第6話 一日の最後

「これは諦めた方がいいかな?」


 大きく息を吐いた。


 お昼ごはんを食べ終わると荷造りを再開したんだけど、散らかるばかりで進んでいるようには思えない。


 ダンボールから荷物を取り出したので、あとは仕舞うだけだと思っていたんだけど、工数の見積もりが甘かったみたい。これがお仕事なら炎上間違いなしの徹夜コースだよ。


 畳の上には、洋服や食器に本、他にも雑貨や趣味のギターなどがあり、フリーマーケットに出店したような乱雑具合だ。


 僕は悟った。


 今日一日じゃ、終わらない。


 飛行機と船で移動したので体は疲れている。本能が休めと訴えてくる。うん。とりあえず、寝る場所だけ確保しておこう。あとは全部、明日の自分に任せてしまえば良いんだしね!


 そう決めてしまえば後は楽だった。

 ブルドーザーのように荷物を押しのけ、ぽっかりと空いた畳に布団を敷くと、作業は完了だ!


「ふぅ、疲れたぁ」


 そのまま布団の上で横になり、天井を見つめる。


 木が張り巡らされていて、見た目はマンションとは違う。そんな些細な差に気づくだけで、ここで生活するんだという実感が湧いてくるんだから不思議だ。


 これから始まる新生活は楽しみより不安が勝る。全く知らない他人ではないけど、九歳の少女と上手くやっていいける自信なんてないからね。


 どう接すれば良いか分からないよ。


 だからといって、逃げ出すつもりはないけど。


 そんなことを考えていると、ほどよい倦怠感が眠気を誘ってきた。抵抗するすべはない。


 まぶがた重くなり、だんだんと身体から力が抜けてゆく。布団の柔らかさに包まれながら、いつの間にか意識を手放していた。


◆◆◆


 やや高い声で、僕の意識が半分覚醒した。


「雪久おじさんー!」


 鈴ちゃんだ。どうやら用事があるみたいで、足音が近づいてくる。


 残った気力を総動員して起き上がり、頭を軽く振る。二度寝の誘惑に負けてなどいられないんだ。手をついてゆっくり立ち上がると、ふすまを開けて廊下に出た。


「見つけた!」


 何とか部屋に入るのを阻止できたみたいだ。

 年上として汚い部屋なんて見せられない。


 けど、そんなささやかななプライドは、完全に閉まりきっていない、ふすまの前では意味がなかった。


「あれ? まだ片付け終わってないの?」


 少し引いた顔をして僕の顔を見上げていた。


「片付けるの苦手なんだね……。鈴、手伝うよ?」


 まさか、年端もいかない女の子に心配されるとは思わなかった。そんな態度をとられてしまうと、心にナイフがグサグサと刺されるように痛い。


 これが、失恋か……。


「雪久おじさん?」


 鈴ちゃんの声ぇ、無言のまま妄想に浸っていた意識が現実に戻る。


 上目遣いのまま首をかしげている姿は、なんとも愛らしい。居場所を失ってしまった彼女を育てると決めたことは正しかったと、この場で改めて思ってしまった。


「何でもないよ。そで、どうしたのかな?」


「あ、そうだ! 神様にお供え物をするんだけど、雪久おじさんも一緒に来てほしいなーって……」


 この家には、屋敷神と呼ばれる神様をまつっている小さな社がある。家の土地神様みたいなものだ。朱塗りの鳥居が三つ並んでいるので、稲荷伏見大社から御霊を分けていただいたのだろう。


