離島での新生活
第7話 挨拶回り
ちゅんちゅんと、リズミカルに鳴くスズメの声で目が覚めた。
右腕に軽い重みを感じたので、視線を動かす。鈴ちゃんがこちらを向いて寝ていた。
思わず脳内で「お楽しみでしたね」と、誰かがささやく声が聞こえたけど、当然、何もしていない。
さみしがり屋な妹をもった兄のような未体験な感情に浸りながら、起こさないようにゆっくりと腕を引く。数分かけて、何とか自由を獲得した。
「さて、頑張るか」
今日から二人っきりの生活が始まるのだ。心機一転、気合いを入れた。
着替えてから、廊下を歩いて台所に移動する。
気軽に外食できる場所はない。コンビニだってないんだから、朝ご飯は自分で作るしかなく、頑張って早起きをした。
メニューは無難なものに決めている。お味噌汁とおにぎり、後は漬物だ。
慣れたらもっと豪勢な料理にしたいと考えているけど、最初からしっかり作ることなんてできないんだから、今はシンプルなもので許して欲しい。
水を入れた鍋を火にかける。だしを入れてから、まな板の前に移動して豆腐と長ネギを切る。トン……トン…………トンと不規則な音が続く。
もっと上手く使えと責めているように聞こえた。
「……不細工」
包丁を置いてまな板の上を見る。
大きさ、厚みが不揃いな食材が転がっていた。豆腐なんて角の方が崩れかけているほどだ。
小学校では家庭科の授業がある。もしかしたら、鈴ちゃんの方が上手いかもしれない。
「これから慣れれば良いだけだし……愛情はあるし……」
ありきたりな良いわけを言いながら、現実から逃げるように手を動かす。
食材は無駄にできないし、何より起きてくる前に作り終えたいんだ。
鍋に食材を入れて温めてから味噌を溶かす。沸騰させないように温度調整をしながら味を確かめ、ほどよくなったら火を止めた。
サランラップの上にご飯をのせて種を抜いた梅やほぐしていた鮭を入れて、三角形になるよう握る。小さい頃にお手伝いしていたから、包丁を使うよりかは慣れている。形はキレイに整えられた。
最後はパックから漬物を取り出してお皿に盛り付けてから、トレーに乗せてテーブルに持っていった。
「ふぅ。一仕事終えた感じだ」
簡単なご飯を作るだけでもこんなに疲れるんだから、一汁三菜の献立にチャレンジするのは大分先になりそう。でも鈴ちゃんには健康的な生活を送って欲しいから、泣き言ばかりではダメだ。頑張ろう。
保護者としての能力が低いことを嘆きながら配膳をしていると、ふすまが静かに開いた。
「おはよう」
パジャマを着たまま、目をこすっている鈴ちゃんが立っていた。
艶のある髪が、あちらこちらに跳ねて、無防備な姿が何とも愛らしい。保護欲が湧き上がってくる。
「うん、おはよう。ご飯をつくってみたんだけど、どうかな?」
手を止めて見上げる。
今の僕は、少し不安げな顔をしているかもしれない。そんな姿を見せてはいけないのだろうけど、コントロールがきかなかった。
「ええ!? あ、ありがとう……次から、私も手伝う」
目を見開いて驚くと、そんな可愛らしい申し出てくれる。
あまりにも粗末な朝ご飯でビックリしたわけではないことに安堵すた。
「無理しなくても大丈夫だよ?」
「私も料理を覚えたい」
「そっか、なら、一緒に勉強しよっか」
少し思うところはあるけど、本人の意思を尊重すると決めた。
長続きしないかもしれないけど、だからといって、子供のやる気をへし折ってしまうのも違うと思うしね。
それに、一緒に料理を作ることに喜びを感じている自分もいる。
こうやって思い出を積み重ねて、僕らの絆が深まっていく。それ以上の喜びはない。
少し前だったら想像すらできない考え方に、軽く驚きを覚えていた。
うん、その変化、悪くない。僕は好きだ。
「さ、座って。一緒に食べよう」
コクンと可愛らしくうなずくと、鈴ちゃんは座布団の上に座った。僕の正面だ。
手早く配膳を終わらせると、いただきますと小さくつぶやいてから、静かな食事が始まった。
僕らは二人ともおしゃべりではないので、会話はない。ちょっとした咀嚼音と食器の音がするだけ。
