第5話 新生活に向けて
鈴ちゃんが先頭に立って、海が見える細い道を歩く。
空を見上げれば青く、所々に薄い雲があてもなく漂っているだけだ。
眼下には、一軒家が点在していて、マンションといった高い建物はない。東京とは正反対の風景を眺めている。外国にきてしまったのではないかと、錯覚を起こしてしまいそう。
もちろん、ここに定住している人たちは、みんな日本人。それに何回も訪れたことがある。見知らぬ場所にきてしまった、なんて心配はしていないんだけどね。
チリンと音がしたので前を見ると、二人乗り用の自転車に乗ったカップルがこちらに向かってくる。
おそろいの麦わら帽子をかぶり、肌を思いっきり露出させた薄着だ。首からはカメラがぶら下がっているし、観光客なのだろう。
良い思い出が作れたみたいで、二人とも太陽に負けないほどのまぶしい笑顔だ。
自転車を持ち込むほど、こだわりがあるようには思えないので、港にあったレンタル屋で借りたのかな。元気なおばあちゃんが経営しているみたいだったので、いつかご挨拶するついでに借りて、鈴ちゃんと一緒に島内を回ってみたい。
うん、名案だ。
また一つ、新しい生活に向けて目標ができた。
自転車が通り過ぎると、僕は早歩きをして鈴ちゃんの横につく。
「手をつないでもいい?」
「……うん」
返事をした鈴ちゃんの顔は、少し陰があった。
僕のことが嫌い……という可能性は低いので、別の理由だろう。
一人で考えても分かることではないので、今は素直に手をつなぐだけにしておこう。
子供特有の体温の高さが、僕に伝わってきた。その温もりは、鈴ちゃんが生きている証明であり、僕が守りたい存在だと思わせてくれる。
背負ってしまった不幸は分け合おう。
空いた場所には、幸せを詰め込んでいこうじゃないか。
二人ならきっとすぐに埋まるはずさ。
南国の空気が僕の心を丸裸にして、ポエマーにしてくれる。
それは、嫌な気分ではなかった。
◆◆◆
すりガラスのついた古めかしいドアを横に動かして開ける。
敷居をまたいで土間に入ると、建物から木の香りが漂っていた。
「ただいま」
「お邪魔します」
一段高くなった木製の床に座り、僕と鈴ちゃんは靴を脱ぐ。
母さんも少し遅れて入ってきた。
立ち上がると、一人で住むには大きすぎる右下駄箱にしまう。
正面の通路を見た。
床には大小さまざまな傷があり、少し色褪せているように見える。左右には襖があり、客間へとつながっている。妖怪でも出てきそうな古めかしさはあるが、不気味さはない。天井からは白熱球を使ったライトが全体を淡く暖かい光で満たし、床や天井で使われている木材から温かみを感じられた。
ここからは見えないけど、奥には二階に続く階段もあるので、二人で住むには大きすぎる家。兄さんがしてたみたいに、二世帯住宅として使うのが適切だと思う。
これから、この家を少しでも賑やかにしていきたいな。
「雪久の荷物は客間においたから、そこを部屋として使うのよ。鈴ちゃんは私とお昼ご飯を作りましょうか」
「うん」
母さんが廊下の奥へと消えていく。
鈴ちゃんも後を追って歩きだしたけど、途中で止まって振り返った。
「頑張って美味しいご飯を作るからね」
「楽しみにしてる」
くるりと回転すると、髪がふわりと浮く。
タタタと、音を立ててながら走り、台所に向かっていった。
返事はあれでよかったのだろうか。ご飯は母さんに任せて、遊ぼうと誘った方が良かったかな? 一人では経験できないこういった小さな悩みは絶えそうにないな。
答えの出ない問答を繰り返しながら、客間へと向かう。
襖を開いて中を覗くと、ダンボールの山があった。
「これ、今日中に片付くかなぁ」
小さいため息が出た。足の踏み場もないほどダンボールが置かれていて、荷解きはすごく大変そうだ。とりあえずマンガ取り出してから、休憩したくなる。
いやいや、ダメだろ!
大人として手本を見せないと、鈴ちゃんの教育に悪い!
よし、頑張るぞ!
腕を上げて体を伸ばしてから、パソコンデスクの部品を取り出し、組み立てる。
途中でドライバーを探したり、持ち上げるのに苦労して息が切れたりと、散々な目にあったけど、仕事周りのだけは何とか組み立てが終わった。
電源を入れて、ブラウザーを立ち上げる。検索サイトが表示された。
回線に不安があったけど、なんとかインターネットはつながっている。これなら、週明けから仕事はできそうだ。
パソコンの電源を落としてから周囲を見渡す。
畳の上にはダンボールが散らかったままだ。このままでは寝る場所がない。やる気は出てこないけど、頼れる人はなく、一人で頑張るしかない。そろそろ作業に戻ろうかな。
「ご飯できたわよー!」
洋服がつまっているダンボールに手をつけたところで、母さんの声が聞こえた。
無視するわけにもいかず、隙間を縫うようにして歩いて部屋出る。
長い廊下を足音に気をつけて歩き、茶の間に入と、すでに配膳は終わっていた。
丸い木材のローテーブルを囲むように、座布団が三つ置かれている。奥のほうに母さん、左側に鈴ちゃんが座っているので、残り一つが僕の席ということだろう。
「ごはん、ありがとう」
お礼を言ってから座る。
「そろったわね。食べましょうか」
「うん」
「「「いただきます」」」
挨拶と共に食事か始まった。
箸を使い、脂がしたたっている焼き鯖に手をつける。僕の好物だ。鈴ちゃんが知っているとは思えないので、母さんが用意してくれたのかな?
