158. 黒羽との新しい関係 2/3


「それは、何を編んでるんですか?」


「練習だよ。編みたい模様、編んでるだけ」


 視線を手元に落としたまま、黒羽くろはの質問に答えた。


「ほどくんですか?」


「ううん。適当にとじて、くっつけて、クッションカバーにでもしようかな? って思ってる」


「編みたいものがあるんですか?」


「う~ん?」


「それは練習なんですよね? マフラーですか?」


(次は、右上三目交差……)


 右上三目交差は、編み目六目の、右の三目と左の三目を、右の三目が上になるように交差させる編み方だ。

 左右を入れ替えるため、目を棒から一旦外す操作がある。余計な目まで外したり、外した目を戻し忘れたり見失ったりして、目を落とさないように気をつけなければならない。


 なわあみ針を使う方法もある。なわあみ針は、目を休めておくことも、そのまま編むこともできる便利な編み物の用具だ。

 右の三目をなわあみ針に移して休めておき、左の三目を編んでから、休めておいた三目を編む。目を落とすことはそうない。

 持ってはいるのだが、三目までの交差は使わずに編みたい。なわあみ針を取ったり置いたりする手間が減る。


(右が上に……、なってる。うん、よし。次は……)


 編み図と手元を交互に見ながら、端まで編み進めた。


(ちょっとずつ模様が出てきた。やっぱり、模様編みは楽しいな)


 左と右の棒針を持ち替え、次の段を編みはじめようとした。


「……結局、誰へのプレゼントなんですか?」


「え? 結局? プレゼントって?」


「話を聞いてませんでしたね……。まあ、わかってましたけど。『う~ん?』としか返ってきませんでしたし」


「そう……だった?」


「ええ。マフラーですか? 誰かへのプレゼントですか? 旦那様ですか? 一加いちかさんですか? 一護いちごくんですか? しげるくんですか? 全部、『う~ん?』でした」


「ご、ごめん。編むのに夢中で。えっと、なんだっけ?」


「マフラーを編むための練習ですか?」


「そういうわけじゃないんだけど。ただ、編み物したいなって思っただけで。でも、今ある毛糸を使いきって、次に何か編むなら、マフラーかな?」


「そうですか」


「えっと、誰の? だっけ? 自分のを編むよ。その次は、お父様に編みたいけど。お父様の服装に手編みのマフラーは微妙だから、ひざかけ……も、書斎には微妙かな……」


「旦那様、喜んでくださいますよ」


「喜んではくれるだろうけど。ちゃんと使えるものをプレゼントした……い……」


(プレゼント、か……。どうしよう。いらないかもしれないし、言われたら渡そうって思ってたけど。聞いちゃおっかな……)


「ねえ、黒羽」


「はい」


「肩たたき券いる?」


「ええ」


 編んでいるものをソファーに置き、机に向かった。引き出しを開け、封筒を取り出す。


(準備しておいて良かった)


 ソファーに座っている黒羽の正面に立ち、両手で封筒を差し出した。


「それじゃ、改めて。十七歳のお誕生日おめでとう」


 黒羽が帰省した日の夕食のときに、お祝いしたので、おめでとう、と言うのは二回目だ。


「ありがとうございます」


 黒羽は言うが早いか、立ち上がった。座ったまま受け取ると思っていたので、驚いて後ろによろめいた。


「うぅっ!」


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫っ!」


 黒羽は、私の右腕を掴んで、転ばないよう支えてくれた。


 掴まれた瞬間、痛みが走り、思わず声が出てしまった。黒羽の手は、傷痕が残ると言われた辺りを掴んでいる。


 顔に出さないようえていると、ふにっ、と柔らかいものが触れた。


「プレゼントも。ありがとうございます」


 私のひたいにキスした黒羽は、にこっと作り笑顔で微笑んだ。



(……調子が悪い、な)


