◆229. 将来 3/3


 一護いちごが手のひらを差し出してきた。一護の前に置いてあったクッキーの袋が乗っている。


「これも食べたいの?」


 なんとなくテーブルを見ていただけ。口に入れたクッキーを咀嚼そしゃくしながら、ううん、と首を振る。


「ふーん。そう?」


 一護が首をかしげると、ちょっと長めの前髪がサラッと片方の目を隠した。


 長い髪をバッサリと坊主頭にしてから、一年半。一護の今の髪型は、一加いちかの髪型にちょっと似ている。


 一加は、あれからずっと姫カットだ。眉が隠れる長さのぱっつん前髪。横の髪はあごくらい。後ろの髪は肩下十センチくらい。今のところ、髪型を変える気はないらしい。後ろの髪をもう少し伸ばすかどうかは悩んでいるけど。


 一護は、目にかかるくらいの長さの、ぱっつんではない前髪。横の髪は耳が隠れるくらい。後ろの髪は短い、ショートヘア。一加は分け目なしだが、一護は自然な横分け。


 どこがちょっと似ているかというと、横の髪。長さは違うが、幅や毛先の斜め具合がお揃いっぽくなっている。


「ショウ」


「なあに」


「口、ついてる」


 一護は、自分の口の端を人差し指でトントンとさし、にこっと微笑んだ。唇が弧を描いている。


「……ありがと」


 ササッと口もとを指で払う。


(も〜! 絶対、『キスしてくれたら、とってあげる』とか思ってた!)


 私の不注意で、一護にキスをしてしまった。でもそれで、一護のつらい過去を、その過去のせいで抱えてしまった悩みを、軽くすることができたようでよかった。


 ……よかった。そこまでは、よかった。


 そのあとが問題だ。


 一護は恋人探しをやめた。自然にまかせる、と。私の無欲説を信じたとのことだった。……が、もしかすると、興味が『恋人』から『キス』に移ったのかもしれない。


(探すのやめて、自然にまかせるのはいいよ。恋人よりキスに興味があるのも。……キスするなら恋人と……だけど、まあ、興味だけなら。頭の中でだけならね!)


 仕返しと何回かキスされた――クセになると言っていたあの日から、『キスしてくれたら、○○してあげる』などと、変なことを言うようになってしまった。そのとき、必ず人差し指で自分の口元をトントンとさす。


 言ってくるのは二人きりのときだけ。言うだけで、されそうになったことはない。キスをしなくても、○○はしてくれる。


(冗談なんだろうけど、ほかの女の子にやりだしたら……。かっこいいっていうか、きれいな顔してるし、結構な確率でキスできちゃいそう。いや、相手もしたいならいいんだけど。……でも、キスを引き合いに出すなんて……そんなのもう、たらしだよ! 大地だいち二号になっちゃう!)


 合意のもとするのであれば、私がとやかく言うのはおかしいのかもしれない――が、放置はできない。一護の将来が心配だ。キョウダイとして、友だちとして、注意はしていく。


(えっちな本も読んでるし。そういうお年頃ってのもあるんだろうけど……)


 慶次けいじに目を向ける。


 慶一けいいちもキスに興味津々だった。恋人が、キスが、としつこかった。当時は困ったが、思い返すと懐かしい。


(あのときの慶一様は十二歳か)


 最後に会ったのは慶一が学園に入学する前。十五歳のとき。もう二年以上会っていない。


(慶次くんも十三歳。そりゃ、えっちな本とか、えっちな話とかするよね。男の子ですから。男の子じゃなくたって、女の子だって興味あり――あっ!)


「お、お手洗い!」


 あわてて立ち上がると、一護に腕を掴まれた。


「さっき行ったばっかりでしょ」


「ちょ、放して。飲んだから、また行きたくなったの!」


「そんなこと言って……友だち作りに行こうとしてる?」


 一護は笑顔で首をかしげた。


「してな――ッ!」


 自分の声にハッとし、口を結ぶ。


「と、友だち作りは、私も自然にまかせることにしたって言ったでしょ。いいから、放して」


 声を落して、こそこそと訴えた。


「どうしたの? 急に……」


 一護の眉間にシワが寄った。


 友だち作り――本当は恋人作り――を頑張ることをやめたことは、一加も慶次も、しげるも知っている。なんでもない話なのに、声を落としたことを不審に思ったようだ。


「も〜、一護のバカッ! お手洗い! トイレだってば。れちゃうから、早くっ! 手っ!」


 小さな声で話しながら、距離を確かめようと、慶次の後方に目を向けた。


(あ。あ〜……)


 目が合ってしまった。


(しれっとこの場から離れようと思ったのに。……挨拶だけして立ち去ればいいか……)


「慶次様〜」

小清水こしみず様〜」


 慶次と一護は驚いたような顔を、一加は嫌そうな顔をした。でもそれは一瞬で、三人ともパッと笑顔に切り換わった。



(――『邪魔だからどっか行って』……って言われないだけマシなのか。言われたほうがマシなのか……)


 慶次はすぐに立ち上がって女の子二人組に応え、テーブルから離れようとしてくれた。でも、女の子二人組は給仕人に、自分たちの分の椅子を用意させ、テーブルについてしまった。……どうぞ、とも言っていないし、いいですか? とも聞かれていない。