テーブルの中央に置かれた、熟れたトマトが乗ったシーザーサラダも美味しそうだし、食欲をそそる匂いを漂わせているお味噌汁が空腹を刺激する。
昨日までコンビニのお弁当ばかり食べていたので、手料理は嬉しい。
特に好物があると、こう、テンションが上がるよね。
久々に体を動かしていたこともあわさり、食が進む。気がつけば会話もせずに食べ尽くしていた。
まだ食べたいと胃が主張している。僕の体は燃費が悪く、大食らいなのでこの程度では満足できないのだ。
「そんな目をしなくても大丈夫。おかわり持ってくるから」
どんな目をしていたんだ? と思いながらも、母さんの提案は拒否できない。無言でお茶碗を差し出す。しばらくして、お茶碗に山盛りによそられた白米と、新しい焼き鯖が運ばれてきた。
小さく「いただきます」とつぶやいて、食事を再開する。
少し冷めているけど、味は変わらず。美味しい。僕はまた無言のまま箸を進める。味を堪能することに全神経を集中させているので、会話をする余裕がないのだ。
「雪久おじさんって、いっぱい食べるんだね」
「光輝は小食だったけど、雪久は二人前ぐらいペロリと食べちゃうわね。二人を足して二で割ればちょうど良いのにと、小さい頃からいつも思ってたわ」
明日以降も同じ味を堪能したい。レシピは教えてもらうとして、味を再現するには時間がかかりそうだ。
母さんは目分量で作ることが多いので、数値化されていない。材料だって同じにしなければいけない。作るまでの準備が大変なのだ。
「パパって、そんな風に思われていたんだ」
「あ、ごめんなさい」
鯖の焼き加減だって、料理経験の薄い僕には難問だ。
一発で成功するとも思えないし、悲しいけど実家の味とは、しばらくお別れか。
「謝らないで欲しいんです。私が知らないパパの話、もっと聞きたい……ダメですか?」
「そんなことないわ。ついでだから、雪久のことも一緒に教えてあげる」
食べ専だからといって、練習しなかった過去の僕を殴りつけたい気分だ。
もっと料理のことを勉強しておけば良かった。
「二人は仲が良かったんだけど、ケンカだっていっぱいしたわ」
「それは意外です。雪久おじさんは、いつもニコニコして優しいのに」
「それは鈴ちゃんに見栄を張っているだけよ。それでケンカした原因だけど、何だと思う?」
「うーん。雪久おじさんが、ご飯を全部食べちゃったとか?」
「それもあるけど、今回は違うわ。好きな女の子の取り合い。どう? 気にならない?」
偶然にも二人の会話が耳に入った。
ん? 母さん、今なんて言った?
あの事件は二人だけの秘密なのに、兄さんがバラしたのか!?
いや、そうじゃない! 勝手に話さないでよ!
「なります!」
鈴ちゃんを見ると、目を輝かせて続きを待っていた。
「そうよね。あ、先に言っておくと、両方ともフラれたから安心してね」
え、何でそこまで知っているの!?
母さんの情報収集能力に背筋が凍りつき、全身から汗が噴き出るほど、動揺している。
「まって! その話は止めてッ!」
テーブルに手を置き、勢いをつけて立ち上がった。
二人とも話を中断して僕を見てくれている。ちょっと安心した。
「もう、失恋話の一つや二つ、良いじゃない」
「良くないから言ってるんだよ。もっと面白い話題あるでしょ……」
「だって、そうでもしないと会話に参加しないでしょ?」
「うッ」
痛いところを突かれて、反論できなかった。
「これから二人で生活するんだから、食事中だからといって、鈴ちゃんに寂しい思いをさせちゃダメよ」
「……うん、わかった」
「なら、今回は許してあげる」
母さんの視線が僕から鈴ちゃんに変わった。
「鈴ちゃんごめんなさい。そういうことだから、別の話にしてもいい?」
「はい! でも、いつか聞かせてくださいね」
「雪久がいないときにね」
母さんは、ウインクをしながら答えた。
抗議をしようと口を開きかけて、でも止めた。鈴ちゃんが今まで見たことのない、嬉しそうな表情を浮かべていたからだ。
少女といえども女性だ。恋バナには興味津々なのだろう。とくに小さい離島では、その手の話は少ないだろうし、それで心が癒やされるのであれば、うん、我慢しよう。
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