147. 山口家の事情 3/5 ― 出会いと別れ (小夜)


 お嬢様と一加いちかちゃんを連れて、大型手芸店にやって来た。


 仲良く二人で見て回るのかと思っていた。着くや否や、別行動を開始した。「三十分後に集合~」と言いながら、サーッといなくなってしまった。


(……あっ、一人発見!)


 お嬢様を見つけた。毛糸の棚の横に立っている。


「マフラーでも編むんですか?」


「えっと、適当に編む練習をします」


 お嬢様は棚の横にぶら下がっている毛糸の見本に触れている。編み地の見本だ。編んだときの、色の出方や手触りが確認できる。


「練習用の毛糸を選んでるんですね?」


「はい」


 この棚にある毛糸は高いものばかりだ。


「練習用なら、向こうにある毛糸はどうですか?」


 出入り口近くのワゴンを指差した。十玉パック、五玉パックの安い毛糸、バラ売りの処分品が並んでいる。


「練習なんですけど、でも……」


「でも?」


「チクチクするのは苦手で」


「なるほど」


「あ、でも、安いからって決めつけは……。お宝が眠ってる可能性も……。特にバラ売り……。まずは宝探し……。うん、そうしよう! 小夜さよさん、ありがとうございます! 見てきますね」


 お嬢様は、にこっと微笑み、ワゴンに向かった。


 ワゴンを前にしたお嬢様は、毛糸を手に取り、ジッと見つめては戻す、を繰り返している。


(ふふっ。迷ってる。私だったら、五玉パックだな。十玉のほうが安いけど、あきたらもったいないから五玉。あとは好きな色を選んで、決定)


『小夜って、迷わないよね。迷ったり、悩んだりしたことあるの?』


 親友の平井ひらい風子ふうこに言われた言葉を、ふと思い出した――。



 学習学校に入り、十歳になる子たちが集められた騒がしい教室を見回したとき、一人の男の子と目が合った。


 一週間後。その男の子に「好きだ」と告白された。私も、と応えた。

 山口やまぐち秀樹ひできと恋人同士になった。恋人といっても、友だちのような付き合いだった。


 一年後。「キスしたい」と顔を近づけてきた。うん、と応えた。

 それでもまだ、恋人というよりは友だちだった。


 初めてのキスから四年後。「この本みたいなことがしてみたい」と照れた顔でせまられた。いいよ、と応えた。

 少し後悔した。痛かった。涙と血が出た。何回も体を重ねるうちに、私たちは身も心も恋人になっていった。


 学園に入学した。秀樹も私も、三年間で二回告白された。ごめんなさい、と断った。

 秀樹を選んだ。秀樹も私を選んでくれた。


 卒業の少し前、私の誕生日の一月二十五日。「これからもずっと一緒にいよう」と求婚された。嬉しい、と応えた。

 卒業と同時に籍を入れた。新居は二人の実家から少し遠い場所に構えた。


 秀樹は小さい頃から大工になりたいと語っていた。入りたいと言っていた会社から、見事みごと、内定を獲得した。

 その会社がある場所だった。


 実家に気軽に立ち寄れない点は不便だったが、円境湖えんきょうこに日帰りで遊びに行けて、近くに大きい素敵な公園あって、すぐに気に入った。


 特になりたいものがなかった私は、新居への引っ越しが落ち着いてから仕事を探した。求人の張り紙を見つけ、その店に飛び込んだ。花屋で働けることになった。


 結婚して一年半後。お腹に赤ちゃんがいることがわかった。短い期間しか働けなかったことを謝り、花屋を辞めた。


 二十歳はたちの春。しげるが元気に産まれてきてくれた。「小夜に似て男前だ!」と秀樹は喜んだ。私が、目元は秀樹に似てる、と笑うと、その目から大量の涙をあふれさせていた。


 三人でのあわただしい生活が始まった。茂はよく眠る子で、思っていたよりも大変じゃないかも? と、一時期、勘違いしていた。はいはいが始まると動き回って大変だった。


 私の二十三歳の誕生日から十日後。二月四日。その日は晴れだった。


 秀樹はある部屋のベッドの上に寝かせられていた。


 茂を抱っこしたまま、その部屋の入り口で立ち尽くした。


 大雪おおゆきの年、五年周期で大雪になる、その年だったら助かっていたはずだ。大雪の年でなくとも、冬らしく雪が積もっていれば、一命は取りとめていたかもしれない。天気の良い日が続いていた。日当たりの良い場所だった。


 二階くらいの高さから落ちた秀樹は、地面に体を打ちつけてしまった。打ち所が悪かった、と誰かが言っていた。


 茂がいたから、なんとか正気を保っていられた。


 みんなの前ではあまり泣かなかったが、茂と二人きりになると泣いた。脱水症状で倒れるのではないかというくらい泣いた。

 つらくてどうにかなりそうになったとき、茂を抱っこすると温かくて、茂の目を見ていると秀樹がそこにいるようで、前を向くことができた。


 両親には「帰ってこい」、妹には「もっと近くに引っ越したら?」と言われた。せめてあと一年だけでもここにいさせて、と首を横に振った。

 秀樹の両親には「茂を引き取ってもいいよ」、秀樹の弟には「無理しないで」と言われた。私が育てます、ありがとうございます、と頭を下げた。

 風子には「日光を浴びるのを忘れないように」と言われた。わかった、とうなずいた。


 秀樹の葬儀から五ヶ月が過ぎた、七月のある日。茂を連れて散歩をしていると、白髪はくはつの男性に声をかけられた。その人は私のことを知っているようだったが、私にはその人が誰かわからなかった。察してくれたようで、名乗ってくれた。


