191. 〔181-190〕 1/5 ― 黒羽との仲 (文博)


 学園には、図書館が七つある。


 第一、第二図書館は、建物ほぼまるごと図書館になっている。一階部分はイベントスペースになっていて、通常は芸術、創作系倶楽部くらぶの作品が展示されている。どちらも人気があり、利用者がとても多い。


 第三から第七図書館は、教室がある建物などに設けられている。広さはまちまちだ。図書室ともよばれている。

 その建物が開いていれば出入りは自由だが、本の貸出日が決められていて、その日だけ図書館員が駐在する。

 本を探したり、読む場所というよりは、自習室のように使われているため、試験期間前と期間中以外はあまり人がいない。


 その中でも特に不人気で、利用者がほとんどいないのが、教職員棟にある第四図書館だ。

 教職員棟の一階に出入り口がある。入ると吹き抜けになって、部屋の中に二階がある。閲覧席もそこそこあり、第三から第七の中では二番目に広い。

 それなのに利用者がほとんどいない。貸出日にちらほらいるくらいだ。試験の時でさえ、あまりいない。


 というのも、第四図書館にはがある。


 体調を崩す、怪我をする、成績が下がる、とにかく何か悪いことが起こる、といわれている。

 それもこれもオバケのしわざ――らしい。


 黒羽くろはを初めて見たのは、この第四図書館だった。



 入学早々、第一図書館から第二第三と順番にまわる、図書館めぐりを始めた。

 三巡目。第四図書館で、初めて図書館員以外の人――黒羽を見かけた。


 黒羽は出入り口からは見えない、二階の奥の席で書き物をしていた。

 同じ一年生。学園のジャージ――豊富なサイズに、豊富なカラー、お手頃価格で品質よし――を着ていたので、同期だとすぐにわかった。

 ジャージのそで、ズボンの横にはラインが入っている。そのラインの形で学年がわかる。黒羽のジャージには、僕の着ているジャージと同じラインが入っていた。


 三巡目が終わったあと、第四図書館で本を読むようになった。

 オバケのうわさを知ったあとだったが、気にしなかった。悪寒を感じたこともない。静かで居心地のよい場所だった。


 一週、二週と通ううちに、黒羽は図書館員のいない日の昼に、同じ場所で書き物をしているということがわかった。それと、図書館以外では、よく女の子たちに囲まれているということもわかった。


 ある日、図書館に入ると、黒羽がこちらに向かって歩いてくるところだった。

 目が合うと、「オバケ、平気なんですね」と話しかけられた。「本好きのオバケなら会ってみるのもいいかな」と返した。

 第四図書館で、人に会うのは珍しい。黒羽も僕を認識していた。



 図書館で会うと話をするようになり、互いのことがそれなりにわかってきた頃。「手紙、誰宛て?」といた。


「お世話になっている家のかたに、です」


 黒羽は微笑んだ。


「報告? したきだから? そんなに書かないとならないなんて大変だね」


「……そうですね。でも、苦ではないですよ」


「やっつけになった?」


「やっつけ?」


「見かけるたびに一生懸命書いてたのに。最近は勉強もしてるみたいだから。やっつけ仕事してるのかと思って」


「……制限されたからですよ」


「制限?」


「いえ。やっつけではなく、慣れたからです」


 黒羽は、一瞬だけ不貞腐ふてくされたような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。



 冬のはじめ。黒羽は閲覧席ではなく、本棚の前に立っていた。

 黒羽が『超絶コミュ症シリーズ』愛読者だということを知っていた。何の気なしに、あのシリーズが好きならおもしろいと感じるのではないか、と思った一冊を薦めてみた。メモをとり始めたので、もう一つ、全四巻のシリーズものも薦めた。


