179. 着せかえ人形 1/2


 昨日、父が泊まりの仕事から、隼人はやとと一緒に帰ってきた。隼人が遊びに来る日程と、父の王都での仕事の日程が合った。もしかしたら、調整したのかもしれない。

 帰りに合流すると聞いていたので、隼人のお迎えもバッチリだった。


 夜、父の部屋に呼ばれた。父は、芝崎しばさき家と、母の実家――谷原たにはら家のことを教えてくれた。


 父の話を聞いただけだったら、ひどいと思いつつも、遠くの出来事に感じるだけだったかもしれない。

 芝崎和也かずなり、本人と話をした。どんな人かを知るには短すぎる時間だったとは思う。でも十分だった。お腹いっぱいになった。

 対面したことによって、より鮮明に母の受けた仕打ちを想像できて、とても不愉快な気持ちになった。この前言われたことを思い出して、腹も立った。


 母の実家と疎遠なのは、母と和也が離婚した時に、いろいろあったからだと思っていた。当たりだった。でも、それ以降ではなく以前から、母の両親と母の兄は、母の姉と母を冷遇していたと聞いて、悲しくなった。

 姉とは仲が良く、互いが互いの味方だったいう話は、少しだけ救われたような、ホッとした気持ちになった。


湖月こげつ家の女の子の決まり』は、和也から私を守るための決まりだった。

 最近、随分とゆるくなっていたが、改めて、今後は一般的な常識の範囲内で自由にしてよい、とお許しが出た。


 芝崎家、谷原家の人からは逃げることが前提だ。母の姉――『大西おおにしゆり』を名乗る人が近づいてきても迷わず逃げる。ゆりが私に会うときは、必ず父と一緒に、と約束してあるので、もし本人だったとしても、失礼にはあたらないので逃げてよいそうだ。


「この前のような口論はしないこと。しつこかったら大地だいちの名前を出しなさい」と、父は私に言って聞かせた。


 確かに、上級騎士である大地の名前を出せば、牽制になりそうだ。


 父の話が一段落してから、「みんな知ってたの?」とたずねた。


 てつ理恵りえ律穂りつほ、大地、隼人は知っていたそうだ。そんな気はしていた。


 父、母、徹、理恵、律穂は友人だ。事情を話しているだろうなと思った。それに、徹と理恵は、和也が来たことには驚いていたが、和也のあの感じには驚いていなかった。

 大地、隼人は、私と一緒に暮らしていた。何かあったときに対処しなければならない。知っておく必要があると思った。


「この前の、隼人に話した?」と続けて尋ねた。


 父は、「道すがら話した。大地にも話してある」とうなずいた。


 馬車から降りてきた隼人は、浮かない表情をしていた。私を見ると、にこっと微笑み、「久しぶりですね」と抱きしめてくれた。身構えたが、苦しくなかった。ギューッとではなく、私の背中をさすっていた。



(――疲れてるか、腕のことかな? って思ってたけど。芝崎が来たって聞いたから……)


 腕の傷のことは、手紙で伝えてあった。隼人を部屋に案内し、一段落してから見せた。「大丈夫って書いてあっても、心配しましたよ」と、軽くチョップされた。


 隣にいる隼人の顔をチラッと見る。にこにこと楽しそうな顔をしている。


「こここ、これ、かわいいですね。き、黄色もありますよ。一加いちかちゃん、お揃いとかどうですか?」


 悠子ゆうこは、ハンガーにかかっている水色と黄色のスカートを、右手と左手に持ち、一加に向けた。


「ホントだ! かわいい!」


「ふふ。気に入ったのがあったら、遠慮なく言ってくださいね。予算オーバーしちゃったら、最後にみんなで悩みましょう」


 ブラウスを物色中の隼人が、一加に微笑みかける。一加は「はい!」と元気に返事をした。


(予算はとっくにオーバーしてると思うな。……まだまだ掛かりそう)


 私たちは今、百貨店に来ている。


 和也の件で私が落ち込んでいるのではないかと思った隼人が、気を使って買い物を企画してくれた――わけではない。


 和也のことがなくても、買い物に来る予定だった。誕生日の前日に届いた手紙にあった約束だ。誕生日プレゼントに服を買ってくれるそうだ。


 土台はその約束だ。


 そこに一加と悠子のある目論見もくろみと、ちょっとしたイベントが上乗せされた――。



 三週間ほど前の、七月の頭。全員揃った昼食の場で、父が黒羽くろはの夏休みの話をした。

 友だちの家を泊まり歩くことになった、とのことだった。我が家にも泊まりに来る。黒羽の友だちが三泊四日で遊びに来ることになった。


 黒羽の友だちに会える。『すごく楽しみ』、少し遅れて『面倒くさい』と思った。


 大地、隼人、慶一けいいち慶次けいじも、黒羽の友だちといえなくはないと思う。だが、この四人とは違う。友だちだ。手紙に出てきた人も来るかもしれない。会ってみたい。『すごく楽しみ』だ。


