192. 〔181-190〕 2/5 ― 旅行の計画 (文博)


(あっ……と、いたいた)


 非常階段に出るドアが開いている。その向こうに、目当ての人物二人の姿が見えた。


 二人は手すりに腕を乗せ、外側を向いて話をしている。残り二、三メートルまで近づいても、僕には気づかなかった。


 お二人さん、と口を開きかけたが、聞こえてきた話に口をつぐみ、思わずドアの陰に隠れた。


「……やっぱり好きな人と幸せになってほしい! 黒羽くろはのために、俺たちが一肌脱ごう!」


「でもさ、みなと。黒羽は卒業旅行、遠慮するって」


「ご令嬢に『しないで帰ってきて』って、わがまま言われてんのかな?」


「だったら、許せない。一大いちだいイベントなのに」


「俺も。……ご令嬢が、華族かぞくを盾に黒羽を縛るってなら、俺が子爵を盾にやめろって言ってやる」


「束縛しておいて、そんなつもりじゃなかったって逃げるなら、そんないいわけするなって、黒羽を苦しめるなって言ってやりたい。同じ平民の俺が、黒羽の気持ちを代弁する」


「……でも、わがままなご令嬢が俺たちの話を聞いてくれるかどうか……」


「黒羽、お嬢様の話はあんまりしないけど、旦那様のことはすごくいい人って、いつも言ってるから。旦那様の湖月こげつ様に、注意してほしい、ってお願いしてみるとか?」


「……いくらいい人でも、自分の子どもとしたきじゃ。旦那様に黒羽の好きな人の話をするのもなあ。それに、娘には甘いかも」


「そっか、そうだね。……お嬢様って一人娘だから、甘いとなるとすごく甘そうだしね」


「それだと困るよな~。……ご令嬢と話をするにしても、最終手段で湖月様に訴えるにしても、まずは卒業旅行だよ」


「だね~」


(黒羽のお嬢様がわがまま? 卒業旅行でお嬢様に言ってやる? ……止めるべき?)


(…………詳しく聞いてから、か)


「お二人さん! 話は聞かせてもらった!」


 そう言いながら、ドアの陰から飛び出した。


「っんなあ!」

「うわああ!」


 二人は階段から転げ落ちるのではないかというくらい驚き、声を上げた。


「なっ、なっ、なんだ、町本まちもとか!」


 中川内なかがわうちは手すりに腕をかけ、寄りかかっている。


「し、心臓が……」


 沢見さわみは片手で手すりを掴み、もう一方の手で服の胸元を握りしめている。


 驚かしてやろうという気持ちは多少あったが、予想以上の反応。大事だいじにならなくてよかった。


「…………話を聞いたって……。黒羽に言うつもりか?」


「町本、そうなの?」


 中川内は鋭い視線を僕に向けた。中川内の言葉にハッとした沢見も同様だ。


「なんで黒羽のところのお嬢様がわがままだって話になってるのか、理由を聞きたい」


 中川内たちの問いには、あえて答えない。僕の質問に答えてもらうための人質のようなものだ。

 二人は顔を見合わせると、小さな声で二言ふたこと三言みこと囁き合ってから、こちらを向いた。


 中川内が口を開く。


「春休みの終わり頃に、俺の誕生日会ってことで、三人で飲み会したんだよ。……黒羽の好きな人、聞き出してやろうってのもあって……。飲ませてたら、泣いたんだよ。酔っぱらいながら、厄介な人に邪魔されてるって」


 沢見が続ける。


「その日はそれ以上話にならなくて……。後日、確認したら、お嬢様だって」


「本当に?」


 二人は同時にうなずいた。


「黒羽はかっこいいだろ? ご令嬢は自分のものにしておきたくて、束縛してるんじゃないかって思ってる。誰かと恋人になるなんて許さない、って感じに」


「黒羽にお嬢様のこと聞いても、あんまり話してくれなかったのは、そういうことだったんだよ。普通の子、って言ってたけど。わがままお嬢様として普通って意味だったんじゃないかって」


「だいたい、慶一けいいちのやつ。お嬢様と知り合いなら、どんな子か教えてくれりゃいーんだよ。『面倒くさい』ってなんだよ!」


「慶一くんのお父さんと黒羽の旦那様は友だちなんだから。余計なことは言えないよ」


「ちょっと強くて、ちょっとかっこいいからって、先輩をないがしろにしてえ~。先輩の俺たちを鼻で笑うとか、おかしいだろ!」


「どっちもちょっとじゃなくて、かなり、だろ。湊のひがみにしか聞こえない。……俺もおかしいと思うけどね!」


 中川内と沢見は、剣術部の後輩――小清水こしみず慶一けいいちの話をし始めた。


(……僕の予想と違う)


