第4話 引っ越し
会社の手続きが終わると、後は家のことだけだ。大家さんに電話をして引越しすることを伝えると、大掃除を始めた。
まず始めにしたことは、必要な荷物をダンボールにつめていく作業。パソコンやデスク、イスなどの仕事道具や布団等は最後まで出しておくことにして、本や来客用の食器、小物を紙に包んで入れていく。
一人暮らしをして一年も経たずに引っ越すとは思わなかったなぁ。少しだけ、お金がもったいないと思いはするけど、必要経費と割り切ろう。しばらくは節約生活になるけど、離島なら無駄なお金は使わないだろうし、丁度良いのかもしれない。少なくとも、無駄遣いはしないだろう。
棚に飾っていた写真立てを持つと、荷物を順調に入れていた手が止まる。
まだ小さな鈴ちゃんを両手で抱きかかえている兄さんと、控えめに微笑んでいる美佳義姉さんが写っている。二人の後ろには古びた一軒家があった。
兄さんたちが住んでいた家だ。僕もよくお泊まりさせてもらっていた。懐かしいな。庭には小さな鳥居があって、何かの神様を祀っていたっけ。お供え物は、お稲荷さんだから狐の神様だったのかな。いつか聞こうと思っていたら、その機会は永遠に失われてしまった。こんなことなら、美佳さんに聞いておけばよかったな。
他にも歩くとギシギシ鳴る廊下や今では見かけることの少ない襖、太く黒ずんだ大黒柱など、古きよき日本家屋って感じだった。目を閉じれば畳の匂いも思い出せる。
部屋が多いから、僕がとまりに行くと掃除を手伝わされたっけ。大変だったけど皆でやったから楽しかったな。鈴ちゃんと廊下の雑巾がけで競い合ったのは良い思い出だ。
やばっ、涙が出てきそうだ!
過去を振り返ると、どうしても涙腺が緩んじゃう。僕は鈴ちゃんの保護者になるんだから、こんなことで泣いたらダメだ。別のことを考えよう。
写真をダンボールの一番下にしまいこんでから、思考を切り替える。
これから離島に住むことになるんだよね。たぶん、気軽に買い物はできないだろうなぁ。そうだ! 足りないものをこっちで買い足しておこう。そうと決まれば母さんにメッセージを送らなきゃ。
『そっちで足りないものある? 引っ越すついでに買っておくよ』
『鈴ちゃんの服が足りません。あとは携帯電話が欲しいと言っていました』
母さんは文字で書くときは、なぜか丁寧な言葉を使うタイプだ。友達に聞いたら、俺の母親も同じだといっていたので、僕の親世代に多いのかもしれない。そんな下らないことを考えながら、文字を入力していく。
『服って、僕が勝手に買ってもいいの?』
『選んでもらいたいらしいです』
『鈴ちゃんの好みが知りたいんだけど』
『動きやすい服なら何でもいいらしいです。サイズは130が良さそうです』
『了解』
正直な話、母さんにはもう少しがんばって欲しかった。動きやすい服って選択肢が多すぎるでしょ! 同年代の女性の服を選ぶのでも難しいのに!
小学生の好みなんてまったく分からないけど、諦めるわけにはいかない。離島に行ってしまえば服を買う機会なんて、ほとんどないんだから東京にいる間に買えるものは買っておきたいと思う。
作業の手を止めてPCのキーボードをたたくと、ブンと、ファンが回る音が聞こえる。ディスプレイにデスクトップ画面が表示された。
「店舗で購入するのはハードルが高すぎるから、ECサイトに頼らせてもらうよっ!」
キーワードを入力しながら独り言をつぶやく。僕のちょっとした癖だ。職場では抑えているけど、家だと自然と出てしまう。
「小学生、女子、服っと」
検索結果には、おすすめ子供服ブランドが出てきた。いくつかクリックして確認してみたけど、おしゃれな服を着た小学生がずらっと並んでいる。やり過ぎとも言える大人びた格好は、東京でも浮いてしまいそうで、離島なら完全に違う世界の住人だ。
もう少し地域に溶け込めるような服装を選びたい。突出することを嫌う日本人的な感覚に嫌悪を感を抱くけど、鈴ちゃんが恥ずかしがったり、イジメの原因になりそうな要素は出来るだけ排除しておきたい。
僕は保守的な性格だなぁと思いながらも、再び検索を開始する。
適切なキーワードが思い浮かばないので、思いついた言葉を入力しては変えていく。時間をかけて知識を仕入れ、最適なキーワードが思いつくと、ようやく良さそうなショッピングサイトを発見した。ジーンズやTシャツをカートに入れて、タンクトップやキャミソール、スカート、レギンスも追加した。派手な柄物は選んでいない。服の色はモデルを見ながら決めていった。もちろん、下着は購入していない。変態だと思われたくないからね。