 慶次の両隣に一人ずつ。等間隔に、と言いたいところだが、慶次はちょっと窮屈そうだ。


「雪がすごくて、世界がのみ込まれてしまうのではないかと思いました。わたくし、怖かったです」

「私も怖かったです」


 この二人組――彼女たちのことは知っていた。お茶会に出席するようになって五年。いまだに友だちはあれだが、顔のわかる人はそれなりに増えた。だいたいが慶次とよく一緒にいる人。なぜなら、その人、その人たちがいなくなったら慶次に声をかけようと、見ているから。彼女たちはそのだいたいに含まれる。


 慶次ファンの中でも、なんとなく目立つ二人。ただ、二人組で覚えているところもあるので、一人だけだと見逃すかもしれない。


(こんなに近くで、お茶をする日が来ようとは……)


 近くで――。一緒に、ではなく、近くで。


 同じテーブルについている。目の前にいる。でも、彼女たちの目に私は映っていない……と思われる。


 自己紹介をして以降、私は口を開いていない。


 一加と一護も、私と同じように、自分からは口を開いていない。が、ちょこちょこと会話に参加している。彼女たちに「一護さんは?」「一加さんは?」と、話を振られているから。


 どうやら私は、彼女たちのお眼鏡にかなわなかったようだ。


 慶次が紹介してくれたとき、自己紹介したとき、彼女たちに品定めをされたような気がしたが、気のせいではなかったらしい。たまたま話を振られていないだけで、被害妄想かもしれないけど。


(……まあ、ムリに会話に入ってもね……。喋って変なこと言っちゃうより、黙ってやり過ごしたほうが……)


「慶次様、将来は? なりたいものはありますか?」

「小清水様の将来、気になります!」


「僕は……」


 将来の話――。慶次が騎士を目指していることは、前に聞いたことがあるので知っているが、タイムリーな質問に、テーブルに落としていた視線を慶次に向けた。


 バチッ――と目が合う。


「僕は、騎士になるつもり」


「そうですよね! なれますよ!」

「かっこいいです」


「ありがとう。……でも、確実に兄が騎士なるだろうし。兄がなれば、家としては問題ないと思うから。もし、僕を必要としてくれる人がいるなら、その人に応えたいと思ってるよ」


 キャアキャアと興奮していた彼女たちがポカンとする。


「そうなんだ」


 と、口かられた。静かになったタイミングで。変に声が通ってしまった。


 全員の視線が私に集中する。


「え、えっと……。そ、そう……なんですね〜、騎士に〜、へえ〜」


 あわててカップを口に運ぶ。カップに口をつけたところで、中身がないことに気がついた。飲んだフリをして、立ち上がる。


「あの、少々失礼します」


 一加にこそっと、でもみんなにわかるように「お手洗い」と伝え、はや歩きでその場から離れた。



「……はあ」


 トイレから出て、少し離れたところで、立ち止まった。


(失敗しちゃった〜)


 慶次の答えに感心し、思わず素で反応してしまった。


(だって、まさか、騎士以外の答えが……。婿入りする覚悟もある、なんて言うとは思わなかったから。……養子、って意味かもしれないけど)


『必要としてくれる人に応えたい』とは、そういうことだと思う。


(……お婿さん、か……)


 数年前、私に婚約の話が来たとき。相手を慶次だと予想した。


(ほんとに慶次くんだったら……ピッタリだったんだなあ。お父様同士仲良しだし。次男だから、お婿に来てくれただろうし。騎士になりたいなら、騎士になってほしいけど。騎士以外にもなってくれるみたいだし)


「見た目よし、性格よし」


(慶次くん、結婚相手として最高なんじゃ……)


 ―― 一加、どうして?


 心から思う。


(…………いや、茂くんがダメってことじゃないよ。茂くんもいっぱい、いいところあるから。口は悪いけど。……慶次くんから茂くんに変わったから、そう思っただけで。茂くんもかっこいいからね。優しいとも思ってるよ。けっして、茂くんがダメって――)


「あっ! いた〜!」


「一加」


「ホントに行ったんだ?」


 一加はトイレのほうを見た。


「行ったよ。ちょっとふらふらして、どうしようか迷って、とりあえず行った、だけどね」


「やっぱり! 一緒に行くのに。置いてかないでよ」


「ごめん。……なんか、いたたまれなくて。とりあえずあそこから離れたくて」


「ホントッ! あの人たち、失礼だよね! 勝手に座って、仕切りだして!」


 一加は、私たちがいたテーブルのある方向に、鋭い視線を向けた。


「まあね。でも、黙ってるのはラクでよかったよ」


「……ね〜、ショウ」


 一加がギュッと私の腕に抱きついてきた。


「少し見てまわってから戻ろうよ。ワタシ、あそこにいるの飽きちゃった。だって、ずーっとあの二人が喋ってるんだもん!」


 嬉しい申し出。戻って、また笑顔を作るのも疲れる。それに、私たち――私が戻らないほうが、彼女たちも嬉しいだろう。


「いいね! 私もそうしたい。今日はまだクッキーしか食べてないし」


 一加と手をつないで会場内をぶらぶらした。花を眺めたり、お菓子を物色していくつか食べたり、存分に時間を潰した。


 テーブルに戻ると、彼女たちはいなくなっていた。そろそろお開きの時間。保護者のもとに戻ったとのことだった。

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