第2話 行き先
鈴ちゃんのつぶやきは、僕の心をひどく打ち付け、動揺が収まらない。
彼女は未成年で、保護者がいない。つまり、誰が養わなければいけないのだ。明日どうなってしまうかわからない。そんな状況であれば、大人だって不安で押しつぶされそうになる。子供ならなおさらだろう。
両親と祖父母を失う大きな悲しみと、生活の不安を同時に背負ってしまうなんて、神様がいるのであれば何とも酷なことをする。きっと、S気質で、性格は歪んでいるに違いない。
「で、あの娘はどうするんだ?」
頭部の中心が円形状に剥げている中年のおじさんが、面倒くさいとでも言わんばかりに、ため息交じりで話題を切り出した。あの人は、確か母さんの兄だったと思う。
この一言で、話題が鈴ちゃんに移っていく。
「うちは子供が二人もいるんだから、引き取れないわよ」
「俺は自分の生活費を稼ぐのでかつかつだ」
「もう少し若ければよかったんだけど、歳を取ると子育てが辛くてねぇ……」
「私は彼氏と同棲しているから無理」
「子供は嫌いだからなー。誰か引き取れよ」
鈴ちゃんがいるというのに、次々と身勝手な発言をする大人たち。
無意識のうちにギリッと奥歯をかみしめていた。
お前たちは鈴ちゃんと同じ状況になったとき、そんなこと言われて傷つかないのか! せめて場所を変えて話すべきだ!
衝動に駆られて提案しようとして立ち上がろうとすると、一人の中年男性が発言した。
お腹がぽっこりと出ている巨漢だが、たれ目の印象が強く優しそうに見える。わかりやすく例えるのであれば、実写のクマではなくデフォルメされたクマに近いだろう。親しみを覚えやすい外見をしている。
「男の一人暮らしですが、私が引き取りましょうか? こう見えて子供は好きなんですよ」
こんな人、いたか?
彼を見た最初の感想だ。
最初からいた来訪者には一通り挨拶したので、もし関係者だととしたら後から参加したのかもしれない。
周囲も戸惑いを隠せないようで、「この人、誰?」とざわめきだっている。僕だけならまだしも母さんや美佳義姉さんの親族まで、知っている人がいなさそうなのは、驚きではなく不信感が出てくる。
「ご挨拶が遅れてしまいました。私は、美佳さんのお父さんの弟の息子の……ちょっと遠い親戚の田川と申します。鈴さんお久しぶりですね」
中年の男性――田川さんの笑顔に対し鈴ちゃんは、わずかに顔は青白くなり、顔が引きつっている。近くにいる僕だからこそ気づけた、小さな、だけど確かな変化だ。
「え……は、はい。お久しぶり……です」
鈴ちゃんが知り合いだと返事すると、田川さんは一度だけ大きくうなずいて、周囲の親族を説得するために話し出した。
僕はその隙に、誰にも聞こえないように小声で尋ねる。
「鈴ちゃんは知っているの?」
「う、うん。お母さんの遠い親戚で、一度だけ会ったことがあるのは本当」
「その田川さんについて、気になることでもある?」
「……お母さんが言ってたの。あの人、子供が好きなんだって」
「本人もそう言ってたね」
「うん……」
煮え切らない反応。先ほどの泣きそうな顔を見ると、言葉通りに受け取っていいのか悩んでしまう。僕は一つ、軽く試してみることにした。
「でも、普通の好きではないよね? 僕には何かを企んでいるように見えた」
「え? 雪久おじさんはわかるの!?」
子供らしく直球な反応だ。将来、悪い男にだまされないか心配になるほどね。
ただ、これで確信を得たぞ。
言いずらいことだから口には出さないだけで、美佳義姉さんは鈴ちゃんに、幼女趣味の性癖を持っているから気を付けなさいと、それに近いことを伝えていたのだろう。
もしかしたら鈴ちゃん自身も視線や態度から薄々気づいているのかもしれない。
そんな相手に兄さんの大切な娘を預けてもいいのか? 一瞬想像しただけで、身の毛がよだつ。絶対にダメだろう。
僕の憶測が外れていたとしても安心できる材料は一切ない。両親が健在だった時には一度しか会ったことのない人に任せられる訳がない。
「何となくね。鈴ちゃんは、あの人と一緒に生活したい?」
「絶対に嫌!!」
服の袖を引っ張って必死に拒否する。
思った通りの反応だ。
「じゃぁ、僕とは?」
「雪久おじさん……と?」
この質問は予想していなかったのか、キョトンとした表情をしていた。美人はどんな表情をしても好感度をあげるなと、思考は脱線しながらも話を続ける。
「うん」
「迷惑かけるかもしれないよ? それでもいいの?」
こんなにも期待した目をして僕を見てくれている。
それがなんだか、幼い頃の僕に似ていて、ほっとけない。
「子供は、そんなこと気にしなくていい。どんと、頼りなよ」
「私、雪久おじさんと一緒が良い!」
祈り、助けを求める声に聞こえた。
僕はその声を無視はできない。そんなことをしたら、死んでしまった兄さんに顔向けができないから。
もしかしたら田川さんに預けるのが正解なのかもしれないけど……もう関係ない。
誰に預けようと僕は絶対に後悔すると、気づいてしまった。
