194. 〔181-190〕 4/5 ― 好きな人の証(文博)


(うう……。体が……、筋肉痛が……)


 昨日、円境湖えんきょうこへ遊びに行ってきた。


 休憩場所で、ゆっくり本でも読んでいようと思っていた。それなのに、「円境湖に来たかったんだろ」と中川内なかがわうちに引きずられ、体力のある剣術部三人に交じって、いろいろとやらされた。

 おかげで昨夜は、夕飯のあとすぐに眠ってしまった。


(中川内と沢見さわみに、探りを入れようと思ってたのに。……黒羽くろはの表情……気づいてくれたかな?)


 円境湖に行ってみたい、と言ったのは、この卒業旅行に参加するための方便だったが、まるきり嘘ではない。

 円境湖周辺は観光地。学園や地元よりも涼しい避暑地でもある。いつか行ってみたい場所の一つだった。


 楽しみにしていた。泳いだりできなくてもいい。風景を眺めるだけでも十分。むしろ、豊かな自然に囲まれ、美しい湖を眺めることができたら、それよかった。


 遊泳可能だから円境湖に来たかったわけではない。遊泳可能な湖に行きたいイコール、体を動かしたいわけではない。

 そう説明しても、中川内には伝わらなかった。


 沢見は「二対二ができるから」と中川内の味方。「戦力にならない」と訴えても、「気にしないよ」と聞き入れない。


 黒羽は「あきらめましょう」と微笑んで――口元を押さえて笑っていた。


(こっちは、黒羽のために動いてるっていうのに……)


 はっ、と息を吐く。腕や脚に痛みが走った。思わず、うっ、と声が出た。


(何を言ってるんだか。押しつけがましい。僕がやりたくて、やってるだけ。……ただの野次馬根性)


 僕がこの卒業旅行に参加したかった理由。それは、黒羽のお嬢様、だ。お嬢様に会ってみたかった。


 お嬢様の写真を見せてほしい、と黒羽に頼んだことがある。

 カメラは持ってきているが、写真は湖月こげつ邸に置いてきた、と見せてもらえなかった。手元にないというで断られた――と思っている。

 帰省した時に取ってきて、と食い下がったが、その話自体なかったことにされた。


 お嬢様に関する質問をすると、五つ年下、ゆるい天然パーマ、身長はこれくらい、など一応答えてもらえる。ただし、内面については、普通、で終わり。


 隠されると知りたくなる。深刻そうな問題――黒ジャージとの喧嘩の内容など――を無理やり暴きたいとは思わないが、これは違う。

 しかも、あれだけモテる黒羽の想い人。『黒羽』という本をのぞいたときに、知っておくと、よりおもしろくなりそうな存在。早めに会える機会があるのなら、会っておきたい。


 そんな軽い気持ちだった。


(まあ、今も軽い気持ちに違いはないんだけど……)


 中川内と沢見から聞いた、黒羽の好きな人に関する情報。そして、それに対する二人の計画には驚いた。が、それもまた一興。

 誰の予想が当たっていてもいなくても、計画が成功してもしなくても構わない。お嬢様に会えれば満足。黒羽たちの卒業旅行に参加できさえすればいい――と思っていた。


 中川内と沢見がお嬢様の話をしているのを聞いたのは、卒業旅行に交ぜてと頼んだ時も含め、三、四回くらいだが、二人は熱くなり過ぎているように見えた。

 二人の予想が全て当たっているにしても、もう少し落ち着いたほうがよいのではないかと、はたから見ていて感じた。


 参加条件を欠くうえに、余計なお世話だと自分でも思った。でも、なんとなく、放っておくことができなくて、二人の計画に少しだけ首を突っ込むと決め、口を出した。



「罰ゲームありがいいと思う人~」


 お嬢様の声が近づいてくる。はーい、と何人かの声が重なって聞こえてきた。


(罰ゲーム? そういえば、よく勝負してるって、きのうの朝か夜に言ってたな。……ちょうどいい。交ぜてもらおう)


