◆205. 迷子 1/8 ― 吹っ切れた


 何歳ですか? とたずねられたら、「十三歳です」と答える。


 体は、十三歳。

 心は、十三歳?


 記憶喪失みたいな前世の記憶でも、私の心を確実に大人へと成長させた――と思っていた。


 実はそれほど大人でもないのかもしれない。中途半端な記憶による成長。中途半端な成長をしていてもおかしくはない。

 それとも、最期の時点でも、こういう私だったのだろうか。


 どちらしても、どうしてこんなに未熟なのだろうか。



 黒羽くろはに厄介な人だと思われていることを、明るく前向きに乗り越えよう、円満解決を目指そう、と心に決めた。なのに、明るく前向きになれなかった。

 ふとした瞬間に、みなと瑛太えいたに言われたことを思いだし、黒羽に嫌われていることがつらくて寂しくて、涙がこぼれた。


 ずっと泣いていたわけではない。みんなと過ごしていると、楽しくて笑うこともできた。一人でいるときに考えてしまい、ダメだった。


 暗い気持ちは、悪い想像を浮かばせた。


 大地だいち隼人はやとは、黒羽の好きな人を知ってるのかな?

 までは、よかった。


 厄介な私に恋路を邪魔されてるって、友だちだけじゃなくて、二人にも相談してたらどうしよう! 嫌だ!

 とまで、思ってしまった。


 兄弟のようになってほしい、何かあれば二人に相談する仲になってほしい、と願っていたのに。

 二人が使用人を辞めても、黒羽が学園に行っても、仲良く会っていることを、手紙のやり取りをしていることを、嬉しく思っていたのに。


 黒羽の話を聞いて、二人はどう思う? なんて返す? 「そういえば……」って、私に対する不満談義をしてるかも。遠いのに、遊びに来て、だなんて、「厄介なお願い事だ」って言われてるかも。二人にも嫌われてて、三人とも私のことが嫌いだってわかって、「やっぱり、そうだよな」って笑ってるかも。二人ともそうは見えないけど、態度に出したりしないだけで、胸のうちはわからない――!


 悪いほう悪いほうに、想像はふくらんだ。


 が、この悪い想像、今はしていない。



 黒羽の帰省から二ヶ月弱経った九月の下旬。大地が遊びに来てくれた。


 大地は使用人を辞めて以降、毎年、夏に遊びに来てくれていたが、その記録が今年途切れた。まとまった休みが取れなかったそうだ。

 その代わりに、と仕事で近くまで来たついでに――言うほど近くなかったけど――、寄って泊まっていってくれた。


 私はタイミング悪く風邪をひいていた。

 みそぎの真似事のせいだ。


 余計なことを考えて、落ち込むたびに、水のようなお湯をかぶった。夏の暑い間は平気だったが、秋になり涼しくなったからか、熱を出して寝込んだ。


 その日は、ひいて三日後くらいで、だいぶよくなっていた。朝に熱を測ったときは、ほぼ平熱だった――のだが、大地が来たときには、少し上がってしまっていた。


 熱があったから、と思いたい。


 久しぶりに大地の前で号泣してしまった。


 黒羽の話をしつこくした、大地のせいでもある。


 大地とお喋りをしたら、隼人と黒羽の話題は絶対に出る。覚悟していた。

 うまく返せていたのに、それができなくなるくらい、黒羽の話ばかりするからいけない。


 ……違う、わかっている。大地のせいではない。しつこくはなかった。普通の範囲だった。


 ただ、あのときの私は、黒羽、と聞くたびに胸が痛んで、黒羽の話を振らないでほしい、もう終わりにしてほしい、なんとか違う話を、と思っていた。だから、しつこく感じてしまった。


