197. お礼 2/4(大地)
「ぶっ、ぐっ、やばい……。また……」
本棚の前に立ち、ぬいぐるみ――ブロックを手に取った。笑わないよう、こらえる。もう笑い過ぎて疲れてしまった。
(顔も何もない茶色のクッションに、しっかりと年齢入りのスカーフが。売り場にあったら、なんとも思わないけど。
イヌ、ゾウ、ネコ、キリン、イルカ、と五歳までは哺乳類だった。なぜか、六歳の時、突然イモムシになった。そこから、ホシ、キノコ、ヤドカリ。哺乳類をやめたのかと思っていたら、クマ。戻したのかと思っていたら、サカナ。去年はヒヨコだった。
(ホシにも顔ついてないけど、ブロックのほうがおもしろいな。イモムシは序の口だったか……)
ブロックを上下左右と眺めてから定位置に戻した。その際、机が目についた。
「……あれ? 写真はどうした?」
机の上にあるはずの、写真立てがない。
「広く使いたくて、しまっちゃった。見たい? 出す?」
「いや、いい」
「本棚の箱に入ってるから。見たかったら見てもいいよ」
「ああ。……これか」
箱を両手で持ち、本棚の上に置く。写真立てと思われるものを二つ取り出した。可愛らしい布で包まれている。
布を取ると、どちらも写真立てだった。写真だけでなく、写真立ても増えていた。
新しいほうの写真立てを手に取る。挟まっている写真の中に、水色の服を着た菖蒲と
今年の夏の写真だ。黒羽も持っている。
「おめかししてるな。黒羽の友だちが来たからか?」
「うん」
「……
「言い間違えてるよ。
「いや、風邪の話じゃなくて。黒羽の友だちが来るのを、一加と悠子さんが楽しみにしてるって、忠勝さんが言ってたんだよ。七月に」
「お父様が? 一加と悠子さん? え~? そうだったかな…………あっ。あ~、それはね、たぶん、そのおめかしのことだよ」
「おめかし?」
菖蒲は、黒羽が友だちを連れてくると決まったあと、何があったのかを教えてくれた。
(
「……楽しくてよかったな」
「うん!」と
「黒羽も喜んだろ? 可愛らしい服着て出迎えてもらって」
「う……うん」
うん、なのか、ううん、なのか微妙な返事だ。
「いまいち……なわけないよな? 黒羽は何着てても喜ぶだろうけど、普段着より喜んだろ?」
「……新しい服ですねって。その写真の服以外も、いつも選ばない服ですね、って褒めてくれた」
うつむき、元気のない声で答えた。
「どうした? 気分が悪いのか?」
菖蒲は、ハッとしたように顔を上げ、首を横に振った。
「大丈夫!」
「ホントか? ならいいんだけどな。無理しないで、言えよ。腕のことでも心配してたからな。こんな風邪ひいて。あの二人、また心配するぞ」
「そうだね! 早く治すよ!」
「そうしろ」
写真立てをしまうために、布を手に取る。
「……ねえ、大地」
包みながら、「んー?」と返す。
「私が風邪ひいたこと、黒羽に会ったら言う? 言わないでほしいんだけど。黒羽には……隼人にも言わないで。すぐ治すから。心配かけたくないの」
「……言わないわけには……」
黒羽に、菖蒲の様子を報告しろ、と言われている。
特になし、と報告して、役立たずだなんだと言われて終わるだろうと思っていたが、ちょうど風邪をひいていた。
(報告することがあってよかったよ。具合の悪い菖蒲には、悪いけどな)
「言わないで。内緒にして」
ティッシュを一枚二枚と箱から抜く音がする。
「なんで? 別に風邪ひいたくらい、言ってもいいだろ?」
写真立てを箱に入れ、棚に置いた。ベッド横に戻り、椅子に腰を下ろす。
「……わかった、言わない。隼人と黒羽には黙っててやる。――だから、泣くな」
菖蒲はティッシュで涙を拭いている。
「本当に言わない?」
「ああ。風呂で水かぶってて、ひいたんだもんな。マヌケで恥ずかしいよな」
「マヌケって……ひどい。……でも、ありがとう。絶対に言わないでね」
