◆190. どうしたらよかったの? 10/10 ― 悪霊退散!!
「ショウ、朝だよ!」
「……う……」
「おはよう。起きて!」
「……まだ眠い~……」
「起ーきーてー」
一護はベッドに上がり、私をまたいで立つと、私の両手を握り引っ張った。無理やり上半身を起こされる。
「……もうちょっと~」
一護の手が離れた瞬間に倒れ込み、素早くタオルケットで顔を隠した。一護が再び奪おうとするので抵抗する。
「起きてよ。今日もお嬢様っぽくするんでしょ? 今日は編み込みするから、時間かかるんだよ」
「……必要ない。意味ない……」
タオルケットを顔に押しあて、ボソッと呟いた。
「え? なに?」
「……ごめん。なんでもない」
のそのそと起き上がり、朝の支度に取りかかった。
一加は、
みんなのおかげで、今日の私もお嬢様っぽく仕上がった。
今日の服はフリルのついたフレンチスリーブだ。袖の長さはフリルを含めて二の腕の半分ほどで、腕の傷痕は丸見えになっている。日焼け防止用のアームカバーや、包帯で隠すこともできるが、つけなかった。可哀想と言われたから、なんて理由で隠したくない。
食堂に向かいながら、両頬をむにむにむにむにと指先でマッサージし、手のひらでパンパンと叩き、つまんで引っ張り、すーっ、はーっと大きく深呼吸をした。
「まだそんなに緊張するの?」
「もう四日目だよ。一緒にご飯食べるの、六回目なのに」
一加と一護に突っ込まれた。
今日の朝食に限ったことではなく、一日目の夕食から、昼食以外は一緒だった。
三日目の朝食までは、へまをしないかの緊張をしていた。気を張り疲れる食事だったが、
三日目の夕食は、ドキドキの緊張だった。見ないようにはしていたが、意識は完全に
食堂から話し声が聞こえてくる。すでにみんな揃っているようだ。
んんっ、と
「はあ……」
目の前の小さな置き時計で時間を確認する。黒羽たちの出発の時間まであと一時間。思わずため息が出た。
普通に振る舞うぞ、と意気込んで朝食の席についたが、失敗したらしい。「なんか変だったね」と一護に言われてしまった。
朝食のあと、一加たちと勉強部屋に向かった。
嘘だ。やる気になんてなっていない。
椅子に座り、机にノートを広げ、鉛筆も持たずに、ただボーッとしている。
「……片づけよ」
ノート――ではなく、写真立てに手を伸ばす。写真を見ていると余計なことを考えてしまう。目につかないよう、しまってしまおうと思った。
(黒羽の写真だけ……は、おかしいか。このまま、全部しまおう。写真はどうしたの? って聞かれたら…………机を広く使いたいから、でいっか)
コンコン、とドアがノックされた。「はあい」と気のない返事をする。ドアが開いたので振り向くと、二人きりにはなりたくない人が立っていた。
ガタッ、と椅子から立ち上がる。
「な、なに? 黒羽、どうしたの?」
「ゆうべ、本を置いていったんですけど……」
「あっ! 気づいたよ! ありがとう!」
お礼を言おうと思っていたのに、すっかり忘れていた。すぐに本棚にしまわず、テーブルの上に置いておけばよかった。
「読むの楽しみ」と黒羽に近づく。部屋から出るためだ。
「それじゃあ、みんなのところに行こう」
みんなのところ――黒羽は湊たちのところ、私は一加たちのところだ。
黒羽はドアの前に立っている。ドアに目を向け、部屋から出て、と催促する。
「あと数十分で夏の帰省は終わりです」
「そうだね。忘れ物ないか、ちゃんと確認した? 気をつけて、卒業旅行楽しんでね」
黒羽の目を見て、にこっと微笑んだ。昨夜、朝食と顔を合わせ、目を見る余裕はできた。
「さ、行こっか」
黒羽の横に移動し、ドアに手を伸ばすと、黒羽が後ろに下がった。これではドアの取っ手が掴めない。
顔を見上げると、黒羽は優しい顔で口を開いた。
「……菖蒲様のほうこそ、気をつけてください。
――本当は連れ去られたほうが都合がいいんじゃないの?