 大地と黒羽は、ちょこちょこ会っている。そのときに、仕事のついでに湖月邸うちに寄った話を、たぶん――いや、絶対にする。


 私の話をしてほしくない。私の話なんて黒羽は聞きたくない。不快に思われてしまう。もっと嫌われてしまう。


 私が風邪をひいていたことは内緒にして――。


 話に出るのは仕方がない。せめて具体的なことは話してほしくなかった。


 黒羽だけではおかしいと思い、隼人にも言わないでほしいとお願いした。二人に心配をかけたくないから、ともっともらしい理由をつけた。


 お願いしながら、こらえきれなくて、涙がこぼれた。私の顔を見た大地は、内緒にすると約束してくれた。


「夏休み、遊びに来るの大変だったら、来なくてもいいからね」


 笑顔で伝えた。


 大地は、来たいから来ている、ここに来ると初心にかえることができるから自分のためでもある、と言ってくれた。


 よく泣く、と言う大地に、泣くのを我慢するなと言ったのは大地だ、と返すと、


「だったら変な顔してないで、泣けばいいだろ」


と、真面目な顔。


 大地にも、嫌われているなら、これ以上嫌われたくない。まだ嫌われていないなら、嫌われないようにしたい。

 そういう気持ちもあって出た言葉だったが、『自分自身のことを優先して』という話は、泣きながらする話ではないと思った。


 だから、笑顔を作った。

 だから、我慢していたのに。


 大地のこの言葉で崩れてしまった。


 変な顔――。

 ひどい、と少し気持ちが浮上した。


 泣けばいい――。

 甘えた。


 我慢するのをやめ、思いきり泣いた。


 大地と隼人は、私のことを嫌っていない。遊びに来るのを面倒くさいと思っていたとしても、それは移動が面倒なだけ。普通の面倒くさい。私に会いたくないからではない。

 自分で自分にそう言い聞かせても、なくならなかった不安が消えていた。


 大地本人が否定してくれたから。本人に否定してほしかったのだと思う。


 涙が止まると、大地がどこか遠くを見るように、私を見ていることに気がついた。「なに?」と尋ねると、私が三、四歳のころを思いだしていたと教えてくれた。

 ほとんど覚えていないが懐かしい話、と思い聞いていた――が、黒羽の名前が出てきて、また涙があふれた。


 すると、大地は私をお姫様抱っこして、グルグルしてくれた。「嬉しいだろ?」などと言って。


 さすが女たらし。本当に嬉しくなった。


「熱、あるんじゃないか?」と言われ、お姫様抱っこのまま、ひたいを合わせて測っていると、一加いちか一護いちごが部屋に入ってきた。

 ドアのほうから見ると、キスをしているように見えたようで、一加が「いやらしい」と怒った。誤解だなんだと大地が説明したが、「旦那様に報告します」と一加は部屋を飛び出した。大地は「待てっ」と追いかけた。


