1-12
十和子が夜の町を全力で駆けている時、蒼介は静かに思案していた。
十和子一人を逃がすことには成功したものの、今の自分にこの仮面の化け物を倒すのは厳しい。となれば、出来るのは十和子の安全が確保されるまでなんとか時間を稼ぐくらいだ。だが、それがいつになるかはわからないし、そもそもどうすれば安全を確保したことになるかもわかっていない。
そして相手との体格差がありすぎる。戦いにおいて、体が大きいこと、リーチがあることはそれだけで優位に立てる。二倍近い身長のある相手と戦うのは無謀というものだ。
それでなくても相手はどでかいはさみを持ち、こちらは素手だというのに。
「くっそ、ただでさえこういうことは苦手なんだよ」
蒼介は吐き捨てると、傍にあったローテーブルの上のフォークやナイフを摑み、壁に刺さったはさみを引き抜かんとしている触手に突き刺した。痛覚があるかは微妙なところだったが、慌てて触手を引っ込めたところを見るに、割と痛かったようだ。よし、無いよりかは幾分かましだ。
この神を名乗る化け物が言う事には、どうやら顔を引き裂くことを重要視しているらしい。つまり、はさみを失っている間こいつはここから動けないはずだ。蒼介にとって最悪の事態は化け物がはさみを置いて十和子の下へ向かう事だったが、壁に突き刺さったままのはさみを仮面越しに見つめている様子から、それはなさそうだ。
すなわち、蒼介ははさみを死守し続ければいいのだが、それが分かったところで戦いが楽になるわけではなかった。相手の武器であるはさみをこちらも使えればいいのだが、いかんせん大きすぎてそれも不可能だ。
何度か化け物がはさみや蒼介の方へ触手を伸ばしては、蒼介がそれ撃退する、ということが繰り返された。化け物といえども痛いのは嫌らしい。こちらに近づいてこようとはしなかった。
よし、このまま時間を浪費し続ければなんとかなるかもしれない。蒼介の目にほんの少し希望が宿ったときだった。化け物は少し考えるそぶりを見せた後、急に仮面の顔を蒼介の目と鼻の先にまでにぐいんと近づけた。
「なるほどなるほど。あなたも常に笑顔でいること拒否すると。なぜですかねぇ。不思議ですねぇ。笑顔はこんなにもすばらしいのに」
そういいながらケタケタ笑っている。
蒼介は気味が悪いと思いながら一歩下がり、出来る限りの力を使い仮面の額をグーで殴った。
「笑顔ね、そりゃ笑って過ごせんのはいいことなんだろうさ。けど」
急に殴られ少しのけぞった化け物に対し、持っていたナイフを仮面を叩き割るように突出し、ありったけの声で叫んだ。
「けど、その笑顔とやらは人を死なせてまで作るもんじゃねーだろうがよ!! 笑顔ってのは心が楽しいと自然になるもんだろ! 死んじまったら、心も無くなっちまうんだぞ! たとえ死に顔が笑っているように見えてもそれは笑顔では断じてねえよ!!!」
ああ、とてもイライラする。どんな御大層な大義名分があろうと人の命は奪ってはいけない。そんなこと、あたりまえじゃないか。
この神とかほざく化け物がどれほどの力を持っていようが関係ない。こいつは、俺にとっての、敵だ。
化け物は、笑顔を張り付けたまま、器用に体をのけぞらせてナイフを避けると、再びケタケタと笑い始めた。
「いやいや、笑顔は人間にとって絶対的に必要なもんなんです。ほら、いつも怒った顔をしている人よりは、笑った顔をした人の傍にいたいでしょ? 笑顔はそうやって人を呼び、喜びを呼び、幸せを呼ぶ。ね、あなたみたいに険しい顔をしてばかりだと不幸ばかりよびよせちゃいますよ?」
別に常日頃怒りっぱなしじゃねーよと、心の中で毒づきながら、蒼介は腰を深く落とし次の攻撃に備えた。
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