ボロボロッと涙がこぼれた。
「あ……」
あわてて下を向き、両手で涙を拭く。どんどんあふれてくる。
(さ、最低だ。なんて、ひねくれたことを……)
「菖蒲様、大丈夫ですよ。旦那様も、
黒羽はそう言いながら、私のことをそっと抱きしめた。
「さ、
下を向き、黒羽の胸に両手をあてる。
「大丈夫じゃないですよ。泣いてるじゃないですか」
「これは大丈夫なやつ。ゆうべのと一緒。本当に違うの。だから、も、もう、いい、大丈夫!」
力いっぱい両手で押し返す。
黒羽はゆっくりと離れてくれた。困ったような顔をしている。
(……そんな顔するくらいなら、抱きしめて慰めてくれなくてもいいんだよ。言葉だけでも十分なんだよ……)
「そこ、どいて」
「菖蒲様……」
「黒羽……、私ね……」
「はい」
「すっごくトイレに行きたいの!
黒羽は目を丸くして、ドアを開けてくれた。「ありがとう」と言いながら部屋を出て、廊下を走ってトイレに向かった。トイレで涙がおさまるのを待った。
トイレを出たあとは、そのまま勉強部屋に向かい、見送りの時間まで一加たちと過ごした。
バシャッ!!
「ヒャッ! つ、冷たっ!! なに!? ショウ、それ水じゃん!」
水音、そして一加の声が浴室に響く。
「ごめん。かかっちゃった?」
全身を洗い終えた。一加が湯船に浸かったので、洗面器に溜めた水をかぶった。水といっても、ものすごくぬるくしたお湯だ。
もう一度、頭からかぶる。
「ま~、今日、暑かったもんね~」
「……うん」
これは
私の『良心』は、湊と瑛太に忠告してもらえてよかった、黒羽が私のせいでつらい思いをしていると知れてよかった、これからは気をつけて行動しよう、と思っている。
でも、『良心』からちょっと外れた黒い部分では、なんでそんなこと言うの? 五つ年下の女の子に、男二人がかりはどうなの? つらいなら私のことを構わなければいいのに、勝手に自由にすればいいのに、と思ってしまったりもしている。
黒い部分で考えるのは良くないと、『良心』で
それなのに、黒い部分が突き破って出てきてしまった。
黒羽は心配してくれていた。作り笑顔ではない顔をしていた。それなのに、『私がここからいなくなったほうが、厄介な人が、邪魔する人がいなくなって嬉しいのではないか』などと最低なことを考えた。しかも、一瞬でパッと思い浮かんだ。さらに、黒羽の前で泣いて、困らせてしまった。
洗面器のお湯にジャーッと水を足す。
(黒羽の前では、もう泣かないっ!)
バシャッ、と頭からかぶる。
お湯を少しだけ溜め、水の蛇口をひねる。
(も~……あれだ……。ひな先生の時みたいになってる。視野が狭くなってる。相談……は誰にもできないけど、冬までまだあるし。楽しく過ごして、明るく前向きに! 恋人作って、『黒羽まだできないの?』『え? いるの?』『お互い、やるね!』で、円満解決!)
キュッと蛇口をしめ、洗面器のふちに両手をつく。
(……っていうか、黒羽は控えめじゃないし、文句も言うんだけどな。……写真撮るとこ、見てたよね? 言い出したの私じゃないのに。私が、
一日経ったからか、湊たちがここからいなくなって日常に戻って安心したからか、黒い部分が活性化している。
(呼び出して糾弾って。しかも、当の本人が知らないって。……漫画……少女漫画みたい。みんなの憧れの先輩に優しくされた子を呼び出して、『先輩が優しいからっていい気にならないで。本当は迷惑してるのよ』みたいな)
「……ありそう。ふふ――って、笑っちゃダメ!」
首をブンブンと横に振り、水の蛇口をひねる。
笑い事ではない。湊たちは真剣だった。黒羽も四日間しか一緒にいなかったのに、困ったような表情をすることが多かった。
これ以上嫌われたくない、と思ったが、たぶん無理だ。解決するまでは、どんどん嫌われる。自由にできないと感じた分、私への恨みも深くなっていくはずだ。
(……冬、帰ってきたとき……作り笑顔もしてもらえなくなっちゃってたら、どうしよう……)
(…………)
(……ダメダメ! こういうのはダメ!)
蛇口をしめ、はーっ、と息を吐き、洗面器を高く持ち上げる。
(悪い考えとひねくれた心よ、なくなれっ!)
「悪、霊、退、散っ!!」
ザバッ!!
水を足し過ぎて、ただの水になったお湯をかぶった。
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