第4話 よい玉葱を

 葱の他にも切れるものがあった。例えて言うならそれは玉葱だった。玉葱はいつもあふれんばかりに箱の中に入っていた。時間の許す限り最良の玉葱を探すために、箱の中に無数の手が伸びていた。丸い玉葱、大きい玉葱、尖った玉葱、ひねくれたの、しょぼくれたの、色あせたの、抜きん出た玉葱、ふんわりとした玉葱、膨れた玉葱。一度手に触れてみる、引き取って、持ち上げて、眺めてみる。これかもしれない、でも違うかもしれない。悪くないかもしれない。でも、最良ではないかもしれない。妖しげなの、苦しげなの、尖ったの、しょんぼりとした玉葱、おどろおどろしい玉葱、良さげな玉葱、おどけたの、陽気なの、逞しいの。一つ一つに個性があって、長所もあって、短所もある。ついにこれだという玉葱を見つけて、持ち上げてみる。三秒見つめていると少し確信が揺らいでしまう。大きさ、色彩、性格、それぞれに、それぞれの。みんな同じだったら、どんなに楽かはわからない。一度箱に戻したそれを、すかさず別の者が取っていく。選べなかった者は、その決断に少し嫉妬しながら、再び箱の中に手を伸ばす。もっともっと、他にある、別にある、底の方には、まだ触れていない玉葱があるはずだ。選ばなかった者だけが選ぶ権利を持ち続けることができる。触れて、離れて、また触れて、飽きたらお手玉をして。触れて、離れて、日が暮れて、「ああどうも」、手が触れて、謝って、微笑んで、夜は濃くて、まだ一つも選べない人は、一つも選べなくて。夏が来て、太鼓の音がして、花火が打ち上がって、祭りが終わって、カレンダーが一枚めくれて、雨が降って、秋風が吹いて、一枚着込んで、「早いものですね」「ああ、早いものですね」十二月の足音が、また繰り返されて、だんだん早まって「よい玉葱を!」名残惜しんで、時を数えて。「おめでとう!」。色あせた箱の前で、若者は箱の前で歳を重ねて、少し焦って、少し後悔したりしながら、「雨ばかりですね」。終わりはあるのか、終わりはないのか、一通りの運動の後で、「もういいや」。通り雨のような決断をして。選ばれたものも、選ばれなかったものも、もういいでしょう。




 ああ、どうか僕の願いをきいてください。

 お星さま。

 虫が怖いです。

 何を言っても無駄なんです。虫と言ったら、僕の言うことなんてまるで理解しないんだから。言おうと言うまいと何も変わらないんです。だったらいっそ、何も言わない方がいいよね。黙ったままで、自分の胸の中で自分の中の理解者と共に言葉を育んだ方がましだよね。きっとそうでしょう。お星さまだってそう思うでしょう。虫の一つが、本当は怖いんじゃない。ねえ、お星さま。わかるでしょう?

 僕は虫がいっぱいいることが怖いんだ。だって、虫はいつもいっぱいいっぱいいるんだから。ちょうどいつかの満天の星みたいにね。いつだってそうなんです。そこにもそこにもそこにも、ああ全くなんて数だい! そいつは僕の知った数じゃない。学んだことのあるような数とは違うんです。その上、奴らは動いているんです! だったら余計に数えようがない。とらえようがないじゃないですか。僕は数え切れないものが、とても恐ろしいんです。お星さま。僕は自分が手にすることのできるものを手にしたいんです。どうか、どうか願いをきいてください。

「ぼく。それはお星さまなんかじゃない。ただのおかきだよ」

「ぼくって言わないで!」




 雑音のような落書きを、私はさっと拭き取る。慣れてくれば、そんな仕草も日常の中のささやかな動作の一つとして取り込まれていくのだ。だけど、どうして慣れねばならないのだ。本来、間違えているのは、奴らの方だろう。誤った行動に基づいてできた道筋が日々の暮らしの中に組み込まれて何の疑問もなく正常に機能し始めた時、何かがおかしくなっていく気がする。元が間違っているということを、いつか私自身が忘れてしまうのではないか。考えすぎてしまうのは、いつも少し疲れている時だ。

 汚れた言葉で、聖なる(彼らの酷い言葉がそう呼ばせてしまう)まな板を侮辱されるのは、もううんざりだった。



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