146. 山口家の事情 2/5 ― 勉強、制御、本(茂)


 勉強部屋に戻ると、一護いちごが俺のノートを見ていた。


「全然、進んでないね」


「わりぃかよ。仕事は?」


「しばらく、暇。洗濯物を取り込む時間までは、自由。課題、はやく終わらせないと、あの本見る時間なくなっちゃうけど」


 今、ショウと一加いちかは出かけていていない。母ちゃんと律穂りつほさんと、買い物に行った。


 滅多にないチャンスだ。


 ショウと一加にバレる心配なく、ゆっくりと落ち着いて、この前もらったエロ本を見ることができる。もちろん、旦那様やてつさんたちにも、バレたくない。一護の部屋なら、それができる。すぐにでも一護の部屋にこもりたい。

 なのに、課題が終わってから、と一護が条件を出してきた。


「お昼を食べてから、帰ってくるでしょ。そうだな~……、遅くても三時くらい? こっちの昼食までに終わらせないと、ゆっくり見れないよ?」


「わかってるよ。やってるけど、わかんねーんだから、しょうがねーだろ」


「は~。どこがわからないの? 教えるから、さっさと終らせよう」


 一護に教えてもらいながら、課題を進めた。


 ふと、一護の頭が気になった。


「ふっ」声が出た。


「なに?」


「いや、その頭。おもしれーなって」


 一護はジトッとした目をした。


しげるだって、同じ頭だろ」


「元の長さがちげぇだろ。俺は短かった。一護は、あんだけなげーのから坊主にしたんだから。……ショウが怪我したから、坊主にしたのか?」


「茂は? 一加の髪を切ったから?」


「……まぁな」


 一護は、俺から目をそらし、前を向いた。


「ボクは違うよ。ボクが坊主になったって、ショウが痛かったのがなくなるわけでも、あの傷が消えるわけでもないし」


「そう……だな」


「……ああ、茂が坊主にしたことを否定してるわけじゃないよ。一加は髪だし。髪と髪で、いいんじゃない?」


 一護は、俺の頭を見て、ニヤリと笑った。


 一加の髪のことを反省して坊主にしたけど、ただの自己満足だったのかもしれない。


「……茂はさ。一加とボクのこと、なんて聞いてるの? 孤児院にいたって?」


 顔を上げ、一護のほうを向いた。いつの間にか、下を向いていた。


「ああ。あと、大人が苦手だから、気をつけてやれって」


「ボクたちは虐待されてたんだよ。それで、保護されたの。しかも、保護されてから知ったんだけど、親でもなんでもない人たちを、お父様、お母様って呼んでた。その人たちに、暴力振るわれてた。だから、大人が嫌いで、苦手で、怖かった」


 いつもの調子で、一護は言った。どう反応していいか、わからなかった。


「孤児院には、親にご飯を食べさせてもらえなかった子とかもいたけど。そういうのはなかった。ボクたちは見た目が重要だったから、ご飯は食べさせてもらえてたし、お風呂にもちゃんと入れてた。そこら辺は……」


「良かったかな?」一護は首をかたむけた。


「ボクたちは痛いのが、すっごく怖かったんだ。だから、それしかわからなかった。双子だから同じじゃないと、揃ってないといけないって思ってることが、おかしいことだって、わからなかったんだよ」


「茂……」俺に顔を向けた。


「んだよ」


「ありがとう」


「はあ?」


「わからなかったって言ったけど、本当はどこかでわかってたのかも。一加とボクが同じじゃなくても、そんなことで、ショウも、みんなも、ボクたちを嫌いになったりしないって。でも、たぶん、もしも、もしもが怖くて……」


 一護は、机の上でこぶしにしていた手を、さらにギュッと握りしめた。


「茂が、一加の髪を切ってくれたから、うみが出たっていうか。ボクたちの問題に気づけて、その問題もなくなって。スッキリしたんだよ。一加も言ってたでしょ? だから、一加の髪を切ってくれて、ありがとう」


「ありがとうじゃねーよ。俺はガムがついたから切っただけだ」


 にこっと笑った一護から、顔を背けた。礼を言われるようなことはしていない。


「……もう、大人は大丈夫なのか?」


「ダメそうに見える?」


「いや、全然……」


「茂がここに来たときには、結構平気になってたからね。それに、この前のアレ!」


「アレ?」


「旦那様と律穂さんの体術」


「アレかっ! すごかったよな!」


「あんなに強い人たちが、ボクたちの味方でいてくれるんだって思ったら……。なんだか怖くないなって」


「……わかる気がする。すげぇといえば、ショウもな」


「ショウ?」


氣力きりょくれるって、あんな風になるんだな」


「ああ、この前のね! あそこまでちゃんと、髪とか服が浮いてるのは、ボクも初めて見た。たまに、あれ? 浮いてる? みたいなのは、見たことあったけど」


「へぇ~。俺は、あれが初だな」


「違うよ。初じゃない。気づいてないだけ。外だと、風なのか氣力なのか、わからないんだよね。お化け屋敷のときとか、微妙にふわっとしてたよ。入る入らない、やってたとき」


