157. 黒羽との新しい関係 1/3


 部屋の窓から庭を見下ろし、馬車を待っていた。律穂りつほが寄り道に時間をかけ過ぎさえしなければ、今日、到着する予定だ。


「あっ!」


 玄関まで駆けていき、サンダルを履いて庭に出た。白い息が頬をなでていく。待ち人は、馬車から降り、律穂と話をしていた。


 終わるのを待って、声をかけた。


「お、おかえり! 黒羽くろは


「ただいま帰りました。そんな格好で……。風邪を引きますよ。はやく中に入りましょう」


「うん」


 黒羽とともに玄関に入ると、一加いちか一護いちごしげるが並んで待っていた。


「なんで先に行っちゃうの!」

「黒羽、おかえりなさい」


「んな格好で外出て、寒くねーのかよ」


 あたたかい部屋の中にいたままの格好で、外に飛び出していた。コートを着る時間が惜しかった。


 頬をふくらませた一加の手が、私の顔に伸びてきた。


「も~、冷たい。黒羽のことは一護たちに任せて、部屋に戻ろう」


「えっと、でも……」


 一加の両手に顔をはさまれた状態で、チラリと黒羽に目を向ける。長い前髪の隙間に、黒い瞳が見えた。目が合った黒羽は、にこっと微笑んだ。


「一護くんと茂くんがいますから。大丈夫ですよ」


「……そっか。それじゃ、部屋に戻るね」


 一加に手を引かれ、その場をあとにした。


 夏、学園に戻る日の黒羽は、私とまともに目を合わせてくれなかった。もしかしたら、今日もそうかもしれない。それを確かめたかった。

 早くはっきりさせたかった。二人きりのほうが、わかりやすいと思った。だから、一人急いだ。


 ホッと胸をなで下ろした。黒羽は、しっかりと目を合わせてくれた。


 でも、黒羽の態度は変わってしまっていた。


 夕食まで、黒羽を交えて五人で遊んだ。夕食は、通いの茂と小夜さよ悠子ゆうこも一緒に、全員でとった。その数時間でよくわかった。

 私に対してだけ変わった。みんなには、これまで通りだ。


 抱きついてこないこともそうだが、一番は笑顔だ。笑顔が違う。

 知っている笑顔ではある。お茶会で女の子たちに向けていた。別邸から本邸に通っていた頃、てつたちに向けていた。百パーセントよそ行きの笑顔だ。


 私は黒羽の親しい人ではないと言われているように感じた。


 黒羽の態度は正しい。


 恋人が、過去好きだった人と、好きだったときと同じように接していたら、嫌な気持ちになる。可能ならば会わないでほしいと、私だったら思ってしまう。


 黒羽の立場上、私との関係を切るのは難しい。いないものとしては扱えない。

 親しい人から一歩外側、それくらいの関係が妥当だと考えたのだろうなと思った。


 黒羽に『好きな人か恋人ができた』という確信に近い予想は、『恋人ができた』という確信に更新された。



(えっと、あと……、三段)


 編み図から手元に視線を戻す途中で、右側を盗み見た。


 黒羽が隣で、私の本を読んでいる。読んだことがない本なので、読みたいそうだ。


 棒針二本を片手で持ち、毛糸玉から、糸を長めに引き出した。


 夜に黒羽が訪ねてくることはもうないと思ったが、この予想は外れた。黒羽が帰省してきて一週間、毎晩こうして来ている。


 一日目の夜は合点がいった。手紙のやり取りはできないと告げられた際、帰ってきたときに話を聞かせてとお願いしていた。

 その約束を果たしに来てくれたんだ、優しいな、と思った。


「勉強はどう?」

倶楽部くらぶは?」


 私の質問に、にこにこしながら答えてくれた。答えてはくれたが、自ら進んで話をしてくれることはなかった。なので、二十分くらいで、会話は途切れた。お互い黙り込んだが、黒羽は動かなかった。