 鉢合わせをよそおおうと待っていたが、お嬢様たちは僕のいるほうとは違うほうに行ってしまった。


「お嬢様」と後ろから呼び止めた。



(――ない……。そんなはずは……)


 お嬢様たちに交じって、ババ抜きを楽しんだ。実に有意義な時間だった。

 自然に事を進めることができた。知りたかったことを知ることもできた。


 黒羽が卒業旅行の件で湖月邸に電話をかけたのは六月の頭。やはり、あの日はお嬢様の誕生日だった。

「お誕生日おめでとうございます」と、ふわりと笑ったあの表情。あれはお嬢様に向けられたものだった。


 ほぼ確定。あとは本棚にある『あかし』を押さえて終わり――のはずだった。


 ババ抜き中には、あえて聞かなかった。『最近どんな本を読んだか』という質問は、口にしたあと、もしかしたら証が出てしまうかもしれない、と思ったが大丈夫だった。

 聞いてしまっても問題はなかったが、どうせなら、お嬢様の本棚を拝見しながら、目で確認したかった。


(『超絶コミュ症シリーズ』、揃ってる。……ほかにも、黒羽が読んだって言ってた本がほとんどある)


 僕が一抜け、お嬢様がビリ。罰ゲームとして本棚を見せてほしいと頼み、お嬢様の部屋に連れてきてもらった。


 順位はたまたまだ。最初から、時間になったらそう頼んで、お嬢様だけ連れ出すつもりだった。

 そのために、雑談のなかで、本が好きだ、本棚を見るのが好きだ、と前フリ――好きなのは本当――しておいた。


(僕が黒羽に薦めた本も、ほとんど揃ってる。……なのに、なんで……)


(なんで、恋愛小説だけがない!?)


 黒羽が好きな人に教えてあげるために、僕にいた女の子に人気のある恋愛小説。

 黒羽の好きな人が持っているはずの恋愛小説。


 これまでに、黒羽に薦めた恋愛小説は六冊。

 一冊も見当たらない。


 僕の思惑が崩れていく。


 中川内と沢見が、お嬢様のことを厄介な人だと判断しているのは、『黒羽がそう言ったから』なのだが、よくよく聞いてみると、言ってはいない。

 誰なんだ? と名前を挙げていき、黒羽が反応を示したのがお嬢様だった、という話だった。


 ただし、黒羽の好きな人はお嬢様ではない、と二人が判断している理由。好きな人は。これは、黒羽がはっきりと口にしたそうだ。


 二人が僕に嘘をつく理由はない――と思うし、二人が僕に嘘をついているとも思っていない。

 それなのに、僕は二人の言っていることが信じられなかった。


 第四図書館で、お嬢様宛の手紙を書いたり、お嬢様からの手紙を読む黒羽が、あの日お嬢様からの手紙を握りしめていた黒羽がチラつく。

 黒羽の好きな人は学園にいると聞いても、黒羽が恋愛小説を教えてあげたい、教えてあげている女の子はお嬢様、という考えが捨てきれなかった。


 中川内と沢見も同じだろう。僕が見て聞いて思ったことを、僕の口から説明しても納得しない――できないはずだ。


 でも、お嬢様が僕オススメの恋愛小説を実際に持っていると知れば、少しは熱が冷めるのではないか。好きな人とまではいかなくても、少なくとも厄介な人ではないと考えを改めるのではないか、と思った。


