1-17

 最悪だ、と蒼介は思った。

 そういえば、十和子が水がどうとかって言っていたっけ。あのときは錯乱していたための戯言かと思ったが、今目の当たりにしてわかる。この、目立つ白い髪の女のことか。


 黒い水に呑まれ、流され、地面にぶつかり体が削れ。やっと水が引いてきた頃には、既に蒼介の体はズタズタだった。

 しかも、黒い水の中にいたときの苦しさが半端ではなかった。普通の水の中にいるのとは違う、一瞬で肺から酸素が抜けた感覚。あの中ではもって十秒ってところだろう。


 蒼介は誰かの家の塀に手を付き、なんとか立ち上がる。顔を上げるとそこには、ぞっとするほどに冷たい顔をした白髪の女が、何の感情もない目でこちらを見ていた。

 蒼介がちらりと後ろを見ると、同じく流されていた黄色い化け物が、はさみを杖代わりにして立ち上がっていた。

「グハっ……。間の悪い、ですね。こんなところで、やられるわけにはいかないんですよ……!」

 白髪の女は無言のまま、右手を軽く振った。すると、黒い水が蛇のように二本、細くうねり、蒼介と化け物に向けて勢いよく放たれる。蒼介は避ける余裕もなく、右の太ももに直撃を食らってしまった。

「くっあ……!」

「水だからと侮るなよ。使い方次第でダイヤモンドをも加工できる威力を持つ。貴様らの体など簡単に切断できる」

 直撃を受けた太ももは貫通しており、半分千切れかけている。逃げることすらままならない。


 とにかく、この白髪の女の攻撃を避けつつ、黄色い化け物を無力化しなければならない。出来なければ、十和子が死んでしまう。それだけは、何としても避けなければ。


 蒼介は、スタンガンを握りなおそうとして、気が付いた。無い。確か、最初使用したときに、付属のストラップをきちんと手首に着けていたはずだったが、お構いなしに流されてしまったようだ。


 そうしている間にも、白髪の女からの攻撃が二撃、三撃と続いている。負傷した足を引きずって何とかかすめる程度に抑えているが、いつまで続けられるか分からない。そもそも心臓や腹もきちんと治っていない。このままでは、黄色い化け物の相手をするどころではない。

「ぐ……ケラケラ。とんでもない人ですね。しかし、今は相手をしている場合ではないんですよ!」

 グニグニと同じく攻撃を避けている黄色い化け物がそういうと、あたりから仮面の人たちが多く現れた。皆一様にはさみを持って白髪の女に突撃していく。

 白髪の女は、突如現れた仮面の人々に対し、一切眉を動かすことなく機械のように処理していった。


 笑顔の仮面を張り付けたままの人々が、蒼介の目の前で命を散らしていく――。

「やめろ……やめろよぉ!!」

 蒼介は思わず叫んだ。やめろ、死ぬな、殺すな、誰であろうと、何であろうと、死なすようなことがあっていいはずがない。命は、たった一つしかないのに。人は、それぞれ代わりなどいない唯一の存在なのに!!


 蒼介の後ろで、不快な笑い声が響いた。

「ケラケラ。こちらへの攻撃の手が緩みましたね。では、私はやることがありますので」

 仮面の人々何人かに支えられた黄色い化け物が、その場をそそくさと去ろうとする。

「貴様ぁ!」

 蒼介は傷ついた体をフル回転させ、黄色い化け物の触手を摑む。後先の事など考えていない愚策であったが、それでも動かずにいられなかった。


 近くにいた仮面の人がはさみを閉じたまま鈍器のように振り回し、蒼介の頭をぶん殴った。衝撃に耐えかねて、触手から手を離してしまう。黄色い化け物はどこにそんな体力が残っていたのか、素早い動きで闇に消えた。

「おい、待て!!」

「ちっ。一匹逃がしたか」

 蒼介が後ろを振り返ると、倒れてピクリとも動かない仮面の人々の中央に、白髪を返り血で染めた女がやはり冷たい表情で立っていた。

 蒼介は慄きながら、ボロボロの腕をなんとかあげ、黄色い化け物が消えた方向を指差した。

「おい……。あいつを、早く止めないと……」

「当然殺す。貴様をつぶした後でな」

 白髪の女は逃げることもままならない蒼介にゆっくり近づき、言葉を続けた。

「貴様が何をしても死なない体であることは知っている。だが、色々と聞かなきゃならないこともあってな。貴様らが崇める神の所在とか」

「な、ん――。そんなことより……」

「あいにくと、貴様を縛り上げられるようなものも持っていなくてな。だからこの場で、出来る限りバラして刻んでひねりつぶしておかねば。私があの笑顔の化け物を倒しに行って帰ってきても、貴様に逃げられていないように」

 そう言って白髪の女は大きな黒い水の塊を作り、勢いよく蒼介に投げつけてきた。


 ああまずい。まずいまずいまずい! あの化け物間違いなく十和子を追う。こいつが化け物を追わないのなら、俺がここから逃げて十和子と合流しなければ、取り返しのつかないことになる! くっそ、何故だ、いつもより体の再生が遅く感じる。早く、早く、頼むから。時間がない!

 しかも、そうだ。俺は十和子に言えていない。


 学校の人間に気をつけろと伝えていない!!

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