第12話 誓い

 彼が私立清風高校に入学して間もない頃の話だ。

 四月は半ばを過ぎ、桜も散った黄昏前の放課後の空の下、校門前は帰宅する生徒で溢れていた。この後の予定を話し合うグループ、手を握り寄り添うカップル、バカ騒ぎをする男子達。皆はいずれも、晴々とした顔をしており、学校から解放されるために校門を通る。

 しかし、帰る意思を持つ生徒達とははぐれた、騒がしい二人組がいた。

 一人は女、アコースティックギターを持って弾き語りをしている。

 一人は男、タンバリンをもって拍子を取っている。

 二人はひどく目立っていた。滑稽な意味で。女は、ものすごく大きな声で英語の歌詞をたどたどしく歌い、ギターは時たまメロディーを崩し、音を外していた。男は、女の隣で一生懸命にタンバリンを叩いており、それはちょっとずれていた。男の首には紐で段ボール紙が下げられており、それには『バンドメンバー募集!!求む凄腕のドラマー!!』と赤と黒のマジックペンで書かれていた。その場に居合わせた生徒達は、普段自分達が聴く音楽とは似ても似つかない、ちぐはぐなその演奏を聴き、クスクス笑いながら、迷惑そうに顔をしかめながら、校門を通り過ぎていく。けれど女は、そんな評価などどこ吹く風と言った体で、ひたすらに自分の歌を届けようと必死に声を出して歌っている。その歌声は、しっかりと、聴く者の耳に入り込み、あらゆる部活動で賑わうグランドの喧騒に負けないほどであった。

 彼も帰宅する最中であった。けれど、彼は途中で足を止め、二人組の演奏に耳を傾ける。そして、拙い演奏ながらも興味をそそられた彼は、そちらに足を向けた。こちらに近づく存在に気付いた二人組は演奏を止め、片方の女が、彼に話しかける。

「何々!?もしかして、あたしらのバンドへの加入希望者?凄腕のドラム叩きなの!?」

 女は、初めて接触しに来てくれた彼に、テンションが高まり、矢継早に質問をぶつける。

「おい、紫弦。そんなにいきなり初対面の人にがっつくなよ。あと、この際ドラムの経験だとかは不問にして、興味持ってくれた人に加入してもらおうぜ。紫弦の条件じゃ、いつまで経ってもバンドなんて発足できないからさ。で、あなたは僕たちに興味を持ってくれて、バンドに加入するか検討してくれる方ってわけ?」

 男は女をたしなめた後、彼にその意思を聴き直す。

「まあ、そうなるのであろうか・・・」

「やった!!あんた名前は?あたしは音町紫弦。こっちのうるさい男が猪原悟志。よろしく!!」

 彼の煮え切らない返事にも、女は気分を良くしたようだ。

「俺は海原真だ」

「さっき、悟志は不問にするとか言ってたけど、これ大事な事!!ドラムは経験ある?」

「ちょっと待ってろ」

 彼はそう言うと、そこらにある物を集め出した。バケツ、空き缶、木の枝など。自分の鞄の中からも真新しい教科書の束や、空の弁当箱を取り出した。それから彼は、二人の横の地べたに腰を下ろし、それらを目の前に配置し始める。バケツは裏返しに置き、木の枝は地面に突き刺して空き缶の飲み口をそれに引っかける。その他の物も自分の周りに置いていく。そして、手を後ろにやり、ズボンの腰の部分に差してあるドラムスティックを取り出した彼は、前に置いたガラクタたちを叩いて、位置を微調整する。彼のこの動作に、二人はようやく、目の前にあるガラクタたちは即席のドラムセットなのだと気が付く。

「準備が出来た。演奏を始めよう。さっきの曲はSex HeadsのFliesか?」

「おう、そうだけど」

 彼の予想外の行動に驚き、黙って様子を見ていた女が、彼の質問に応じる。

「それじゃ、最初っからいくぞ。合図は俺が出す。音町と猪原・・・だったか。準備はいいか?」

 二人は言われるがままに頷く。やることは分かったが何が起きるのかは分かっていなかった。

「よし、いくぞ。1,2,3,4!!」

 彼がスティックを振り上げ、バケツを叩いた瞬間から、この未来のバンドの主導権は彼に握られた。文句なしに。

 彼の正確なリズムを道標に二人は演奏した。彼が加わったことにより、彼らの演奏はまとまり、聴こえる者を釘付けにするメロディーとなって、聴く者の身体を動かすビートを生んだ。

 足を止める者が増え、部活で学校に残っている者達も噂を聞きつけ校門に押し寄せた。こんな事態を想定していない校門は、膨大な人で溢れ、なんびとも校内への出入りが出来ぬ状態となり、機能を失った。駆けつけた教師たちに演奏を中断させられるまでこれは続いた。

 この日、一つのバンドが誕生し、数多となる伝説の最初を生んだ。



 中間テストが終わった時、海原真は確かな手応えを感じていた。これなら、赤点を取った揚句、放課後に該当する教科の補修を受け、満点を取れるまで再テストを行うという不毛なことをするはめにはなるまい、と思った。

 足枷を外され、解放された心地になった彼は、早速バンドの練習を再開するため、全てのテストが終わった、その瞬間に、バンドメンバーが皆登録しているグループラインへと「本日放課後、すぐに己の楽器を持ち、ナガサキ楽器に来たれ」とメッセージを送信した。彼は、自分が大丈夫だったから、音町も問題ないだろうと考えていた。猪原と鳴瀬は、あの勉強会の様子を鑑みるに、言わずもがな、心配は不要であろうと確信していた。