 傷痕が突っ張るような変な感じがする。


 昨夜、黒羽に掴まれたからかもしれない。黒羽は腕の怪我のことを知らない。知っていたとしても、黒羽は悪くない。助けてくれただけだ。

 今夜は冷え込んでいる。昨夜のことは関係なく、寒さによって痛むという症状なのかもしれない。


 編んでいるものをカゴにしまい、テーブルの上に置いた。


「もう終わりですか?」


 黒羽は、本から顔を上げ、こちらを向いた。


「うん。なんかう……、肩が痛くて。こっちゃったかな?」


 右肩を回してみせた。


みましょうか?」


「え? いや、い――」


 断りの言葉を言いきる前に、肩を掴まれ、左を向かせられた。黒羽に背中を向ける格好だ。

 お尻がソファーから半分落ちた。ソファーに上がり、横座りした。ガウンは脱いだほうがやりやすいと言われたので、そでを脱いで腰に巻きつけた。左右二つにゆるく結んでいる髪は、邪魔にならないよう、胸の前に垂らした。


「どうですか?」


 黒羽の親指が、首筋から肩へと移動していく。


「う~ん。ちょっと、くすぐったい」


「そうですか? 髪ゴム、かわいいですね」


「ありがとう。このシュシュ、私が作ったんだよ。手提げ袋の内側とか、ポーチとか作った生地のハギレで。小さいハギレは、パッチワークしたりして、いっぱい作っちゃった。一加に、理恵りえさんでしょ。悠子ゆうこさんに、律穂りつほさん。髪の長い人にもらってもらったんだけど、まだあるの」


「そうなんですね」


 黒羽は、肩への指圧をやめ、片手を肩に置き、もう一方の手を背中にあてた。肩甲骨けんこうこつの辺りを、手の平の下の部分を回しながら、さすっていく。


「ちょっと、気持ちいいかも」


「ふふ。そうですか」


(黒羽にもシュシュ……、やめておこう。恋人さん、嫌な気持ちになるよね。黒羽も使いたくないかもしれないし。……肩たたき券。もしかして、私に、いる? って聞かれたから? いらなくても、いらないとは言えないか。聞かないほうが良かったかな……)


 次に黒羽は、首の根元に両手の親指をあて、ゆっくりと押した。背骨に沿って、腰へと下りていく。


「ん!? ま、待って。くすぐったい」


 親指ではなく、ほかの指が体の側面に触れていて、押されるたびにくすぐったい。


「やっ! ちょっ! うっ! ひゃっ!!」


 ゴツッ!


「いたっ!」

「づっ!!」


 後頭部がジンジンする。


 黒羽は腰の辺り、たぶん最後の一押しのときに少し力を入れた。

 脇腹をグッと掴まれ、くすぐったさに耐えきれず、のけぞった。その勢いで後ろに倒れ、頭をぶつけてしまった。


 黒羽の胸に頭を預けたまま、見上げるように後ろに視線を向けた。


 黒羽は横を向き、あごを片手で押さえている。もう一方の手は、私のおなかに回されている。すぐに起き上がろうとしたのだが、この手にはばまれた。


「ごめんね、黒羽」


「……い、いえ。下手へたでしたね。すみません」


「下手じゃないよ。たぶん、上手じょうずだよ」


「たぶん?」


「そう、たぶん」


「か……」黒羽は口ごもった。


「なに?」


「……たぶんって、なんだろうなと」


「まだ若いから。マッサージの良さがわかるお年頃じゃないから。だから、たぶん。……ねえ、これじゃ、起き上がれないんだけど」


 お腹に置かれた黒羽の手を、ポンポンと叩いた。


「このままでいいんですよ。手もマッサージしますから」


「手?」


 黒羽は、後ろから抱きしめるような格好で、私の右手を両手で取った。私の頭の上にあごを乗せたが、イマイチだったらしく、頭の横にくっつけた。


(これって、向かい合ったほうが、やりやすそうだけどな)


 私の手の平を、左右の親指で交互に押したり、さすったりしている。


(あっ!)


 反射的に、左手で黒羽の腕を掴み、右手を引き抜こうとした。


「もっ、もう、いい! 充分!」


 黒羽の指が、手の平から手首に移動した。この腕に、このマッサージはまだ早いと思った。変な感じがするので、そっとしておきたいというのもある。


「右は大丈夫。次は、はい、左手。こっちもやって」


「……ええ。もちろん」


 黒羽は、左手のマッサージを終えると、両肩を押して、体を起こすのを手伝ってくれた。「ありがとう」とお礼を言うと、「どういたしまして」と微笑み、おやすみのキスをして、部屋を出ていった。

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