170. 別邸での生活 2/6 ― 護衛、推薦  (大地)


 写真に手を伸ばす。数えると十枚あった。うち八枚に、ある男が写っている――。



 面接代わりの稽古を終えたあと、部屋に戻り、仕事の説明を受けた。


 忠勝ただかつさんの奥さんの元夫が、忠勝さんの娘に接触しようとするかもしれない。最悪、連れ去るかもしれない。

 現在、本邸ここには使用人が一人で住んでいる。忠勝さん、忠勝さんの娘、湖月下こげつしたの男の子、使用人二人は、別邸に住んでいて、昼間は全員で本邸に通ってきている。これを、本邸に使用人三人が住み、昼間通うのは忠勝さんのみにしたい。

 別邸に住んで、忠勝さんが留守にしている間、奥さんの元夫やその手の者から、忠勝さんの娘を守ってほしい――とのことだった。


 全員で本邸に住めばよいのではないか、と突っ込みたかったがやめておいた。そういう空気ではなかった。俺よりもそういうことを言いそうな親父も黙っていた。


 別邸に使用人を雇う話になった。俺と子どもたちの世話をする人だ。

 だったら俺が使用人になる、と申し出た。護衛だけでは手持ち無沙汰ぶさたになりそうだと思った。


 忠勝さんには断られたが、「それがいい」と親父が押しきった。親父は「ついでに、男の子の勉強もみてやれ」と、家庭教師も追加した。


 親父に押されっぱなしの忠勝さんだったが、押し返したところもあった。


 タダではなく、きちんと給料を出すこと。俺が湖月こげつ家の使用人として働いていることは伏せること。『自分探し』が終わり、やりたいこと、なりたいものが見つかったら、使用人を辞め、そちらに進むこと。

 この三つは譲らなかった。


 忠勝さんは、伯爵家の俺が、『男爵家の使用人』という肩書きで働くことに抵抗があったようだった。何か違う肩書きを、と提案してくれたが、親父が却下した。とりあえず、周りには使用人ということは伏せておく、で落ち着いた。

『自分探し』の件は、話し合いのなかで、親父にバラされた。少し恥ずかしかった。


 話し合いが終わると、忠勝さんの隣に座っていた男の使用人が、部屋を出ていった。数分後、使用人に連れられ、男の子と小さな女の子が部屋に入ってきた。


 男の子は、「初めまして。黒羽くろはです」と、にこにこと挨拶をした。

 女の子は、男の子の後ろに隠れていた。使用人に挨拶するよううながされても動かなかった。男の子が横にずれ、「お嬢様。お名前は?」とたずねたが、無反応だった。うつむいたまま、固まっていた。


 親父が声をかけた。女の子は、顔をゆがめ、声を上げて泣きはじめた。

 親父の声に反応した女の子は、ゆっくりと顔を上げた。親父、俺を見たあと、忠勝さんを見て、顔をくしゃっとさせた。父親の忠勝さんを見て泣いた。


 忠勝さんのことを盗み見た。自分の娘から顔を背けていた。


 女の子が忠勝さんを見て泣くのも無理もないと思った。小さな子には、忠勝さんの鋭い眼光や仮面は怖いだろう。でも、それだけではない。忠勝さんの表情は暗く、お世辞にも良いとは言えない雰囲気をまとっていた。


 俺は立ち上がり、子どもたちの前に出ていって、しゃがみ込んだ。


「お嬢様、黒羽。初めまして。新しく使用人になった、大地だいちだ。よろしくな」


 二人には、護衛のことは伏せ、ただの使用人ということにすると話し合いで決まった。このことについては、その場にいた全員が同意見だった。


 お嬢様の涙をハンカチでいていた黒羽は、手を止め、「よろしくお願いします」とお辞儀をした。お嬢様は、俺をチラリとだけ見て、グスグスしながら黒羽の後ろに隠れてしまった。



 しばらくの間、全員――忠勝さん、お嬢様、黒羽、使用人のてつさん、理恵りえさん、律穂りつほさん、俺――で、本邸と別邸を行ったり来たりする生活を送った。律穂さんは本邸に住んでいたが、御者ぎょしゃなので一番往復していた。