 ほとんど意識することはないが、私は一応華族かぞく。男爵家のお嬢様だ。

 小清水こしみず邸訪問時には意識するが、ここ数回は慶次がこちらに遊びに来てくれたので、しばらく意識していない。

 お茶会は人が多いので、おとなしくしていれば誰も私など見ない。変わった行動さえとらなければよいので、意識という意識はしていない。


 黒羽の友だちの前では、意識しないわけにはいかない。きちんとしていないお嬢様のいる家に援助を受けているのかと、黒羽が思われてしまうのは嫌だ。


 私に用があって来るわけではない。挨拶だけして部屋にこもる手もあるが、はたしてそれは正解なのだろうか。微妙だ。ある程度は姿を見せ、愛想よく振る舞ったほうが良さそうだと思った。

 しかし、数時間でも、一日でもなく、四日間。少々、いや、結構長い、『面倒くさい』。


 どうしたらよいか考えた結果が口から出た。


「お嬢様っぽい服着て、にこにこしてればいっか」


 答えや同意は求めていない、ただの独り言――だったのだが、反応した人が二人いた。


「いいですね!」と、悠子がどもることなく声を上げた。


「いい! それいい!」と、一加がそれに続いた。


 何が? と驚いたが、『にこにこしてれば』のことかと思い、そうする、と返した。昼食後、『お嬢様っぽい服』への反応だったことが判明した。

 お茶会に行くときは、可愛らしい服を着ているのだが、それとはまた別らしい。


 その日から、悠子と一加は、時間を見つけては私のクローゼットを開けて楽しそうに意見を出し合っていた。お嬢様のクローゼットから、お嬢様っぽいコーディネートを考える。不思議な光景だな、と思いながら二人を見ていた。

 隼人が遊びに来ることが決まり、買い物に行く予定を伝えると目を輝かせた。


 父の帰り、隼人の到着を待ち構えていた二人は、自分たちも買い物に同行したいと直談判した。


 二人から話を聞いた隼人は、二つ返事で頷いた。その場でやり取りを見ていた一護いちごしげるにも、「一緒にどうですか?」と声をかけた。

 茂は、「あー」と言いながら、考える素振りをし、断った。一護も首を横に振った。


 断る理由は想像がついた。移動だ。一護と茂も参加するとなると、計六人となる。馬車に乗れないこともないが窮屈だ。


 すると、父が口を開いた。


「路面電車がある。いい機会だから乗り方を教えてもらいなさい」と、隼人に視線を向けた。


 隼人は「ええ。任せてください。みんなで行きましょうね」と微笑んだ。



(――路面電車って、思ってたよりゆっくりだったなあ。前世でもあんな感じ? 乗った記憶ないんだよね。……たぶん、乗ったことない。バスとか電車は覚えてるし)


 路面電車に今日初めて乗った。ちょっとしたイベントとは、このことだ。


 百貨店あたりを中心に三つの軌道が敷設ふせつされ、今年の三月から運行を開始した。うち一つの終点が、白鳥ボートのある森林公園の近くにある。

 私たちの生活圏内では初の路面電車だが、王都など、都会では当たり前の乗り物だ。


 昨夜ゆうべは母の話を聞いたあと、そのまま父の部屋で眠った。眠る前に、買い物楽しみ、路面電車楽しみ、と話していたら、なぜ路面電車をすすめたのかを教えてくれた。


 父は『湖月家の女の子の決まり』の真相を私に告げ、同い年の子たちと同じくらいの行動を許すと決めていた。一加と一護は、お茶会に出るようになり、さらに大人に慣れた。

 今後は私たち、子どもだけで出かけるようになる。バスみたいな乗合馬車のりあいばしゃか、タクシーみたいな辻馬車つじばしゃ、路面電車を利用することになる。


 一加、一護、私は、乗合馬車、辻馬車にも乗ったことがない。茂も、路面電車には乗ったことがなかった。


「乗り方を教えておかないと」「一番使うのは路面電車か?」と、馬車の中で隼人と話をしていたのだそうだ。


(運行開始時は、物珍しさですっごく混雑してたけど、落ち着いてきたし。隼人は王都で乗ったことがあるし。いろいろと、ちょうど良かったんだよね)


 路面電車と聞いて、一護と茂は顔を見合わせ、「行く!」と返事を変えた。


 悠子は休みで、個人的について来るとのことだったのだが、私たちのおりと、一加と一護の服も購入――普通の買い物もすることになり、休みは振り替えることとなった。

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