 そうだ、私の話をしていなかった、と両手を打ち合わせた。勉強のことや、お茶会のことを話した。

 一加と一護が髪を切ったときの話もしたが、怪我のことと、小夜が辞めてしまいそうになったことは、なんとなく伏せた。

 毛糸がお得に買えたことや、慶次けいじが遊びに来たときのことも話した。


「部屋で遊びながら、黒羽が帰ってくるのを待ってたんだよ」


 当日の話もした。その話が終わると、黒羽は立ち上がった。まだアクビはしていなかったが、おやすみのキスをして、自分の部屋に戻っていった。


 二日目の夜。訪ねてきた黒羽に、首をかしげた。お互いの近況報告は、昨夜のうちに済んでいる。


 黒羽は、なんで来たんだろう? と考え込んだ私の横をすり抜け、部屋に入った。棚から本を一冊抜き取り、ソファーで読みはじめた。


「持ってっていいよ」


 そう声をかけると、黒羽は顔を上げた。「大丈夫です」と微笑み、本に視線を落とした。


 予想外の行動に、黒羽に恋人ができたという確信が、少しだけ揺らいだ。おやすみのキスも、疑問に思った。

 でも、一晩だけだった。次の日の昼間に、その揺れはピタッとおさまった。


 ベッドの足側に座り、一護に髪を結ってもらうところだった。

 一護は、結う前に、髪に頬ずりをする。長い髪を丸坊主にしたので、長い髪が恋しいのかと思った。そうではなく、私のうねっている髪が、ふわふわしていて好きらしい。


 一護が私の髪に頬ずりしているとき、髪に顔をうずめているときに、黒羽が部屋に入ってきた。


 黒羽は驚いたような顔をしたが、にこっと微笑み、何も言わなかった。一護が「コツを教えて」と頼むと、「いいですよ」と快諾した。


 以前の黒羽だったら、『何してるんですか!』と、声を上げて駆け寄ってきたはずだ。


 好きだった頃と、そうでない今とで、ちゃんと反応が違う! と、胸がジーンとした。


 さらに、こんなこともあった。


 四日目の夜、黒羽は読み終わった本を五冊、紙袋に入れて持ってきてくれた。

 紙袋から、本を取り出しつつ、パラパラと見ていた。三冊目だった。封の切られた手紙が挟まっていた。


 隣で本を読んでいた黒羽に、その手紙を差し出した。


「……すみません。ありがとうございます」


 黒羽は、口元を引きつらせたような変な顔をして、気まずそうに受け取った。


 ラブレターだ。宛名も差出人も書かれていなかったが、ラブレターだとわかった。

 封字がハートマークだった。薄ピンク色の封筒に赤いペンで描かれていた。ハートの内側は、きれいに塗り潰されていた。


 黒羽から顔を背けた。


 手紙のやり取りはできないと言った相手へあげる本に、ラブレターを挟んだままにしてしまった。紛れ込んでしまったのかもしれない。

 うっかりしていた、失敗したと言わんばかりの黒羽の顔に、笑いそうになってしまった。


 顔を隠すために、髪を両手でなで、整えるフリをした。ニヤニヤしそうになるのを抑えながら、黒羽のことをのぞき見た。


 黒羽は、嬉しそうな顔でラブレターを見つめていた。


 恋人からのラブレターなんだろうな、と思った。


 その次の日の夜も、黒羽は来た。本を手に取り、ソファーに座った。


 これが、今の私と黒羽の距離なのだと理解することにした。


 一日目からずっと、おやすみのキス以外の接触はしていない。

 部屋で二人きりで過ごすことは、一加と一護だけでなく、茂、慶次ともある。おやすみのキスは、毎晩ではないが父ともしている。

 同じこと、同じ感覚なのだろうなと納得した。


 互いに互いを充電すると言っていた充電時間のうち、昼の充電時間はなくなった。

 夏のときからだが、茂がいるので、二人きりになることがほぼない。それに加えて、黒羽は、てつたちの手伝いを、これまでよりも積極的にするようになった。一緒にいる時間が、かなり減った。


 夜の充電時間は、思い思い過ごす時間となった。黒羽の隣に座り、黒羽がくれた本を読んだり、編み物をしたりしながら、たまにポツポツと会話をしている。


――パタン。


 乾いた音がした。黒羽が本を閉じた。

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