でも、それが心地よいと感じるし、目の前で食事している彼女も苦痛そうには見えない。似たもの同士なのかもしれないなと、勝手に思っていた。
「ごちそうさま」
結局、一言も話さないまま食事は終わった。
二人で片付けてから半袖のYシャツとジーンズに着替えて、顔を洗う。
居間に戻ると、淡いピンク色のワンピースを着た鈴ちゃんがいた。
「大人って感じでかっこいい」
「え? うん。ありがとう」
「これからどうするの?」
機嫌が良いのか、薄く笑いながら質問された。
引っ越しして二日目。やることは山のようにあるけど、優先順位は決めていた。
「先ずはご近所さんに引っ越しの挨拶かな。その後は少し島内を見学しようと思っているよ。鈴ちゃんはどうする?」
都会と違って、田舎では挨拶回りは重要だと思っている。特に僕は若いから色眼鏡で見られることの方が多いだろう。
この地に親族はいないし、味方を作る努力は優先的にしておくべきだと思っている。
「一緒にいてもいい?」
二人で挨拶した方が印象は良いかな。
そんな打算的な考えをしながら、軽くうなずいた。
「いいよ。手土産を持つの手伝ってくれる?」
「うん」
そうと決まれば、すぐ行動だ。田舎の朝は早いって言うしね。
買ってきたお土産を両手に持って、鈴ちゃんと一緒に外へ出る。東京よりも強い夏のまぶしい日差しが肌を刺す。目を細めながらも一歩を踏み出した。
「手、つないでも良い?」
断る理由はない。立ち止まって振り返り、手を取る。
「いこっか」
「うん!」
最初の目的地はお隣さんだ。とはいっても、歩いて10分ほど離れているから、その感覚は薄いんだけど、それでも一番近いお家なので挨拶は必須。怠るわけにはいかない。
子供の歩幅にあわせてゆっくりと進んで予定時刻をやや遅れてから到着した。
石造りの塀に取り付けられた小さな門の前でインターホンを押す。
「はーい」
意外なことに若い女性の声が返ってきた。
例に漏れず、この島も高齢化が進んでいると聞いていたから、不意打ちを食らって反応が数秒遅れてしまう。
「源と申します。隣に引っ越してきましたので、ご挨拶に参りました」
「鈴ちゃんの保護者になった人だよね!? もう来たんだ! ちょっと、待っててね!」
インターホンが切れると、家からドタバタした足音と、何か物が落ちる音が聞こえた。その音が次第に大きくなっていき、不安にかられる。
「だ、大丈夫かな?」
「うん。宮子さんは、いつもあんな感じ」
「そう、なんだ」
普段と変わらないのであれば、心配することは何もないのだろう……けど不安だ。
キャっと小さい悲鳴が聞こえたけど、気にしてはいけないのだ。
僕はただ、門が開くのを待つだけだ。
「今日も暑くなりそうだね」
「うん。雪久おじんさんは嫌い?」
「暑いの? ううん。子供の頃から冬より夏が好きなぁ。なんかワクワクするんだよね」
「そっか、よかった」
「鈴ちゃんは?」
「私はここが普通だから、暑いのは好き。寒いのは少し苦手かな」
「好みが一緒でよかった」
「うん」
向き合いながら話していると、音が聞こえなくなったことに気づく。
顔をゆっくりと門に向けると、乱れた長い髪に黒縁のめがねをかけた二十代半ばの女性が、息を切らして立っていた。
首元がヨレヨレの白いタンクトップからは、二つの大きな山が自らの存在を主張しており、ブカブカなショートパンツから生足が見えるけど、異性として意識することは一切なかった。
もちろん、僕がロリコンだからという理由ではない。
年上の女性を前にした発言ではないけど、妹って感じがするんだ。
「ハァハァ……お、お待たせしました」
「こちらこそ、突然お邪魔してしまい申し訳ございません」
「いえいえ。今日か明日に挨拶に来るって、君のお母さんから聞いていましたから」
宮子さんは、少し残念、いや、ズボラな容姿にかかわらず、丁寧な挨拶をしてくれた。
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