 大地が説明したのに、一加が、報告する、と出ていってしまったのは、私があおったからだ。


 部屋に入ってきた人に、キスをしていると勘違いされる――。

 数年前の小清水こしみず邸での一件と同じ。


 あの日、大地は、私の氣力きりょくれされるためにキスをするフリをして、私をからかった。父との稽古が仕返しになったといえばなったが、私からもしたい。


 大地の頬に、二回キスをした。元気が出たお礼、と。


 嘘をついて仕返しをしたわけではない。お礼の気持ちは本当だ。ただ二回目は、これをしたら、一加は父のところに行くか、行くフリをするだろうな、と思ったうえでした。

 大地だけでなく、私のことでもあるのだが、構わなかった。頬へのキスくらいなら、もうみんなに知られても平気だ。

 一加は、期待通りの行動をしてくれた。


 どうなるかな? と一護と待っていると、大地は一加をかついで戻ってきた。


 父への報告は失敗に終わった――


 が、私が狙ったのは、父への報告、父との稽古ではない。


 小清水邸での一件。私はあわてたのに、大地は平然としていた。だから、大地があわててくれたら、それでよかった。


 大地は、おおあわて。仕返しは大成功だった。


 十分満足していたのだが、結局父にも伝わった。


 夕食のときに、何を騒いでいたのかとてつに聞かれ、一加が答えた。「大地さんが、ショウをお姫様抱っこして、ほっぺにチューしてました!」と。


「嘘をつくなよ」と大地は怒ったが、嘘はついていない。大地も否定しながら、それに気がついた。


 大地が父をチラチラ見ながら流れを説明するなかで、私が泣いたことまでバレてしまった。これはちょっと考えていなかった。


 泣いた理由を説明した。黒羽のことは伏せ、大地に気を使わせているのではないかと申し訳なく思って、というふうに。

 説明していると、お姫様抱っこからの一連のやり取りを思いだし、可笑しくなってきて、声を上げて笑った。


 次の日、大地の迎えの馬車が来る前。


 大地は、私が一人で泣いていたことを律穂りつほから聞いて知ったらしく、そのことについて相談に乗ってくれようとした。


 律穂には、ベンチで泣いているときに、さんかい、「どうじまじだ?」と声をかけられていた。読んでいた本のせいにしたり、目にゴミが入ったことにしていたが、誤魔化していたのがバレていたらしい。


 黒羽に嫌われ、つらく寂しい気持ちは消えていない。消えることはないと思う。

 でも、抱えなくていい不安は消え去っていた。隼人のことは、大地が大丈夫なら、隼人も大丈夫と思えた。遊びに来てくれた順番が逆で、否定してくれたのが隼人でも、そう思えたと思う。


「大丈夫!」と返した。


 大地は、


「一加、一護、しげる、……慶次けいじもか。友だちがいる。忠勝ただかつさんもいる。徹さんたちもいる。近くの人に言いにくいときは、俺に隼人、黒羽もいる。誰かには相談できるだろ? ……悩むな、泣くな、とは言わない。ただ『長い時間一人で』は、やめてくれよ」


と、勇気づけてくれた。


 大地と隼人に嫌われていない。それどころか、こんなに想ってくれている。


 黒羽のことは、誰にも相談できない。それは変わっていない。でも、大地が来てくれる前とは、気持ちがだいぶ違っていた。


 私が不安に思っていたことを否定してくれた。それだけでも、心は軽くなっていた。

 そこから、さらに吹っ切れたのは、泣いている私をお姫様抱っこでグルグルして喜ばせようという考えに至る、女たらしの大地のおかげ。

 大地が私をお姫様抱っこをしたから、騒ぎが起きて、いっぱい笑うことができて、すごく楽しい気分になれた。


 気持ちを伝えたくて、たまらなくなった。


「大好き!」


 感謝も込めて、大地の胸に抱きついた。

 もちろん、一加と一護が、離れて、と怒ることも見越して。


 大地が帰ったあと、お父様に抱きついて、みんなに伝えた。


「お父様、大好き。大地も、隼人も、黒羽も、一加も、一護も、茂くんも大好き。徹さんも、理恵りえさんも、律穂さんも、小夜さよさんも、悠子ゆうこさんも大好き。みんな、みーんな、大好き」


 そう、みんな大好きだ。


 父は頭をなでて、応えてくれた。みんな、喜んで応えてくれた。ある一人を除いて。


 一加、一護とは、好き、の応酬になった。ある一人――茂にも、一加と一護に好きと言うごとに、「茂くんも好きだよ」と言い続けた。


「悩んだら、誰かに相談しろ」という大地の言葉を聞いて、去年、花火をしたときのことを思いだした。

 茂も「悩みがあるなら、相談しろよ」と言ってくれた。黒羽が手紙を出せなくなった理由、黒羽に目をそらされた理由を、ぐるぐると考えていた時期だった。うっかり訓練機を壊してしまったり、ボーッとしたりしていた私のことを心配し、かけてくれた言葉だった。


 茂の呆れ顔がどんどんひどくなっていったので、「私のこと好きじゃないの?」と、わざとらしく悲しそうに尋ねた。


「マジでうぜぇ。嫌いなやつなんかと、毎日遊んだりするかよ!」


 茂は怒った口調で言った。


 素直じゃないね、とみんなで笑った。

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