171. 別邸での生活 3/6 ― 仕打ち、支援 (大地)


 書類を手に取る。芝崎しばさき和也かずなりについての調査報告書だ。二段に並べた写真の上段、四枚の写真に関連する箇所に目を通す。


(……俺のほうが詳しいな。まあ、それもそうか)


 報告書には、芝崎の両親の名前や、経歴、財政状況など、俺の知らない情報も記されている。芝崎に関するクイズを出されたら、報告書が勝つだろうが、そういうことではない。


 俺が言っているのは、菖蒲あやめに護衛をつけることになった経緯に関してだ。


 俺は、報告書の内容に加えて、忠勝ただかつさんの奥さん――すみれさん側の話も知っている。


 使用人になった当初からではない。その頃は、芝崎から菖蒲を守ってほしいと言われただけで、ほとんど何も知らなかった。


 一枚目の写真を見せてもらった時も、追加情報は特になかった。忠勝さんと雑談をするようになってはいたが、芝崎のことは容姿くらいしか聞けなかった。

 忠勝さんに、すみれさんの話はしないようにしていた。芝崎の話は、すみれさんのことを聞くようでできなかった。


 詳しい話を聞いたのは、菖蒲が忠勝さんを怖がらなくなり、忠勝さんの雰囲気が柔らかくなった頃だった。


『忠勝には教えたって内緒な。菖蒲と黒羽くろはにはダメだけど、隼人はやとには言ってもいいぞ。むしろ、言っとけ~』と、稽古で本邸に行った際、てつさんが話してくれた――。



 谷原たにはら子爵家の次女すみれさんは、学園を卒業してすぐ、芝崎伯爵家の長男和也と結婚した。当時、芝崎は三十歳。結婚と同時に家督を継いだ。


 二人の結婚は政略結婚だった。すみれさんの気持ちだけを無視した婚約だった。

 芝崎は若い女との結婚を望んでいた。芝崎の両親は、一人息子のために金を積んだ。

 谷原家は、積まれた金――相場よりもかなり高い結納金と、伯爵家との繋がりが目当てだった。


 すみれさんは、そのことを知っていた。それでも、『そういう結婚でも、仲良し夫婦はいっぱいいるもの』と、前向きに考えていた。


 二年後、すみれさんは離婚を突きつけられる。


 芝崎は、原因はすみれさんにあると主張した。『子どもが産めないなら仕方がない。家のためだ』と、周りに触れ回った。


 芝崎の両親をはじめ、すみれさん、芝崎とそこそこ親しい人は、それがこじつけだとわかっていた。

 結婚前、奥手だった芝崎は、結婚後に女遊びをするようになった。堂々と不倫をしていた。

 芝崎の両親は、息子ではなく、すみれさんを責めた。『子どもがいないからだ』、『主人をつかまえておくこともできないのか』と言い放った。


 芝崎は離婚理由と一緒に、『俺には次がある』と再婚を匂わせていたが、離婚から数年経っても独身のままだった。

 すみれさんの再婚と出産を、どこからか聞きつけると、『子どもが産めるなら、また結婚してやってもいい。母子ははこを引き離すのは可哀想だから、子どもも引き取ってやる』と捜しはじめた。

 友人、知人だけでなく、谷原家にも居どころをたずねたが情報は得られなかった。


 すみれさんは、離婚後、谷原家に戻ったが、『お前はもう谷原家の人間ではない』と言い渡され、追い出されていた。


 すみれさんには、姉と兄がいる。すみれさんの両親は、兄だけを可愛がり、姉とすみれさんには冷たかった。特に、体の弱いすみれさんを迷惑がっていた。

 すみれさんの両親は、厄介者を、高い結納金で、しかも伯爵家に嫁がせることができて、とても喜んだ。それなのに、離婚して戻ってきてしまった。親不孝だと怒り、追い出した。

 姉は結婚して家を出ていた。兄は両親に感化されていた。谷原家にすみれさんをかばう者はいなかった。


 谷原家がすみれさんの居どころを芝崎に教えなかったのは、すみれさんを想ってのことではない。追い出したすみれさんの行き先を、知らなかったからだ。


 すみれさんは、『縁、切られちゃったし。いいの、いいの』と、居どころも、再婚したことも、谷原家には知らせていなかった。



(――徹さんも言ってたけど、実家に知らせなかったのは正解だな。知ってたら、芝崎に教えてただろうし。でも、もしそうなってたら、そうそうに決着……、いや……)


 芝崎は話が通じなそうだ。すみれさんが、芝崎のもとには戻らない、とはっきり意思表示をしてもめただろう。


「今度、あいつにも仕事振ってやろうか?」


「……あまり、いじめないであげてください」


 親父と忠勝さんは、湖月こげつ家の面々の話をしている。


 親父は学生の名前を覚えない。顔もあまり覚えない。騎士になってやっと、名前を呼んでもらえるかどうかだ。

 ひどい話だが、親父の人となり、地位から、まかり通っている。


 忠勝さんは、学生のときから親父に名前で呼ばれていた。それだけではなく、忠勝さんの友人として、剣術部に所属していない徹さん、理恵りえさん、すみれさんも顔を覚えられていた。

