1-10

 十和子は今日以上に、陸上部であったことを感謝したことはなかった。自己ベスト並みの走りでコスモス荘までたどり着くことが出来た。道中に仮面の人間がいたかどうかは確認できなかったが、普段走ることになれていなければ捕まっていたかもしれない。


 一人で部屋にいる余裕などなかった十和子は隣の蒼介の部屋のドアをありったけの力で叩く。普段の生活リズムが謎な蒼介が部屋にいるかどうかは一種の賭けだったが、はたして蒼介はドアを開けてくれた。

「お、おま、一体どうした!!」

 全力ダッシュで息を切らし、喋れなくなっている十和子に対して、戸惑いながらも部屋に招き入れた。


 十和子は蒼介に誘導されるまま床の上に座った。蒼介は、水道からぬるめの水をコップに汲み、十和子に手渡した。

蒼介は十和子の背中をさすりながら言った。

「いいか、ゆっくり話せよ。何があった?」

 十和子は水を一気に飲み干した後、蒼介の体にしがみ付くようにして叫んだ。

「外に連続殺人の犯人っぽい人が!! はさみ持ってて仮面しててぶん回してきたと思ったら水がドバーッて!!!」

「おわっ、落ち着けってだから! 意味分かんねー」

「あ! そうだまだ外に一人女の子が残ってるんだった! は、早くしないと殺されちゃう!!!」

「こ、殺され……? つまり警察に連絡した方がいいってことか? お前、スマホは?」

「全部落とした!!!!」

「何やってんの!!?」


 蒼介は頭を抱えながらも、緊急事態であることは理解してくれたようだ。部屋のすみに充電コードに繋がれたまま転がっているスマホを拾い上げる。ダイヤル画面を開きながら十和子に言った。

「ともかく、外ではさみ持った奴が暴れているって警察に言えばいいのか。俺が言うから。場所さえ教えてくれれば……」

 蒼介が110番を押そうとしたとき、ガッシャァァっと唐突に窓ガラスが粉々に割れ、外からはさみが飛んできた。仮面の女性が持っていたものより二回りほど大きいそのはさみは、蒼介が持っていたスマホを粉砕しつつ板間に深々と突き刺さった。

「痛ってぇぇぇ! 何、何事!?」

 蒼介がスマホを持っていた左手を抑えながらぴょんぴょん跳ねている。手のひらが引き裂かれたようで、血がボタボタ垂れている。


 だが十和子が蒼介の怪我を気にかけたのはほんの一瞬だった。はさみが飛んできた窓の外、そこに明らかに人間ではない何かが佇んでいたからだ。

 3メートルはあろうかという黄色く巨大なゼリービーンズのような体、顔と思われる部分には先ほどの女性がしていた物と同じ大きな仮面が付いている。さらにそれより小さな仮面も、体のあちこちに張り付いていた。体の横からは太い触手のようなものが何本も生えている。


 まるで教科書に載っていた太陽の塔だ、と十和子は思った。それか、千と千○の神隠しに出てくるカ○ナシ。対面しているだけで頭が沸騰しそうになる。生命という括りでは推し量れない、自分とは違う次元の存在なんだという事を脳に直接叩きつけてくる。先ほどの女性と対峙した時とは違う、どうしようもない絶望というものを十和子は全身で感じ取っていた。


 恐怖に震える十和子に気付いた蒼介は、庇うように十和子の前に出て、黄色いゼリービーンズを睨み付け、低い声で言った。

「てめぇ、一体なんだ。つか、人ん家の窓ガラスぶち割ってんじゃねーよ」

 だが、ゼリービーンズは蒼介の事は歯牙にもかけず、顔、というか仮面をぐにゅんと十和子に近づけた。

「くぜ、とわこ……」

 ゼリービーンズはどこから出しているのか分からない、唸るような音で十和子に語りかけてきた。

「な、な、なんで、私の名前を」

 十和子が蒼介の背中にしがみ付きながらなんとか声を出すと、突然ゼリービーンズが俊敏な動きで触手と顔を空へ仰ぎ、大げさに嘆き始めた。

「おお……、おお! なんという事だ! この子は本当に笑っていない!! 笑顔がないなんて! 人生の大損失!! ああ……こちらまで心苦しくなってきた。これは、これは早急に笑顔になっていただけなければ!」

 触手で仮面を覆うようにして、小刻みに震えだしたゼリービーンズに十和子はついていけなくなった。ちらりと蒼介のほうを見ると、彼も茫然としている。

「おお、笑顔がない……。この空間には笑顔がない。なんという……ことだ。笑顔は全て勝る力を持っているというのに、この世の全ての問題を解決するというのに……!!」

 頭を抱え、その場で縮こまる3メートルのゼリービーンズを前に、先ほどとは違う意味で脳がショートしそうだった。とりあえず体の震えは大分収まってきた。

 このままでは埒が明かない。十和子は蒼介の背中から少し顔を出し、ゼリービーンズに質問をした。


「あの、あなたは誰ですか?」

 すると、ゼリービーンズは元気を取り戻したようで、再び全長3メートルくらいになりながら胸らへんを張った。

「なるほど、人間であれば知りたいと思うのは仕方なきこと。では教えてあげましょう。私は神です!!!!」

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