これは僕たち二人の気持ちの問題なんだ。
お互いに一緒に住みたいと思っている。それが全て。だから鈴ちゃんへの提案は、兄さんが事故死したと、話を聞いたときから決まっていたのだろう。
「一緒に暮らそう」
細かいことを考える前に言葉が出ていた。
でも後悔はしていない。僕の一言で花が咲いたようにキレイな、今日初めて見る笑顔が、目の前にあるのだから。
立ち上がると、背筋を伸ばす。オドオドした姿は絶対に見せてはいけない。自信があると見えるように、胸をはってアゴをやや引く。
「そういうわけですから、僕が引き取らせてもらいます」
いつのまにか僕らの会話を聞いていた親族に宣言する。
「それでいいの? 母さんでも大丈夫よ」
「僕がそうしたいんだ」
「……雪久がそうしたいのなら、文句は言わないわ。私が驚いちゃうほど、光輝とは
仲が良かったもんね。うん、それが一番だと思う。でも、たまには会いにいってもいいでしょ?」
「もちろんだよ!」
母さんから了承を得て、家族内の意見はまとまった。
僕は二十代の若造かもしれないけど、正社員として働いていて経済的な不安はない。さらに本人も同意しているのだ。引き取るのを嫌がっていた親族から否定する声は上がらなかった。
一人を除いてね。
「雪……久君だったかね? 若すぎる。君が思うほど、子育ては甘くないぞ? 若い人ほど子育てを簡単だと思い込んでしまうから、私は不安で仕方がないよ」
ふん。やっぱり若さにつけ込んでくるか。
「僕も甘く見ているわけではありません。仲のよい同僚から子育ての話を聞いているので、ある程度は大変さは知っています。それを踏まえた上で、面倒を見ながら生活ができると判断したから立候補しました。ご存じですか? 子育には体力が必要なので、実は若い方が良いんですよ」
ここが正念場だ。負けるわけにはいかない。
小さな手を握りしめて気合いを入れ直す。
「……では、金はどうするんだ?」
「エンジニアとして正社員として働いています、今時のIT企業は初任給も高いのでも問題ありません」
この場では言わなかったけど、兄さんと美佳義姉さんが残してくれた最後のプレゼント――遺産もある。
鈴ちゃんのために使うのであれば、何も問題ないだろう。もちろん、勝手に使うつもりはないし、できれば成人してから自分で利用方法を考えて欲しいとは思っている。もしもの時が来ない限りは塩漬けだ。
「だが、君は東京に住んでいる。都会の生活は大変だろう。かわいそうだとは思わないか? 私は、田舎の方に住んでいるので、引っ越すにしても環境はあまり変わらない。鈴ちゃんの負担はこちらの方が少ないだろう」
僕と同じ呼び方をすることに、少しだけイラ着いてしまったけど、頭を振って思考を切り替える。
住む場所が変われば、鈴ちゃんにかかるストレスは大きいだろう。田川さんの指摘は正しい。でも、引っ越し先が都会、田舎で比較できるものではない。環境が変わることが問題なのだから。
「ねぇ、鈴ちゃん。正直に言って欲しいんだけど、引っ越すのと、この島で生活するの、どっちが良い?」
「ここに、いても良いの? そんな我が儘を言って良いの?」
「あぁ、大丈夫だ。僕と一緒ならね」
目線を合わせるためにしゃがみ込み、返事を辛抱強く待つ。
将来の生活をイメージしているのか、それとも言いにくいのかわからないけど、珍しく言葉に詰まっていた。
「…………引っ越したくない」
絞り出すように、かすれた声で、ハッキリと言い切った。
その一言に、どのぐらいの想いが詰め込まれているのだろうか。想像するだけで胸が痛くなる。
「私、お父さんとお母さんの思い出が詰まった家で生活したいのッ!!!」
「偉い。よく言えたね」
鈴ちゃんの頭を優しくなでると、田川さんの方を向く。
「お前……この島に住むつもりか?」
「ええ。その通りです」
「仕事はどうする? 辞めれば金がなくなる。一緒に住むなら東京に行くしかない! 子供の前だからって嘘は良くないぞ!」
「うちの職場はリモートワークが可能なんですよ。いやー。IT企業様々ですね。まさか出社しなくても働ける社会になるとは思いませんでした」
一部企業では浸透し始めた新しい働き方がリモートワークだ。パソコンさえあれば働けるIT系のエンジニアにとって、場所にこだわる必要はなく、通常の業務であれば音声通話やチャットの交流だけで十分なのだ。
田川さんは反論できずに黙り込んでしまった。
母さんを始めとした皆が、僕の味方だ。それが引き取りたくないという負の感情から来るものだとしても今なら許せる。
「話は決まったな。亡くなった三人も、雪久が育てるのであれば文句はないだろう」
お母さんの父。僕から見るとおじいちゃんが締めの一言を発すると、それが決定打となって話が終わり、周囲が騒がしくなる。
田川さんだけは混じることなく、一人こっそりと部屋から出て帰宅するのを、僕だけが見ていた。
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