 冬休み明け。満面の笑みを浮かべた黒羽に「とってもおもしろかったです。ありがとう」とお礼を言われた。


 以降、たまにオススメ本を訊かれるようになった。



 二年生になり、二ヶ月が過ぎた頃。第四図書館のドアに手をかけ、少し開けると、話し声が聞こえてきた。珍しいと思いながら、中に入った。


 初めて言葉を交わした時のように、黒羽がこちらに向かって歩いてきていた。


 怒っている――そういう顔、歩き方だった。


「場所を変えましょう。今日のここにはオバケよりもタチの悪いものがいますから」


 黒羽は僕の腕を掴んで図書館から連れ出した。


 図書館を出る前。黒羽の背後、部屋の奥に、人がいるのが見えた。三月あたりから、二、三回見かけたことがある。

 黒羽のように黒く、肩よりも長い髪。僕たちと同じラインの入った黒のジャージ。

 その人は、顔の横でひらひらと、こちらに向かって手を振っていた。表情は見えなかった。


 腕は離されていたが、ズンズンと歩いていく黒羽のあとをついていった。


 教職員棟からかなり離れたところで、黒羽はリュックを背負ったまま、空いているベンチに乱暴に腰を下ろした。

 はあ、と息を吐き、うなだれ、右手に握りしめていた物を両手で握りしめ、ひたいにあてた。


 すがっている。祈っているようにも見えた。


 黒羽は、《湖月こげつ 菖蒲あやめ》と小さめの字で書かれている封筒を握りしめていた。

 黒羽のお嬢様――黒羽が援助してもらっている家のお嬢様からの手紙は、黒羽の手の中でグシャグシャになっていた。


「喧嘩でもしたの?」


 声をかけると、黒羽はビクッとし、正面に立っていた僕の顔を見上げた。

 僕の存在は遥か彼方。忘れていた。そんな顔をしていたが、すぐに表情を変えた。


「喧嘩だなんて! 事故ですよ! これはもう、天災みたいなものですよ!」


 今にも泣きそうな顔で怒鳴るように言った黒羽は、ハッとし、


「すみません。ちょっと頭にきて。……ただの喧嘩です」


と微笑んだ。弱々しい笑顔だった。


 知らない人とちょっとしたことで喧嘩になったらしい。相談にのると言ったが、黒羽は首を横に振った。

 このことは内緒にしてほしい、喧嘩だなんて恥ずかしいから忘れてほしい、とお願い――懇願こんがんされたのでうなずいた。


 それから、第四図書館で黒羽に会うことも、黒ジャージの人を見かけることもなく、二回目の夏休みを迎えた。


 休み明け。第四図書館に行くと、じょうじょう、上機嫌の黒羽がいた。喧嘩の件は解決したんだな、と人事ひとごとながら胸をなで下ろした。


「恋愛小説のオススメはなんですか?」


 笑顔の黒羽に訊かれたので、一冊答えると、ありがとう、とさらに微笑んだ。


 数日後。その本を持った黒羽に、廊下で話しかけられた。


「これは、主人公が男性ですね。女性が主人公の本が読みたいです。私たちの年齢プラスマイナス五歳、それくらいの女の子が好きそうな、そのくらいの女の子に人気のある本を教えてもらえませんか?」


「……女の子にオススメしてあげたいの?」


「まあ、そんなところです」


「……黒羽の好きな人、とか?」


 黒羽は何も言わずに、にこっと微笑んだ。それが答えと受け取った。



 冬休み前の試験期間中。第四図書館のテーブル席の隣で、黒羽がボソボソと呟いた。


「結構、似たようなことしてる思うんですけど。……何かが足りない?」


 黒羽は僕のオススメ本――三冊目となる女の子に人気の恋愛小説をパラパラとめくっていた。


「教科書じゃなくて小説か? 余裕だな」


「それで成績いいって。いいなあ」


 正面に座っている黒羽の友人、中川内なかがわうちみなと沢見さわみ瑛太えいたがぶつくさ言った。聞いていない黒羽の代わりに、僕が返した。


「二人が女の子追いかけてる間、黒羽は勉強してるから」


 ぶはっ、と後ろのテーブル席にいる学生が吹き出した。僕の友人三人が座っていた。


 勉強場所を求め、互いの友人とさまよっている最中に鉢合わせした。

 人数が多ければ怖くない。第四図書館によくいる黒羽も僕も、成績は悪くない。むしろ、優秀。

 友人たちはそう励まし合い、ガラガラの第四に行こう、と腹を決めた。


 黒羽が黒ジャージの人と喧嘩をしていた日。黒羽に懇願されたすぐあと。中川内と沢見が通りかかり、四人で少し話をした。

 それから、互いの友人とも話をするようになっていたが、勢揃いしたのは初めてだった。



 試験が終わり、冬休みに入り、年が明け、休みが明けた二月。


文博ふみひろの選ぶ本は、実にいい働きをしますね。思わず夜更かしをしてしまう、すごくいい本です」


「褒めてる?」


「もちろん! 前回も今回もですよ。素晴らしいです!」


 ニヤニヤしながら口元をさわる黒羽に、褒め言葉をもらった。


 中川内、沢見、僕の友人三人もいる場だった。不思議な言い回しに全員首をかしげたが、黒羽は気にすることなくニヤニヤし続けた。



 黒羽とは、一年生が終わる頃には、普段行動を共にしている友人以外の中で、一番仲の良い友人に。二年生が終わる頃には、友人たちにもそう認識される仲になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る