第7話 よしよし
真っ白になったまな板の上で、葱を切る。切って、切って、切って、ほとんど切っているという意識がなくなるまで、切る。白かった部分が見えなくなるほど、板の上は人に優しい色へと変わっていく。切って、切って、切って……。切っていることを忘れるくらいまで、切って。切っているものの隙間から、優しい人の顔が見える。きっとあの人は、誰にでも優しくて、私を愛してもくれるだろう。切って、切って、切って、切っている作業が大きくなるに従って、私はだんだん小さくなって、ずっとサンタクロースを信じている。赤と白の衣装を着て、私が一言も触れていないのに、私のすべてを理解している。私の願いを何から何まで知っていて、賢明で屈強なトナカイをつれて、どんな遠いところからでも、どんなに激しい雨の夜の日でも、私の元へとやってくる。切っている、切っている、切っている……。もう、ブルーではない。継続は信頼を作ることができる。私はあの人の名を手の平に書いておく。あの人が見た目通りの人なら、優しくて、ずっと私を裏切らない。けれども、私の方が忘れてしまうかもしれない。私の好きが、私の中から逃げ出してしまうかもしれない。私は弱くなる。わたしはまたブルーになる。切って、切って、切って。ずっと切っているのは、あの人を見ておくため。あの人をつなぎ止めておくためかもしれない。切って、切って、切って、もうまな板の上は、緑いっぱいにあふれて、しばらくは食べることを心配する必要はなさそうだ。
手を止めると私はまだ私だった。
私は十分な量になった葱をタッパーに詰め込んだ。歩き出す。もう一つの私の日常。ブルーを引きずって、歩く。歩く度に、少しだけブルーが零れる。歩く、歩く、歩く。まな板の上で葱を切っていたのと同じように、今度は時間という色のない道をたどり、繰り返す動作の中に埋没していく。歩いて、歩いて、歩いて。私は自分を自分から持ち出す。一つ一つの動作は、ナイフをかざすよりも不安定で頼りない。歩いて、歩いて、歩いて、どこまでも、歩いているという意識が自分の中から消えていくまで、ずっと歩き続けて。ある、ない、ある、ない、ある、ない。交互に不安を前に押し出す。歩き始めた時から歩き続けることになっていた。いる、いない、いる、いない、いる、いない。常に不安が揺れ続けている。立ち止まれば落ち着くことができるだろうけれど、歩いて、歩いて、歩いて、雲の上まで上り詰めるほどに、歩いて。私はまだ不安と寄り添っていかなければならない。ブルーがここにある間。
好機を見るために、ずっと森を見ていた。今か今かと油断なくその時を待った。今は訪れなかった。ずっと今のままだった。今の今まで今だったのだ。多少の混乱は森をより鬱蒼としたものにした。見つめる内に森を見失った。迷子になって歩き続ける内に込み入った場所に来ていた。そこは誰かの頭の中で、本音がかくれんぼをして遊んでいた。僕もしたい。でも、僕は明らかに部外者だった。
開拓者の横にはフライドポテトが落ちていた。
「ショコラは?」
「ショコラは見つからなかった」
「探していたの?」
「ずっと探していた」
「逃げ出したかったんでしょう」
その時、犬が駆けてきた。
僕はしゃがみ込んで子犬を歓迎するように両手を広げた。
どこにも子犬の姿はなかった。カーテンが風に押されて、壁と遊んでいるのが見えた。
まな板の上には夜が降りていた。いつものように布巾をかける。さっさとみんな消えてくれ。力を込めてかけても、ショコラも犬も簡単には消えてくれなかった。おかしな夜だ。歩きすぎ、疲れ果てて、手にも力が入らなくなってしまったか。膨れ上がった雑念が見えない世界を見せているのかもしれない。消しても消してもそれはすぐに蘇ってくる。力は関係ない。私は自分のしていることがわからなくなっていく。消しているのか、かけているのか、塗っているのか、泣いているのか、稼いでいるのか、逃げているのか、ごまかしているのか……。
「よしよし」
相手にしているのが森や犬やショコラでなく、自身の中の不安だったなら。私には勝ち目はないのかもしれない。消しても、消しても、すぐに再現されてしまう、不安は私の存在そのものなのだから。私は不安。不安は私。私は不安の上を歩く。踏みつぶせば、瞬間私は安らぐ。一歩先には、新しい不安が浮き上がっている。私はそれを頼りにして、一歩前に進む。楽になるための一歩は、未来へ進むための一歩とも重なっている。
「よしよし」
まだ薄汚れたままのまな板に布巾をかけながら、私は歩いている。完全に拭いきることはできない。受け止めてしまえば、その方がいくらか楽だった。私の中で怒りは少しずつ許しへと変わっていたのかもしれない。
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