1-16

 振り返った十和子の目の前で、はさみの切っ先が止まった。


 その先から、大量の血がしたたり落ちて、十和子の足元に水たまりを作っていく。

 あの、神を名乗る笑顔のゼリービーンズが振り下ろしたはさみは、十和子の前にギリギリで飛び出した蒼介の、その心臓と腹を易々と裂き、背中まで貫いていた。

「…………っ!!」

 息が止まる。心臓が早鐘を打っている。脳が目の前の事象を拒否する。

 けれども、時間が経てども現実は変わらなくて。十和子は蒼介の手を取れなかった後悔の念と共にそこに茫然とたたずむ以外に何もできない。


 誰も、何も動かない。ただ静寂だけが過ぎていく。

「ケタケタ…………、なんで」

 笑い声と共に、静寂を破ったのは黄色いゼリービーンズだった。十和子はその笑い声の中にほんの少し、怒気のようなものが混ざっているように感じた。

「なんであなたはまだ笑えていないんですかねぇぇぇぇぇえ!!! ありえない! 私が笑顔を作ってあげたというのに!! それを拒絶するとは!! 今までそんな人はいなかったというのに!! 笑顔がこの世で一番大切だとなぜわからない!!!」

 黄色いゼリービーンズは、蒼介に刺さったまま、はさみの刃を閉じた。バギグジュっと骨と肉がつぶれる音がする。

 そして、そのままゆっくりとはさみが引き抜かれた。栓を失った穴から。先ほどまでと比べ物にならない量の血があふれ出る。


 そして、蒼介はそのまま倒れ――、倒れなかった。明らかな致命傷を負っても、体から致死量の血を流しても。なおも足にきちんと力を入れ、少々ふらつきながらも意思をもって立っていた。


 蒼介は、道端に痰を吐き捨てるように血だまりを吐いた。そして、

「笑顔、笑顔ね……。馬鹿じゃねーの」

喋った。それは確かに蒼介の声で。蒼介の言葉で。いつも通りのちょっとぶっきらぼうな物言いで。


 十和子はその場から少し後ずさった。さっきはあまりの衝撃で脳が現実を受け入れられなかったが、今は違う。脳の理解がまるで追いつかない。何が起きているのか、皆目見当もつかない。

 蒼介はそんな十和子の様子に気が付いた様子もなく、持っていたスタンガンを握り直しながら、呟くように言った。

「笑っていようが、怒っていようが、そんなのどっちでもいいんだよ。それは、対して重要じゃない」

 蒼介はスタンガンのレバーを動かした。電圧が上がったようで、棒の先から電気がバチバチいっている。


 蒼介は黄色いゼリービーンズにスタンガンを向けた。

「分かれよ。この世で一番重要なのは、何より最優先しなきゃいけねーのは、当然命だろうが!! そんでもって、この世で一番唾棄すべき事柄は死ぬことなんだよ!! 勝手に人の命死なせておいて、エラそうな大義名分語ってんじゃねーぞ!! てめーが笑顔とやらのために人を死なすのなら、俺が絶対に止める!!」

「なるほど。……つまりあなたは誰の『信徒』なんです?」

「教えるかよ馬鹿が」

 蒼介は、まるで怪我など無いかのように、力強く踏み込んだ。そして、はさみとスタンガンが激しくぶつかり合う。

 十和子はその様子を、少し離れたところから眺めていた。逃げることも忘れ、恐怖も忘れ、疑問を思い浮かべることも忘れ、自分が今どこにいるかも忘れ。ただぼんやりとそこに立っていた。


 そんな十和子の腕を誰かが強く摑み、グイッと後ろに引っ張った。ひっと短い悲鳴を上げそうになる。仮面の人間が気付かぬうちに近づいていたのかと思ったからだ。だが、そこにいたのは、暗闇の中でもよく目立つ、長い白髪の少女だった。彼女は口の前に人差し指を立てて、十和子に喋らないよう指示してきた。

 そのまま、白髪の少女は十和子を近くの曲がり角まで連れて行った。十和子を角の陰に隠し、彼女は角から二人(?)の戦いを覗き見るような体制をとる。黄色いゼリービーンズも蒼介も、白髪の少女に気が付いた様子は無く、戦いを続けていた。

 白髪の少女は自分の後ろで膝を抱え震える十和子を見ることなく言った。

「貴様、大変だったな。あんな化け物二匹(・・)に絡まれるとは」

 化け物、二匹の化け物。一匹があの黄色いゼリービーンズなら、もう一匹は当然――。


十和子は震える声で聞いた。

「あ、あれは、一体……なに? あなたは、何か知っているの……?」

「貴様が知る必要はない」

 疑問はバッサリと切り捨てられた。だが、十和子も引き下がれなった。すがるように、白髪の少女の腕を摑んだ。

「そんな、分からないことだらけで、頭がおかしくなりそうなんです! 教えてください!」

 十和子をうっとおしく思ったのか、もしくは少し大きな声出した十和子を黙らせたかったのか。白髪の少女は十和子の腕を振りほどくと、ため息をつきながら言ってくれた。

「あれは……、そうだな。この世界におけるガン細胞のようなもの。存在してはいけない者。人類の敵。頭のおかしいクズ共」

「両方とも……ですか?」

「そうだ」

 白髪の少女は迷いなく頷き、言葉を続けた。

「だが安心しろ。ああいった化け物を排除することが私の役割。必ずあの二匹を潰し、貴様がもう化け物の陰に震えなくて済むようにしてやる」

 待って、と十和子が声をかける間もなく、白髪の少女は角から飛び出していった。そして、地面から大量の黒い水が現れたかと思うと、黄色いゼリービーンズも、蒼介も、そのままどこかへ押し流されていった。

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