 兄さんが生きていた頃は、一緒にお供え物や掃除をしてた。すごく大切に扱っているのが印象的で、だから僕も同じように接するようになったんだっけなぁ。


 やけに静かな廊下を歩いて玄関に向かうと、突然、先頭を歩く鈴ちゃんが髪をふんわりと浮かしながら振り返った。


「あ、おばさんから伝言があったんだった! 晩ご飯は冷蔵庫にあるから、だって」


 どうりで静かだと思った。今日帰る予定だったから驚くことではないんだけど、挨拶ぐらいしてほしかった。


「直接言えば良いのに」


「急がないと船に乗り遅れるって……」


 気持ちが顔に出ていたみたいで、慌ててフォローしてくれる。それが子供っぽいし草で、なんとも可愛らしい。


 少しだけ悪戯心が芽生えるけど、もういい大人だ。思ったとしても行動に起こさない自制心ぐらいはある。


「それだったら仕方がないね。じゃぁ、二人で神様に会いに行こうか」


「はい!」


 また歩き出す。靴を履いて、玄関を出るとすぐ右に曲がって庭に入った。


 ブロックの塀をなぞるように背の丈ほどある木々が生えている。短く切りそろえられた芝は手入れが行き届いていて、雑草は生えていない。


 物干し竿が二段あり、鈴ちゃんの服や下着、タオル等が夏の日差しを浴びている。この様子なら、あと一時間程度で完全に乾いてしまいそうだ。


 日当たりの良い場所には木製の椅子やテーブルが置いてあって、外でご飯を食べることもできる。僕が遊びにきた時は、みんなで騒ぎながら食べたっけな。


 一つ、一つ、思い出しながら歩き、庭の奥をさらに曲がる。人目から隠すように朱い鳥居がひっそりとあった。


「相変わらず、良い雰囲気だね」


 ここだけは荘厳で、神秘的――神さびた場所だった。


 神様が住んでいると言われても不思議ではない。そんな場所だからこそ、心が引き締まる思いだ。それと同時に、なんで兄さんたちを守ってくれなかったのだろうと、恨んでしまう。


「水と雑巾を持ってくるね」


 ふと、沸いてでた感情を忘れるために、外に取り付けられた蛇口から水を出して、バケツいっぱいにためる。


 小さな石造りの社に戻ると、雑巾で丁寧に拭きながら汚れを落としていった。こういった作業は無心でできるので、今は少しありがたい。


「手伝う?」


 鈴ちゃんの方は大分前に終わっていたみたいで、暇そうな顔をしながら見ていた。


「もう終わりにするよ。最後にお祈りしよっか」


「うん」


 二人横に並んで目を閉じて手を合わせる。鈴ちゃんが幸せになれますようにと、何回か心の中でつぶやいてから、目を開けた。


 どうやら長く祈りすぎていたようで、隣に立っていた彼女は笑顔で待っていた。


 なんとなく機嫌が良さそうに見える。


「雪久おじさん、ありががとう」


「お礼を言われることなんて何もしてないよ?」


「私が言いたくなっただけ。用事は済んだんだし、お家に戻ろっ」


 そう言うと、小走りで先に行ってしまう。


 子供はよく分からないなぁと思いながら、後片付けをして後を追うのだった。


◆◆◆


 予想通り、夜になっても部屋の片付けは終わらなかった。


 漫画を読んでサボっていたわけじゃない。むしろ全力で作業を進めていたんだけど、鈴ちゃんが暇そうにしてたんで一緒に遊んだり、勉強を教えたりしてたら夜になっていた。うん、誰も悪くない。


 母さんが作り置きしてくれた晩ご飯を二人で食べて、お風呂に入ると、もう就寝の時間だ。できる限り、生活サイクルは小学生にあわせると決めていたので、同じ時間に消灯をした。


 ダンボールの壁に囲まれた布団の上で横になっている。少しお昼寝したせいか、まだ眠くはない。


 寝付けず、ゴロゴロと体勢を変えて時間を潰していると、ギシッと木がきしむ音が聞こえた。


 気のせいだと思うことにして無視していたけど、その音はどんどん近づく。慣れてない部屋とあわさって地味に怖い。様子を確認するか、それとも睡魔がくるまで耐えるか悩んでいると、ついにスーッと静かな音とともに、ふすまが開いた。


 現実逃避はできないと諦め、覚悟を決めて起き上がると、小さな影が視界に入った。


「鈴ちゃん?」


 猫や犬、狐といった動物がプリントされた可愛らしいパジャマを着ている。枕を胸に抱いて立っていた。


 無言のままこちらに向かって歩いてくると、するりと布団の中に潜り込んでくる。


 正体が分かって落ち着いた僕も横になると、何も言わず腕に抱きついてきた。


「一人で寝れない?」


 返事をする代わりに顔を腕に押しつけてきた。


 家族が亡くなったばかりだというのに、この広い家で寝られるわけもないか。異性だからと気を遣ったことが裏目に出てしまった。僕はどこまでも気が利かない男らしい。


「大丈夫だよ」


 背中をポンポンとリズム良く軽く叩いていると、次第に力が抜けていき静かな寝息を立てていた。


 腕から伝わる暖かさを感じながら、僕も次第に意識が薄れ、いつの間にか眠っていた。

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