 その行ったり来たりの生活の間に、家事や生活習慣など、いろいろと教えてもらった。どれもそれなりにこなせたし、覚えた。なぜか料理だけは、ちょっとした騒ぎになった。


 俺が一緒に住むようになって約三週間後、徹さんと理恵さんは本邸に移り住んだ。忠勝さんが本邸に、徹さんか理恵さん、どちらか一人が別邸に通う生活になった。

 程なくして、本邸に使用人が一人増えた。小夜さよさんは、一人息子と暮らす家から、通いで働くとのことだった。


 朝晩と、送り迎えの馬車の前で話をするのが日課になりはじめた、十月のある朝。

 本邸から来た徹さんと、入れかわりで本邸に向かう忠勝さんと、律穂さんと俺の四人で話をしている時だった。


 別邸の使用人も一人増やすと聞いて、思わず口を出した。


「推薦したいやつがいる」


 パッと思い浮かんだ。後輩の隼人はやとは、この仕事にピッタリだと思った。


 忠勝さんたちは、俺の話を聞いてくれた。が、難色を示した。隼人がまだ学生だったからだ。卒業まで、あと半年あった。


 人を増やす一番の理由は俺だと、話を聞いていてわかった。一人では休みも取りにくいし、大変だろうとのことだった。


 なので、少し粘ってみた。


 同じ剣術部で稽古してきたから多少の荒事にも対応できる。芯が強い。真面目で努力家。物腰が柔らかい。教えるのがうまい。料理もうまい。

 隼人がどんなやつか、実際の話を交えつつ伝えた。


「いいんじゃないか~?」


 賛同してくれたのは徹さんだった。


「大地の後輩なら、大地が使用人してることを隠すのにちょうどいいだろ~。大地も信用してるみたいだし。それに、剣術部の後輩なら、あの親父……じゃなくて大地の親父さんにひどい目……じゃなくてしごかれた仲間だろ~。忠勝とも共通の話題があって、いいんじゃないか~?」


 能力的には問題ない。むしろ、すごく良い。料理のできる人を雇おうと思っていたから、料理がうまい点はとても助かる。卒業するまでの半年間、俺が大変かもしれないが、それでもいいなら雇いたい。

 笑顔でそう言ってくれた徹さんだったが、「ただな~」と困ったような顔になった。


「その後輩は使用人になりたいのか~? あの剣術部の後輩なら、騎士になるんじゃないのか~?」


 もっともな疑問だった。


 隼人が使用人になりたいかはわからなかった。ただ、騎士にはならないだろうと、なんとなく思っていた。

 七月に会ったとき、六月の騎士の試験を受けなかったと言っていた。十二月の試験も受けるかどうか迷っているようだった。


 その日の夜。隼人が寮に戻っているであろう時間に電話をかけた。


「『鬼神きしん』って、本当にいたんですねえ」


 俺の話を聞いた隼人の第一声は、なんとも気の抜けたものだった。「それなら……」とぶつぶつと言い出した隼人に、返事を求めた。


「……かけ直してもいいですか? いつご在宅ですか?」


 俺はだいたい家にいると答えると、「違います」とため息をつかれた。


「湖月様ですよ。大地先輩の話だけだと不安なので、直接お話が聞きたいんです」


 忠勝さんが休みで、一日別邸にいる予定の日を、二日教えた。五日後と十日後だった。


 五日後、電話が鳴った。


 電話から約一ヶ月後。忠勝さんと俺は、学園近くの食堂で、隼人と会った。

 隼人は卒業後、湖月家の使用人になることが決まった。


 隼人と別れ、湖月邸に帰る途中、実家で降ろしてもらった。黒国丸くろくにまるを別邸に連れていくためだ。

 隼人に会いに行くことが決まった時に、自分で世話をするから飼ってもいいかとダメ元で聞いてみた。アッサリと許可が下りた。


 年が明け、三月の下旬。隼人が別邸に引っ越してきた。お嬢様を見てそわそわし、黒羽の後ろから出てこないとわかると、少し残念そうな顔をした。


 二週間ほど、徹さんと隼人、理恵さんと隼人で食事を作った。隼人の料理に、徹さんも理恵さんも太鼓判を押した。別邸の食事は、隼人に一任された。徹さんと理恵さんは、別邸通いをやめた。


 俺と隼人、二人で、お嬢様を護衛しながら、使用人、黒羽の家庭教師として働く日々が始まった。



(――この写真、久しぶりに見たな)


 一枚、テーブルに置く。


 忠勝さんの奥さんの元夫――芝崎しばさき和也かずなりが、一人で写っている。隼人が引っ越してきた直後に、手に入ったと、忠勝さんが見せてくれた写真だ。それまでは、芝崎の顔を知らなかった。


 少し間隔をあけて、一枚目の右側に三枚並べた。三枚とも、芝崎が女と一緒に写っている。


 残りの六枚は初めて見る。見たことのある四枚の下側に、横一列に並べた。

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