「あんときか。わかんなかったな」


「あ~、そうそう、髪の話だった。ちょっと話がそれた。ボクが坊主にしたのは、茂の頭を見たからだよ。どうせ切るなら、最初は思いきって坊主もいいかな? って。それに、ショウが嬉しそうに触ってたから。ボクもって」


「ショウが目当てかよ」


「そうだよ。……ショウには、いっぱい返したいものがあるのに。また増えちゃったな」


「なにを?」


「恩とかね」


「恩返しか。たぶん、着替えとか手伝ってるので、返してもらってるって思ってんじゃねーの」


「思ってそう。きっと、ショウのことだから、もう充分って思ってるよね。全然足りないのに」


「……俺も、なんかしてやりてーな」


 ショウは、俺をハサミからかばって怪我をした。


「ショウが困ってたら助けよう」


「そうだな」


 一護はチラリと時計を見た。


「あっ! 時間! はやくやらないと、昼食の時間になっちゃうよ。はやく解いて!」


「はやくは無理だっつーの」


「っていうか、別にボクの部屋で見なくても……。二冊とも持って帰れば?」


「それも無理。前に言ったじゃねーか」


 エロ本は、二冊とも、一護の部屋に隠してある。ウチに隠しておくのは無理だ。絶対、母ちゃんに見つかる。そうなったら、ニヤニヤされたりと、間違いなく面倒くさいことになる。


(母ちゃんから、男と女の体の本はもらったけど。あれとエロ本は、全然違うからな)


 隼人はやとさんに授業をしてもらえて、とても助かった。母ちゃんにもらった本を読むきっかけになった。サッとだけど、一応読んだ。

 それと、生理現象の話を聞けて、本当に良かった。隼人さんも言っていたけど、知らずにあんなことになったら、絶対パニックになる。


黒羽くろはのおかげ、か。エロ本ももらえたし)


「見つかってもよくない?」


「よくねーよ。一護だって、ショウと一加に見つかったら嫌だろ?」


「……うーん。ショウは嫌じゃない。一加は嫌」


「はあ? 一護にとって、どっちもねえちゃんなんだろ? ショウはいいのに、一加はダメなのかよ」


「うん。ショウは大丈夫」


「よくわかんねーな。いいよな、一護は。自由に見れて。どうせ、穴があくほど見たんだろ?」


「え? ボク? 見てないよ」


「はあ? なんで?」


「なんでって、興味ないから」


「……女に興味がねーのか?」


「違うよ! なんか……、気持ち悪いんだよ!」


「お子ちゃまなんだな……」


「……教えない。課題、手伝わない」


「どーしてだよ!」


「ボクの課題じゃないし。一人でやりなよ」


 ガタンと音を立て、一護は立ち上がった。


「まっ、待てっ! ごめん! わりぃ! 謝るから、手伝ってくれよ」


 一護は、ため息をきながら、座り直した。


「そんなに見たいんだ」


「そりゃ、見てぇだろ! つーか、普通にわかんねーんだよ。エロ本見る時間とかじゃなくて。このままじゃ、明日になっても終わんねーよ」


「茂はホント、氣力制御は上手じょうずなのに……。勉強は……」


「コントロールは生活に必要だからな。必死に練習したんだよ」


 洗濯機と冷蔵庫を壊してしまったことがある。


 母ちゃんの手伝いをしたかった。母ちゃんの代わりに、電化製品に氣力をためておこうと思った。コントロールが下手へたくそだったから、壊してしまった。

 母ちゃんは許してくれた。笑っていたけど、新しいものを買わないといけなくなって、金のやりくりが大変だったはずだ。


 それから、勉強そっちのけでコントロールの練習をするようになった。

 今では楽勝だ。


(勉強は嫌いだから、氣力流出過多症キリカじゃなくてもやらなかっただろーけど)


「勉強も必死にやってみれば?」


「……無理だな。頭いーやつにはわかんねーよ」


「頭いいって、ボクが?」


「そうだよ」


「フフッ」


「んだよ、気持ちわりぃな」


「一加とボク、勉強はあんまりしてこなかったから。ひどかったんだよね。良く見えるのは、ここ一年くらい必死に勉強してるからかな? ショウよりもできるようになりたくて、頑張ってるんだよ」


「またショウかよ」


「ショウと一加ね。一加とは同じくらいだったから、目標はショウ。二人に教えてあげられるようになりたくて。茂がうらやましいよ。ショウに頼られてて」


「……ショウはすぐサボるからな。簡単に抜けんだろ」


「ショウって、百点狙わないしね。七十点取れたら、まあいっかって感じ」


「俺は四十点でもいーけどな」


「茂は、学園に入学するまでに、平均五十点以上を目指そう」


「四十点でいーよ」


「まあ、その前に三十点。まずは、課題を頑張ろう」


「……ああ」


 昼メシまでには終わらないかもしれないけど、少しでもエロ本を見れるように、鉛筆を握りしめた。

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