第2話 いたちごっこ
昼寝の後の教室は、すっかり恐竜の支配地域に変わっていた。
「この不気味な飲み物は何ですか?」
優しかった先生も、今ではすっかり別人のように僕の質問を無視した。無理もない。たかが人間と、栄華を極めた恐竜たちとでは、信頼の度合いが違いすぎる。
「この不気味な液体は何ですか?」
質問を微妙に変えてみる。根本に触れる勇気などない。返事はない。それもまた返事だと思える強さを持とう。
「この広大な建物は何ですか?」
「家電の中の一部です。百貨店にとっては別館に当たります」
広報に当たる細身の恐竜が答えてくれた。百貨店の広大さを思って、僕は絶望する。
「ぶどうがあるときいてきたのだが」
駆けつけたカブトムシがエントリーを終えた。予想に反して、彼が組み込まれたのはトーナメント表の中程だった。鍛えられた足腰はワイン作りのためだったが、一本の角を頼りに荒くれものたちと戦うことになった。
まな板の上が、子供の書いた落書きで汚されていた。悪ガキときたら、油断も隙もないものだ。機会があれば、いつでも大人を困らせるいたずらを仕掛けることを狙っているのだ。
見るには値しない、くだらない言葉の塊だ。
勿論、私は少しも見なかったし、さっと布巾を走らせて、忌まわしいすべてを消し去ってしまった。
お生憎様。
奴らのしたことは、まるで無駄になったというわけだ。
指が開いたので楽譜が開いた。奏でたのでピアノが鳴った。仲間がいないので独奏になった。間が空いたので曲が終わった。静かなので拍手を待った。待っていたので時間ができた。空いた時間に恋文を書いた。恋文を書いたので好きになった。好きになったので逃げたくなった。逃げ出したので不安になった。天を仰いだので月が上った。遠く見えたので電話をかけた。耳を澄ますと汽笛が鳴った。響いたので心を閉じた。動じないので椅子になった。篭っているので声がかかった。気がかりなので前に進んだ。前のめったので突き当たった。囲まれたので囚人になった。突き詰めたので罪が並んだ。ぶった切ったので散漫になった。傷ついたので名前が消えた。踏みつけられたので猫になった。駆け上ったので木が生えた。届かないので手を伸ばした。引っかかったので風が止んだ。驚いたので風船が割れた。穴が開いたのでハンカチが落ちた。泣かなかったので強くなった。強いというだけで追いつめられた。谷があったので落ちたくなった。希望を持ったので笑えなくなった。虫が集まったので光になった。汗が流れたのでビルになった。ビルを越えると山になった。山に登ったので下りたくなった。宝を見つけたので埋めたくなった。埋めているので犬になった。犬になったので愛された。愛されていると捨てたくなった。捨ててあるので拾いたくなった。拾われたので情が湧いた。信頼されたので裏切りたくなった。思うばかりで課題が増えた。集まったので数えたくなった。数えているので理屈になった。理屈が積もって退屈になった。逃げ出したので冗談になった。街の中では絵になった。絵になったので描きたくなった。絵になってみると心ができた。心を持つと寂しくなった。寂しくなると海辺に行った。海の前では小さくなった。糸を垂らしたので釣り人になった。人に呼ばれたので人になった。人になったので傘を持った。傘を振っていたので犬になった。吠えていたので空っぽになった。空っぽになったので満たされた。満たされたので欲が湧いた。手を出したのでお菓子が出た。好きだったので貪った。好きにしたので空っぽになった。空っぽになったので風が吹いた。風を招いたので転げていった。転げていくので体操選手になった。演じていたので床ができた。床の上には野菜ができた。青々としたので葱になった。手を握ったのでナイフを持った。振り下ろしたのでまな板が置かれた。まな板が広いので葱が載った。葱が見えたので葱を切った。葱を切ったので葱が増えた。葱が増えたので不安になった。不安を置いて葱を切った。切れないように葱を切った。葱を切ったので葱があふれた。
目玉ロボットが整列して警備についている。大きな目には何も映ってはいない。威嚇の効果を狙ってつけられた。怪しい人物が通ると目玉はさらに巨大化して、不気味な凄みを増す。先に迫ったサミットの影響もあり、厳重な警備態勢が敷かれていた。
「顔は鳥ですか?」
「はい。鳥です」
「では、あなたは鳥ですね」
「はい。私は鳥です」
厳しい質問に幾つも答えなければ、認められない。
「尾も鳥ですか?」
「はい。鳥です」
「では、あなたは鳥ですね」
「はい。私は鳥です」
「嘴も鳥ですか?」
「はい。鳥です」
「では、あなたは鳥ですね」
「はい。私は鳥です」
「翼も鳥ですか?」
「はい。鳥です」
「では、あなたは鳥ですね」
「はい。私は鳥です」
「歌も鳥ですか?」
「はい。鳥です」
「では、あなたは鳥ですね」
「はい。私は鳥です」
「では、ここで歌ってください」
「はい。私は鳥です。歌う鳥です」
「では、ここで歌ってください」
「はい。私は鳥です。歌う鳥です」
ゲートは激しく渋滞していた。
梅干認証システムにウイルスが入り込んだためだった。
腐った落書きをさっと拭き取る。言葉が洗剤なら、少しは何かの役にも立つけれど、少し布を汚して、少し私を不機嫌にするだけだった。悪ガキときたら、物の本来の使い方を知ろうとしない。むしろそれを知れば知るほど、それに刃向かおうとする愚か者である。私にできることと言えば、冷静にそれを本来のあるべき姿に戻してやるだけである。
まな板は、感謝の言葉を述べたりはしない。美しくなった白い顔を見ることができれば、私はそれで満足だ。
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