 忠勝さんが、どれだけ親父に気に入られていたかがわかる話だ。これだけでも十分すごい話なのだが、もう一つ、すごい、が追加される。


 徹さんが、忠勝さんの友人、から、忠勝さんの友人でおもしろいやつ、に格上げされた。


 親父に頼まれごとをされて、断る人はそういない。声をかけられるのは、剣術部、またはその関係者だ。断るにしても、角が立たないよう気をつける。そんな中、徹さんは、はっきり嫌だと断り、ついでに少し文句も言った。

 親父はそれをおもしろがった。徹さんは、剣術以外、強さ以外で、親父に気に入られた珍しい学生となった。


 忠勝さんの親友で、親父とも良い関係の徹さんが湖月こげつ邸にいたから、俺は円滑に使用人になれたと思っている。親父だけでもなっていたとは思うが、多少とどこおっただろう――。



 忠勝さんは、芝崎がすみれさんを捜していることを、風の便りで知った。

 親父を頼った。『護衛をつけたいです』と電話をかけた。


 親父は、二週間後にかけ直せ、と引き受けた。忠勝さんは、お願いします、と電話を切った。

 しかし、二週間どころか、二ヶ月経っても、忠勝さんから電話はかかってこなかった。


 かけ直せ、と親父は言った。かけてこないなら知らん、と終わるところだが、終わらなかった。忠勝さんは親父のお気に入りだ。約束を反故ほごにするやつではないと、親父に信用されてもいた。


 親父は自分から電話をかけた。出たのは、徹さんだった。


 親父は、徹さんから、すみれさんが死去したことを聞いた。


 徹さんは、忠勝さんが親父に電話をかけ直さなかったこと、相談したことを知っていたのに自分も忘れていたこと、すみれさんの訃報ふほうを伝えなかったことを謝った。忠勝さんは憔悴しょうすいしきっていると話し、護衛は紹介してほしい、忠勝さんに声をかけてやってほしいと頼んだ。


 親父はその電話を一旦切り、「家を出る準備をしろ」と、俺に『切り札』を出した。折り返し、徹さんに到着日を伝えた。


 徹さんは忠勝さんに、親父が来る、とだけ伝えた。


 親父がぐいぐいと護衛の話を進めるなか、徹さんは「そうしろ~」「そうしてもらえ~」「いい話じゃないか~」と、忠勝さんの隣で親父の援護射撃をしていた。



(――最初、徹さんのこと、何者かと思ったんだよな……)


 護衛の話し合いの前に、使用人とだけ紹介された。なので、忠勝さんの隣に座り、親父とも親しげに話をしている徹さんを見て、どういうことだ? と、不思議に思っていた。


 徹さんから、忠勝さんや親父との関係を聞いたり、後々親父から、徹さんの話や電話の話を聞いたりして、そういうことかと納得した。


(徹さんって、余計なこと言って怒られたりしてるけど。いてくれると、ホント助かる)


 俺は、すみれさんが死去していたことを、親父から聞かされていなかった。湖月邸に着いた時、『大変だったな。大丈夫か?』と、親父が忠勝さんに声をかけているのを聞いてはいた。でも、それがお悔やみの言葉だとは思わなかった。


 親父が家路についたあと、すみれさんと実家の関係も知らなかった俺は、『奥様は里帰り中ですか?』と、忠勝さんに尋ねてしまった。


 凍りついた場をなんとかしてくれたのは、徹さんだった。


(あの頃の忠勝さんは、ホントやばかった。あの雰囲気……。親父との約束、忘れるくらいだもんな。徹さんから親父が来るって聞いても、親父の顔を見ても、忘れたままって……)


 俺を護衛に、と親父に言われ、忠勝さんが戸惑い謝ったのは、俺が楽々浦ささうらだから――学園を卒業し、騎士をしているところを、無理に連れてきたと勘違いしたから――だと思っていた。戸惑ったのはそれもあったのかもしれないが、謝ったのは約束を思い出したからだった。


(あれは、菖蒲が六歳になった夏か……)


 忠勝さんが、菖蒲、黒羽、俺、隼人を、初めてすみれさんのお墓参りに連れていってくれた。その帰り道だった。


『すみれには、芝崎が捜していることを伝えなかった。迷っているうちに……と言ったほうが正しいか……』と、少し離れた先を歩く菖蒲と黒羽を眺めていた忠勝さんが、静かに切り出した。


 親父に護衛の相談をする半年ほど前から、すみれさんは一日のほとんどをベッドの上で過ごすようになっていた。とはいえ、その状態で安定していた。ところが、親父との約束の日を待つ間に、体温が下がり、徐々に目を覚ましている時間が減っていった。

 すみれさんの体の弱さは原因不明だった。医者に診てもらっても、どうにもならなかった。

 親父との約束、芝崎のことは、すっかり忘れていた――と、俺と隼人に呟くように話してくれた。

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