「わかったよ。……ところで、悪霊退散ってなんだ?」
「一加に聞いたの? それは〜、なんとなく。雰囲気? 修行っぽいから?」
「やっぱり、マヌケだな」と言うと、「マヌケじゃない」と口を尖らせた。
「……ねえ、大地。私は……みんなも、嬉しいと思ってるけど……。夏休み、遊びに来るの大変だったら、来なくてもいいからね」
菖蒲はそう言って、ヘラッと笑った。
「……突然、どうした?」
「大変だろうなって思ったの。往復するだけで、三日みないといけないし。……せっかくの長いお休み、毎年ここで過ごすっていうのも……。自分の好きなこと、したいときだってあるでしょ? そっちを優先してほしい」
「……誰かに何か言われたのか?」
「言われてないよ。……そう思ったから……」
「じゃあ、なんでまた泣くんだよ」
菖蒲の頬を涙が伝っている。
「……だ、大地が無理してたら、嫌だなって。うぅ……」
「無理なんかしてない。来たいから来てるに決まってるだろ。みんなの顔、見たいしな。それに、ここに来ると……なんていうか……、初心に返れるんだよ」
「……そうなの?」
「ああ。俺のためでもある。……だいたい、今年の夏は来なかっただろ?」
「そう……だけど……。で、でも、今日……秋だけど来てくれたし」
「仕事で近くまで来たから寄ったけど、仕事がなかったら来てない」
「近くって。お父様に場所聞いたけど、そんなに近くなかったよ。ふらっと立ち寄る距離じゃないよ」
「王都よりは、だいぶ近いだろ」
「うぅ……、それはそうだけど〜……」
「本当によく泣くよな」
「大地が我慢するなって言ったから」
「だったら変な顔してないで、泣けばいいだろ」
笑顔を歪ませ、涙をこぼしている。
「変な顔ってひどい! うっ、大地のバカ〜。うぅ〜、ひどい、バカ大地〜。女たらし〜、う〜」
「バカって。女たらしは関係ないな。……ひどいのは、お互い様だな」
菖蒲は我慢するのをやめ、手に持っていた丸めたティッシュに、さらに新しいティッシュを追加し、目にあてて泣き始めた。
「……はーっ」
ひとしきり泣いて落ち着いたのか、手を
「なにが?」
「なんか見てるから」
「目の前にいるからな」
「そうじゃなくて!」
「……昔を思いだしてた」
「昔?」
「よく泣いてたなって」
「……大地が使用人辞めちゃうって?」
「いや、もっと前」
最近、
毎日、一回以上泣いていた。忠勝さんを見ては声を上げて泣き、
起きている菖蒲に忠勝さんが近づかなくなり、隼人が来て、徹さん、理恵さんが別邸に来なくなった。それでも、ふとした時にすみれさんを恋しがって泣いた。
「もっと前って?」
「菖蒲が三、四歳の頃。お母様はどこ? ってよく泣いてたろ」
「泣いてたのは覚えてるけど。なんとなく?」
(なんで徹さんたちと別々に住む必要があるのかと思ったけど……。菖蒲のためじゃなくて忠勝さんのため……だったのかもな)
「……菖蒲が泣くと……」
(忠勝さんつらそうだったし。……徹さんたちが忠勝さんの別邸に残るって案を受け入れたのは、忠勝さんが潰れないように――)
「私が泣くと?」
「あ、ああ。菖蒲が泣くと、黒羽の出番。菖蒲の顔を拭いてやるのは、黒羽の仕事だったなって」
「そ、そう。それは、ちょっと覚えてない……かな?」
「隼人は構いたがってたのに、黒羽の後ろに隠れてて出てこなかったろ?」
「……覚えてない……」
「菖蒲が黒羽にベッタリなのかと思ってたけど。今思えば、どっちがどっちにベッタリだったのか微妙……いや、どっちもだったんだな。…………なんでまた泣くんだよ」
「だ、だって、大地が……えっと……、覚えてない話するから!」
「……なんだよ、その理由は」
「う〜、うう〜」
「……は〜、ったく。しょうがないな」
椅子から立ち上がった。
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