 黒羽は手紙のことを聞いても「報告書」としか答えない。相手を聞いても「旦那様」だと言う。

 書いている手紙、読んでいる手紙をのぞき込んだことはない。でも、封筒の宛名や送り主が見えたことが、何度かあった。

湖月こげつ菖蒲あやめ》と書かれていた。


 オススメの恋愛小説を僕にいた時、僕たちの年齢プラスマイナス五歳を対象にした。お嬢様は五つ年下。人気のある恋愛小説を教えてあげたい女の子は――。


「お嬢様は厄介な人じゃなくて、黒羽の好きな人でしょ?」


「それはない」

「ないよ」


「即答だね」


「黒羽の好きな人は学園にいるから。ご令嬢じゃない」


 中川内は顔の高さで、違う、と手を横に振った。


「ここに?」


「黒羽がそう言ったんだよ」と沢見が頷く。


「それ、いつ聞いたの?」


「二年の夏休み明け」


 中川内が答えた。これも即答だ。


「そうそう! すっごく驚いたんだよね。今まで恋愛の話は、からっきしだったのに。いきなり、『好きな人がいる』とか言い出すんだもんなあ」


 当時を思いだしてか、沢見は興奮気味に言った。


(二年の夏休み明けってことは、恋愛小説のオススメを訊かれたのと同じ時期。……読み間違えた?)


(でも、お嬢様が厄介な人って、そんなわけ……。だって手紙……)


 ある人物が脳裏をかすめる。


(黒ジャージ……)


 しかし、あいつのことはあれ以来見かけていない。黒羽も荒れた様子はない。


(……そういえば、最近……手紙書いてない? でも、寮でも書けるし……)


「うーん……」


「何、うなってんだよ」

「そうだよ。俺たちは答えたよ」


「……僕さあ、二人に頼みがあって捜してたんだよ」


「頼み?」

「俺たちに?」


「そう。実はさ――」


 三年生といえば、卒業旅行。卒業旅行といえば夏休み。

 みんな、三年生になるとすぐに、卒業旅行の話をし始める。


 黒羽と僕も例にれず、その話をしていた。一緒に行く話ではなく、互いの友人たちとの計画の進捗しんちょく状況を、だ。


 黒羽たちの計画を聞いて、僕も行きたい、交ぜてほしい、と頼んだ。それぞれの実家に泊まる計画に心ひかれた。湖月邸に行ってみたい。


 だが、参加するかどうかわからないと、黒羽は煮えきらない。黒羽ではなく、中川内たちに頼んだほうが話が早いと思い、捜していた。


「――今聞いた話は言わないし、黒羽の説得も手伝うからさ。黒羽のところだけ、僕も交ぜて。湖月邸、行ってみたいんだよ。円境湖えんきょうこも行ってみたいし」


「僕もって……。町本たちは、もう行く場所決めたとか言ってなかったか?」


 中川内の言う通り、まだ五月だが、僕たちの旅行先は決まっている。手配も済んだ。


「だからこそだよ。日程、かぶらないって確定したから。僕たちは七月中。中川内たちは、七月は合宿、旅行はそのあとだろ? ……家の手伝いがあるから全日程参加は無理だし。ウチは泊めるとこないから、何も提供はできない。まあ、寄ってもらえたら、メシは出せるけど。……中途半端なお願いしてるってのはわかってる。でも、頼むよ」


 二人は、僕が参加すること自体には嫌な顔をしなかったが、条件を出してきた。

 さっき聞いたことを口外しない。二人のやることに口を出さない。

 一瞬躊躇ちゅうちょしたが、頷いた。


 数日かけて、三人で黒羽を説得した。「一週間後に電話してみます」と、黒羽は折れた。



「なんで集まる必要があるんですか?」


「いざというときのために?」


 僕が質問に答えると、黒羽はため息をついた。


「いざって……。わざわざ寮まで。明日も学校なんですから、早く帰ったほうがいいですよ」


 電話をかける約束の日になった。倶楽部くらぶ活動が終わり、帰る黒羽のあとを、中川内、沢見と一緒にぞろぞろとついて来た。


 寮の一階にある電話を、四人で取り囲んでいる。


 黒羽はジトッとした目を僕たちに向けてから、受話器を取り、ダイヤルを回し始めた。呼び出し音が鳴る。黒羽は受話器をグッと耳に押しつけた。


「……てつさん、黒羽です。……はい。……はい、ええ。お願いします。………………はい。お誕生日、おめでとうございます。……旦那様をお願いします」


 黒羽は少し高めの声で話し、途中ふわりと笑った。


(今の顔……)


 卒業旅行の許可はあっさりと下りた。


 もし反対されるようなことがあれば、と待機していた中川内と沢見の出番はなかった。

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