一通り商品を選び終わりショッピングサイトのカート画面を確認すると、合計金額がとんでもなく高くなっていた。
「やば、少し買いすぎたかな?」
一瞬後悔したけど、僕が贅沢しなければ十分支払える金額でもある。これは先行投資だと、なぞの理論で自らを説得させると、購入ボタンをクリックした。
女子の服を購入するという重要な一緒んを終えた僕は、再び荷造りを始めるのだった。
◆◆◆
二週間後、僕は再び鈴ちゃんが住む離島にある港に上陸していた。お通夜のときよりも気温が少し高く感じる。青い海に晴天の空、潮の香りと飛び交うカモメは、この前来たときと変わらない。時間が止まっているのではないかと錯覚してしまうほど変化が感じられない。
フェリーから一緒に降りた人たちは、どこかに行ってしまったので、今は僕一人だ。
「ふぅ」
小さなため息をつくと、大きなボストンバッグをコンクリートの地面に置き、腕で額の汗をぬぐった。手荷物以外は引越し業者にお願いして、すでに送ってあるので身軽だ。
ジリジリと肌を焼くほど日差しが強い。日陰に隠れたいところだけど、辺りは漁船ぐらいしかないので逃げ場がなかった。建物がなく見通しがいいので、景色は楽しめるんだけど、今はそれが少し辛い。
母さんから迎えに来ると連絡が来てたけど、いったいいつ来るんだろう。すでに我慢大会へと突入した僕は、周りの景色を見ることをやめて、携帯電話の画面をずっとにらんでいた。
「雪久おじさんー!」
人生で一番長く感じた五分後に、鈴ちゃんの声が聞こえた。
顔を上げると、手を振りながら駆け寄ってくる鈴ちゃんと、その後ろを歩く母さんの姿があった。
「お洋服ありがとう。似合っている……かな?」
僕の前に立ち、手を後ろに回し見上げた鈴ちゃんは、思いのほか破壊力が強かった。
白いTシャツにジーンズ生地の短いスカートと黒いレギンスを身につけ、黒いサンダルを履いている。少しだけ背伸びしたような服装は、彼女の美貌と合わさり目を奪われそうになった。僕はそっちの趣味はないというのに。
「驚くほど似合っているよ。早速、着てくれたんだね」
「沢山あってビックリした! ありがとう!」
パッと笑顔が咲いた鈴ちゃんは、僕の手を取ると引っ張るようにして歩き出した。
元気そうな姿にホッとしながら母さんが待っている場所まで移動する。
「待たせたわね。暑かったでしょ」
「少しだけね。荷物が無事に届いていたようでよかったよ」
「あんなに服を買っていたなんて思わなかったわ。見てわかると思うけど、鈴ちゃんすごく喜んでいたのよ」
「さっき本人から聞いたよ」
「あらあら」
母さんが鈴ちゃんの頭を優しくなでる。
「もー! 先に行ってるから!」
恥ずかしがったのか、手を払うと一人で先に行ってしまった。
僕と母さんがが取り残される。
「雪久」
「なに?」
「鈴ちゃん元気そうに見えるでしょ」
「うん。安心した」
「そう思うのは、まだ早いわよ。周囲に心配をかけないようにって、無理しているだけ。夜になると一人で泣いているの」
「そう、なんだ……」
表面だけを見て安心してしまったのは、浅はかな考えだった。
子供といえども、もう九歳。大人に気づかい、迷惑をかけまいと、無理して明るく振舞うことができる年齢ということなのか。女性は精神の成長が早いと聞いたことがあったけど、これほどなのかと、驚かずにはいられなかった。
「ちゃんと見てあげるのよ。あなたが保護者なんだから」
「うん」
何の覚悟もなく保護者になると言ったわけではなかった。けど、どうやら、その覚悟は甘かったみたい。母さんの言葉が僕に重くのしかかってくる。田川さんの言葉が僕を責め立てる。
これからの新生活は大変なことばかりだろう。僕は鈴ちゃんの支えになって、あげられるのだろうか。悲しみを癒すことはできるのだろうか。
それは誰もわからない疑問だ。だから、大人になって振り返ったときに、僕との生活が楽しかったなと思えるような時間を過ごして生きたいと、願わずにはいられなかった。
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