 彼女は自分と違って、少し準備をすれば、大概の事は難なくこなせる人間だと、彼は評価している。それが目に見えて分かるのが、今回のようなテストで、テスト前は二人ともどの教科に対しても同じ習熟度で、テストに向けて勉強を開始するのも、猪原を筆頭に行う勉強会が始まりであるにも関わらず、毎回彼女は、彼が足元にも及ばない程の高得点を叩きだすのだ。それは、普段から勉強している猪原には及ばないが、それでも僅差であることが多い。短時間でそこまで到達出来るというのは、やはり持って生まれた頭の出来の違いなのだろか。彼は勉強面において、二人には敵わないと認めていた。

 しかし、彼にも二人には負けないスキルを持っていた。

 

 それは音楽である。

 

 バンドDead Heatsにとって彼は一番の要であり、彼がいなければ、音町紫弦の人を引き付ける魅力も、猪原悟志の何にも惑わされない純粋な努力も、バンド界では全て土に埋もれ、日に浴びることはなかっただろう。

 音町のアコギ一本で創るメロディーや口ずさむ音を極上のバンドサウンドに仕上げるのは彼だ。やるからには努力を惜しまない猪原にアドバイスを与え、エレキベースとしての役割を全うさせてやるのも彼である。この二人は彼の音楽のスキルに対しては並々ならぬ敬意を表し、師と仰いでいた。

 彼の音楽スキルが抜きん出ているのには、理由がある。

 彼は幼い頃からドラムに興味を持ち、よく箸を持っては食器や鍋を並べて叩き、母親に怒られていた。彼は、自分は将来ドラムを叩いて飯を食っていくのだと心に決めていた。我が子の情熱に胸を打たれた両親は、彼が小学生に上がるタイミングで、家の一室に防音設備を施し、彼にドラムセットを買い与えた。親の後押しもあり、彼はどんどんドラムの腕を上げた。それに並行してロック、ジャズ、クラシック、あらゆる音楽の理論を独学で勉強し、いつからか、パソコンを使って曲が作れるようにもなっていった。彼のプロの音楽家になるという夢は、常に彼を、さらなる高みへと走らせた。

 一人で音楽に打ち込んできた彼に、転機が訪れたのは高校に入学して、約半月が経った頃である。

 一緒に音楽をしたいと思える人物達と出会ったのである。

 音町紫弦と猪原悟志である。

 彼らとセッションをしたことが彼に刺激をもたらした。これは演奏者としての経験値を溜めるためだ、と自分に言い聞かせた彼は、衝動的に、彼から見れば素人も同然の彼らとバンドを結成した。

 しかし、これは間違いではなかったと今なら言える。

 集まったメンバーの資質や頑張りもあり、バンドのレベルは当初に予想していたよりも高くなっていった。認知度が上がり、音楽に理解がある者達にも認められるようになった。けれど、彼が、二人と一緒にバンドを組んで良かったと思えるのは、それだけではない。二人は彼に、人と音楽を創る楽しさを与えてくれ、彼の音楽人生を豊かにしてくれたのだ。彼がこれまでの二年間の活動を振り返ってみれば、過去の自分を認められる今の自分がいる。

 彼は今、その集大成とも言える、二週間後に控えた最後のライブに熱い思いを向けていた。

 今の自分を形作った二人に報いるためにも、このバンドは有終の美を飾らなくてはならなかった。彼はその責任感に突き動かされている。次のライブが最後と決まった時から、その思いは変わらない。しかし、最近その気持ちに別の感情が芽生えていくのを彼は自覚していた。鳴瀬巴美。この人物と出会った時、音町と猪原の、いや、それ以上の衝動が彼に走った。それは巴美のギターを聴いて、さらに彼を貫いた。巴美のギターは、追い詰められた者が化けてしまった幽霊のような、悲哀さと情熱に彩られたものだった。彼でものけ反ってしまう程の凄みがあった。その日から、彼の頭の中に、常に鳴瀬巴美の影が潜んだ。実際に会えば、その影は彼の全てを覆い尽くし、自由な身動きを取れなくさせた。巴美の存在が気になり、意識せずにはいられなかった。こんな気持ちを人に抱いたことはなかった。彼は未だに、巴美のバンド加入へ賛成した、あの時の衝動が自分にとって、正解か間違いかが判断出来なかった。しかし、無意識の内に巴美を求めてしまう自分がいることは認めていた。そして、彼は巴美を救ってやりたいとも思った。巴美は苦しそうに見えた。人と話す時や、ギターを弾いている時、苦しそうな様子が、時折垣間見えるのだ。

 人に何かをしてあげたいと思うのは正解なんじゃないのか?

 彼はそう思った。次の最後のライブを成功させてやれば、巴美も自分のように、音楽を通して、人との精神的な結びつきを感じられて、それを心地よいと思える、新たな己を知ることが出来るかもしれない。自分が与えたいと思う救いに、幸福な気持ちをもって応えてくれるかもしれない。

 ごちゃごちゃあるが、自分の願いを叶えるためには、ライブを成功させれば良い。深く考えず、それだけを念頭におけばよいのだ、と彼は自分に言い聞かせる。

「ひとまずは、練習だ・・・」

 一人呟いた彼は、教室を後にする。

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