 湖月邸に来て、黒羽のお嬢様に向ける表情――まなざしを見てからは、『このまなざしと証があれば、二人は僕と同じ予想に至るかもしれない』とまで期待していた。



「……部屋をもう一度探したほうがいいんじゃないですか?」


 ガラガラと、道場の扉が開く。


「部屋はこれから一晩中探せるし。なんか、ここで落としたような気がするんだよね。落とした音がしたような?」


 夕飯後、寮の鍵をなくした、探すのを手伝ってほしい、と黒羽に頼んだ。

 最低三十分、僕の探し物に付き合ってもらう。


 僕が中川内と沢見に提案した三日目の計画はこうだ。

 黒羽たちが剣術の稽古をしている最中に、僕がお嬢様との約束を取りつける。中川内と沢見がお嬢様と話をしている間、二人が部屋にいないことがバレないよう、僕が黒羽を部屋から遠ざけておく。


 黒羽を隔離しておく場所として、最初から道場に目をつけていた。

 鍵を落としたことにするために――見つけられても困るので、鍵はカバンに入っている――、稽古の終わりかけに訪れた。

 終わりかけにしたのは、ここにはない、と言い切られても、ゆっくり見学できなかったから――見る所はほとんどないが――、と時間を引き延ばすためだ。


(……お嬢様に嫌われちゃったかな)


 お嬢様は顔を赤くし、あわてた様子で僕の呼び出しに応じてくれた。勘違いさせていることには気づいたが、訂正しなかった。そういうことではないと否定したところで、本当のことは言えない。


(今頃……)


「……黒羽」


「なんですか?」


「お嬢様と喋っちゃった」


 ババ抜きをした。隠すことは不可能なので、事後報告だがしておく。

 中川内たちにも、お嬢様との待ち合わせ場所と時間を伝えた時に、呼び出したこと、中川内たちのことは伏せておくが、一緒に遊んだこと、僕のことは話すと言っておいた。


「……いつですか?」


 道場の壁に沿って鍵を探してくれている黒羽は、僕のほうを見ることなく言った。


「稽古してる時。聞いてない?」


「聞いてないです。話す時間もありませんでしたし。……私を通してくださいって言いましたよね?」


 淡々としているが、いつもより声が低い。


「まあまあ。お嬢様一人とじゃないよ。一護いちごくんとも、一加いちかさんとも、しげるくんとも喋ったよ。廊下で、ゲームの話をしてるところに出くわしてさ。交ぜてもらったんだよ」


「ああ、なるほど。……第四図書館の話ってしました?」


「図書館がいっぱいあるって話はしたけど」


「第四のうわさは?」


「それは、してない」


「そうですか。菖蒲あやめ様は怖がりなので、その話は絶対にしないでくださいね……」


「黒羽のさ、好きな人ってお嬢様でしょ?」


 黒羽はゆっくりと僕に顔を向けた。


(恋愛小説はなかった……けど、これで黒羽が、そうです、って言ってくれたら。今からでも――)


「違います」


 黒羽はにこっと微笑んだ。


「……好きな女の子だから、僕たちに話しかけてほしくないんじゃないの?」


「人見知りだからですよ。菖蒲様に負担をかけるのは申し訳ないですから」


「……本当に違う?」


「ええ、違いますよ」


「本当に? お嬢様のことが好きなんじゃないの?」


「……なんでですか? まさか、菖蒲様のことが気になりますか? ダメですよ。旦那様の大事なお嬢様なんですから。旦那様に怒られます」


(旦那様……か)


「……将来、誰かと結婚したいとは思ってるけど。今は学園にある本を読むのに忙しいから、そういうのはいい。知ってるくせに」


「本が恋人でしたね」


「そうだよ。……お嬢様たちとババ抜きしたんだけどさ。茂くんと一加ちゃんは、顔とかに出ちゃうんだね。茂くんはわかるんだけど、一加ちゃんは意外だったな――」


 話の流れで好きな人のことを訊いただけ。そう思ってもらうために、ババ抜きの話を続け、徐々に話題を変えていった。


 予定の時間プラス十五分、お喋りしながら道場をうろうろした。後半は、僕の家族の話など、ただお喋りしていた。


 部屋に戻って、黒羽の前でカバンをひっくり返し、「ごめん。灯台もと暗しだった」と鍵をつまみ上げた。

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