横川よこかわつとむと申します。学校の先生をしています」


 秀樹の葬儀に参列してくれていたらしい。しっかりしていたと思ったが、振り返ってみると葬儀の記憶がほとんどない。覚えていないことを伝え、謝った。


「少しお話をしませんか?」


 横川さんは手の平を上にして学校のほうに向けた。


 横川さんが秀樹と知り合ったのは、偶然だったそうだ。

 生徒と外で遊んでいて、ボールを木に引っかけてしまった。それを通りすがりの秀樹に取ってもらった。それから、挨拶を交わすようになり、話をするようになり、校舎の簡単な修理を無償でしてくれるようになった、ということだった。


「修理費を払おうとしたんですが。いつか息子が通うかもしれないから、と受け取ってもらえなかったんですよ」


 確かに秀樹は、学習学校の人たちと仲良くなった、挨拶をしていると話していた。この学校のことだったのか、修理のことは知らなかったな、などと思いながら、応接室のような部屋を見回した。


「茂くんを、ここに預けてみませんか?」


 横川さんは穏やかに微笑んだ。


 ちょうど、茂を預けられるところを探していた。仕事中の事故だったので、国と会社から保険金が出た。今はそのお金で暮らしているが、いつまでもこうしていられるほどの金額ではない。茂と二人で暮らしていくためには、働かなければならない。


 普通は孤児院に預ける。寄付という形でお金を納め、毎日預けに行くか、預けておいて会えるときに会いに行く。近くに孤児院はなかった。


 家庭教師をつけると、出ていくお金が大きくて、生活が苦しくなってしまう。低料金で何人かまとめて預かってくれる人もいるが、この辺りにはいないようだった。


 子連れで働けるところは見つけられなかった。住み込みならあったが、それでは実家に戻るのと変わらない。想い出のある家から離れたくなかった。


 残すは、学習学校に相談して預かってもらう、だった。

 学校には、だいたい十歳くらいから通いはじめる。それ以下の年齢は、学校と相談することになる。七、八歳くらいなら、ほぼ受け入れてもらえる。だが、三歳となると難しい。断られることが多い。受け入れてもらえても、金額が割増になる。

 とにかく、まずは相談してみようと、学校を何箇所か回ろうと思っていたところだった。


 横川さんは、この学校の経営者だった。みんなと同じ費用でよいとのことだった。驚きの金額だった。学校に相談するときに、ある程度は知っておいたほうがよいだろうと、費用を調べておいた。ニ箇所だけだったが、そのどちらよりもかなり安かった。

 よろしくお願いします、と頭を下げた。


 約一ヶ月間、茂と一緒に学校に通った。それから、短時間だけ預け、仕事を探しはじめた。最初の二週間は、預けるときに泣いて大変だった。一ヶ月も経つと泣かなくなり、横川さんの足に抱きついて、私に手を振るようになった。私が寂しくて泣きそうになった。


「ここで雇ってあげられたら良かったんだけどね。ここの給金で暮らしていくのは大変だろうから」


 横川さんは申し訳なさそうに言った。


「子どもが好きでね。年寄りの道楽みたいなものなんです。先生たちも、そんな私に付き合ってくれている人たちばかりなんですよ」


 この学校の先生は、お年を召されたかたばかりだった。横川さんを含め、本職を引退した人たちだと聞いて、なるほど、と思った。費用がとても安い理由と、秀樹が無償で修理や手伝いをしていた理由が、わかったような気がした。


「あっ! ちょっと、あなた! いいところに来た!」


 斡旋あっせん所に行くと、職員の女性が駆け寄ってきた。


「粘った甲斐があったかもよ。ちょっと、あっちの部屋で待ってて」


 仕事を探しはじめてから、ほぼ毎日、足を運んでいた。声をかけてきたのは、軽く世間話をするくらいの仲になっていた職員だった。


 指定された部屋で待っていると、男性と女性が入ってきた。


「はじめまして。里山さとやまてつです」


「里山理恵りえです」


 仕事内容も、お給料も、私が考えていたよりも良いものだった。是非、と飛びつくと、徹さんが眉を曇らせた。


「一つ、言っておきたいことが……。ちょっと、今、ただか……、旦那様がピリピリしてるっていうか、ドヨドヨしてるっていうか……。元々、顔が怖いのに、さらに怖くなっててな~。それに加えて、挨拶をしても、声をかけても、反応しないときがある。ものすごく感じが悪い。そこは了承してほしい」


「私たちにあたるようなことはしません。安心してください」


 わかりました、とうなずいた。二人は顔を見合わせ、胸をなで下ろしていた。



(――迷ってないことはないんだけど)


 風子の質問には、迷ったり悩むときもある、と返した。だったら、相談してよ! と怒られた。


 お嬢様が触れていた見本の毛糸を手に取った。柔らかく、少ししっとりしている。


(秀樹とのことは、迷わなかった……)


 大好きだったから迷う必要がなかった。キスしたかったし、それ以上のこともしたかった。秀樹以外の人は考えられなかった。私もずっと一緒にいたかったから結婚した。

 秀樹が死んでしまったとき、茂を手放そうとは思わなかった。秀樹と暮らした家を離れたくなかった。

 とりあえず一年間、やれるだけやってみようと考え行動していたら、どうにかなった。


(粘ったって言われたけど、二ヶ月も経ってなかったし。もっとかかるかと思ってたから、運が良かっ……)


 頭を左右に振った。


 旦那様がピリピリドヨドヨしていたのは、奥様を亡くされたからだった。今と比べるとよくわかる。あのときの旦那様は、暗く、どこか不安定だった。

 徹さんたちは、そんな旦那様の仕事の手伝いに注力するため、本邸の家事をする人を探していた。


(運が良かった、だなんて……。無神経。それに、私の運がいいっていうなら……、秀樹は……)


 毛糸を棚に戻した。

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