第2話

2.「何か」


 10時に待ち合わせのはずの場所には、30分も前に着いていた。楽しみにしていたというわけではなく、意図を図りかねて妙に眠りが浅かったためだ。

「浮かれるにも、磨れ過ぎたのかね、僕は」

 2,3年前だったら浮かれ切って天にも昇る気持ちを隠さず徹夜して服を選んでいただろう憧れの先輩からの誘いも、「何か」の糸が切れてしまっていた今ではその喜びを隠しきるほどの億劫さが、こちらはいつものくたびれたシャツとパンツに隠しきれもせず溢れていた。


 待ち合わせの10分前になると、先輩が遠くから手を振って姿を現した。レザーのジャケットに、黒いタイツと黒の若干ゴスがかったミニスカート。黒の編み上げブーツと全身黒みがかった出で立ちに、長い黒髪の上に乗る白のハットが浮かんでいるようにも見える。

「やあやあやあ、遅れてくると思っていたのに随分に早く着いているじゃあないか!ふふ、そんなに楽しみにしてくれていたのかい?女冥利に尽きるねえ、照れてしまうよ」

 天然で言っているようにも見えるし、或いは僕の空気を察してなおそれを覆してそう思わせようとしているようにも感じる物言いは、やはり高校の彼女から特有のもので、それはどこか特別な才能なのだろうと感じる。

 いつだってバンドの、そして部の中心に彼女はいた。率先して先導する先頭ではなく、離れて見守って支える立場を常は取っていたが、いざ諍いが起きるといつの間にか彼女は中心に居て、太陽のように他の天体を軌道に載せていた。あの世界は彼女がいたからこそ回っていたのだろうと今更ながら思う。意識していなければ、否、分かっていたとて「過度な否定も肯定もしにくい言葉」を選び続ける彼女の言動には大半が振り回され、円滑に回り続けるのだろう。

「何言ってんですか、腑抜けた僕を刺しに呼び出したんじゃないかと不安で眠れなかっただけですよ」

「あはは、照れ隠しとは磨れたようで可愛いところも沢山残っているみたいじゃないか!いや、うん、でも中々だね。半分正解だよ!腑抜けのキミに、抜けたならいっそ臓物引っこ抜いて新しくぶち込んでやろうと思ってな!」

 照れ隠しだと思ったのか喜んでケラケラ笑いながら大口を開けて喋る。言わんとしたことは分かったが、言葉選びが物騒だと思った。臓器移植も全部ぶっこ抜かれたら移植する前にくたばるんじゃあ無かろうか。

「何をぶち込まれるんでしょうかね。まあ、死なない程度にお願いしますよ」

 腹を擦りながら、本音の不安半分に受け流す。

「キミが死んだらボクは泣くぞ。ただでさえ先輩泣かせな後輩のくせに、これ以上ボクを泣かせるつもりか?」

「これ以上って、今まで特に泣いてはいないでしょう」

 これまで好くしてもらって音楽を辞めたことは悪いと思ってはいたが、触れずに何事もないように言う。

「バレたか。でもこれから泣かせていいってことでもないからな?肝に銘じとけよ?」

「はいはい」

 お互い、どこか気持ちの距離を保ったまま、先輩は僕の手を取った。柔らかい手に、少しだけ鼓動が早くなった。

「さ、行こうか。臓器移植とは言っても、男女二人で出掛けたらそれはデートさ。内容如何に関わらず楽しみたいじゃないか」

 早くなる鼓動に相反して、脳はお茶らけた雰囲気を浚いさっと冷静になる。


 それはきっと、心も通じていて、物理的な距離も無くなって、それでも無くならない、僕が切れてしまっている何かの糸で昔は繋がっていた距離なのだろう。


「そうですね、行きましょうか」


 僕はきっと「それ」を隠し切れていなくて、それでも隠すように彼女の手を握り返し街へと繰り出した。

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