは寂しいもんね」
なのに、何も聞かず受け入れてくれて、鈴ちゃんから手を握ってくれる。それだけで先ほどまであった恐怖心が薄れていき、救われた気がした。
その後は言葉を交わすことなく、部屋に入って同じ布団に入る。少し高い体温を感じながら、恐怖から解放された僕は深い眠りについたのだった。
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